第23話結び
「え? え? え?」
戸惑うヴィヴィアンをよそに、レイモンドは歩みを止めることなく、ズンズンと進んで行く。
通されたサロンを出て、広い回廊に出ても、レイモンドはヴィヴィアンを離さない。
(わ、私、ちゃんとお断りした、わよね?)
これは一体どういうことだろう。
ヴィヴィアンにしては、しっかりと自分の気持ちを伝えたつもりだ。それなのに、「一緒に来てもらう」とは、何事だろうか。
ここは宮殿だ。しかも、レイモンドは先ほど、婚約者候補について、国王陛下の許可が下りた、と言わなかっただろうか。
嫌な予感に、背中に冷や汗が流れる。
そうだ。国王陛下から許可が出ているというのに、しがない男爵令嬢が断れる話ではないのかもしれない。
(これは……この展開はマズい気がするんですけど!!)
「レイモンド様? ああああああ、あの、どちらに行かれるのですか?」
平静を装って声をかけたつもりが、思い切り動揺が声に出てしまった。だが、レイモンドはすっかり冷静を取り戻しているようだ。ヴィヴィアンの声が震えているのを知っていて、聞きたくなかった言葉を返してくる。
「国王陛下が、君に会いたいを言っているんだ」
「え? ………ええええええ!」
会ってしまえば、婚約はほぼ決定してしまう。ヴィヴィアンは青ざめた。
「ま、待ってください! あの、あの……わたくし、心の準備がぁ~!」
「大丈夫だよ。いくら僕でも、このまま陛下のいらっしゃる場所に乗り込んで行こうなんて、考えていない。まずは控えの間に行くんだよ」
「それでも! それでもです! ま、待ってくださいませんか?」
「ハイ、到着」
「えええええ!」
必死に交渉するも、レイモンドはその話に乗ることはなく、無情にもすぐに扉が開けられてしまった。そのまま、グイと強く引かれ、ヴィヴィアンはつんのめるような恰好で部屋に入る。転びそうになったヴィヴィアンを、逞しい腕が支えた。
「ヴィー。大丈夫かい?」
「ま、待ってと、あれほど……あれ、ほど……え?」
“ヴィー”という呼び声に胸がドクンと強く打つ。
顔を上げると、そこにいたのはエドワードだった。
「え、エドワード、様……」
なんということだろう。控えの間でエドワードが待っていたなんて。しかも、エドワードもまた正装だ。宮殿という場所柄仕方がないのかもしれないが、陛下に謁見する際、同席するのだとしたら、ヴィヴィアンは耐えられない。
突然目の前に現れたエドワードに混乱していると、エドワードがレイモンドを叱りつけるのが聞こえた。
「レイモンド、ヴィーがこんなに息を切らしているじゃないか。それに、乱暴すぎる」
「申し訳ありません。殿下」
「……え?」
今、確かにレイモンドはエドワードに向かって“殿下”と言わなかっただろうか? それとも、混乱した頭がおかしな空耳を招いたのだろうか。
ヴィヴィアンが呆けた声を出すと、エドワードが再びレイモンドを窘めた。
「レイモンド。お前、ヴィーに説明しなかったのか?」
「うっかりしておりました」
(うっかり!?)
ヴィヴィアンは、もうなにがなんだかわからず、混乱するばかりだった。
目の前で繰り広げられている光景は、これまで見てきたものを立場がまるきり逆転している。
「エドワード様が、殿下とは、どういうことですか?」
「言葉の通りだ。その呼び名はなんとも面映ゆいが、実は、わたしが国王陛下の第2王子で、侯爵の爵位と領地を賜ったんだ」
「えっ!?」
驚いたヴィヴィアンが大きな声を出すと、エドワードはふっと笑みを漏らし、肩を竦めた。
その時、レイモンドを見た時から持っていた違和感の正体に気が付いた。
正装のエドワードの襟に輝く紋章は、アーヴィン侯爵家のものだった。ということは――ヴィヴィアンがレイモンドを見ると、いたずらっ子のような微笑みを見せた。
「もしかして、今気づいた?」
レイモンドが身に着けている紋章は、確かにダルトン伯爵家のものだった。
それならば、先ほどサロンで聞かされた、愛の告白めいたものは、一体なんだったのだろう。レイモンドは、まるで自分がアーヴィン侯爵であるかのように話さなかっただろうか。
「で、でも……これまでのおふたりの会話は――」
「騙すなら、まず身内から……というわけでもないが、誰がどこで見ているか分からない世界だ。メイドひとりにしても、誰かの手先である可能性もある。そういうリスクは負えなかった」
「それに、僕たちは幼少期にその立場を入れ替えたのさ」
この入れ替わりは、なんと彼らが出会った幼少期からだと言うのだ。
エドワードは、実は国王陛下と、フローレンス・ウィルバーン伯爵令嬢の間に生まれた子供だった。国王陛下と王妃は政略結婚だったのだが、王妃は国王陛下に心酔していた。かたや、国王陛下にとって愛する女性はただひとり、フローレンスだったのだそうだ。だが、エドワードの存在は王妃に知られてしまう。嫉妬に狂った王妃は、エドワードを認めなかった。
ずっとウィルバーン伯爵家の領地で隠れるように暮らしたのも、フローレンス亡き後、祖父にあたるクリフォード・ウィルバーン伯爵が屋敷に人を寄せ付けなくなったのも、乳母を雇わなかったのも、王妃からエドワードを守るためだったのだ。
関係者以外で唯一、彼の存在を知っていたのが、フローレンスの幼馴染であり、家族ぐるみの付き合いがあった、アンブラー男爵家だった。アイリーンは、存在を隠され、友達のいなかったエドワードに、ヴィヴィアンを引き合わせた。
「知りませんでした……」
「子供にはまだ“秘密”の意味も、またその重大さも、知るには早かった。わたし自身も、おじい様が亡くなる直前に知らされた」
エドワードが目を細めた。彼は今、あの懐かしく自然豊かな領地を思い出しているのかもしれない。
ヴィヴィアンとしても、エドワードと一緒にいるのはとても楽しくて、そしてそれはずっと続くものだと思っていた。だが、それはクリフォードの死により、突然終わりを迎える。
人を寄せ付けなかったクリフォードは、エドワードを守ることを優先したため、爵位継承のための養子を迎えていなかった。エドワードが成長していれば、彼に継がせるつもりだったのだろうが、彼はまだ幼すぎたのだ。領地と爵位は、王家に返還されることになった。そして、残されたエドワードは、敵国へと送られることになったのだ。それは、彼を憎む王妃の指示だった。だが、エドワードは紛れもなく、王家の一員だ。国王陛下や王太子殿下になにかあった時、後を継ぐのは、エドワードなのだ。なんとか守らなければならない。苦肉の策として出されたのが、同年代の供として少年をひとり選び、その子と入れ替えることだった。敵国での有事に、いっときでも目くらましにはなる。
「それが、僕ってわけ。孤児を連れて行こうと思ったらしいが、貴族としての基礎知識がないのは困る。そんな時に、家族を事故で失い、父の友人であるダルトン伯爵に引き取られることになった僕が現れた」
ダルトン伯爵は、エドワード擁護派だった。彼の提案で、ふたりは一緒に敵国へと向かうことになる。ただし、身分を入れ替えて。
「レイモンドは養子縁組と同時に、改名したことにした。わたしは世間に秘密にされていた存在だ。わたしの名など、知っている者は少ない。入れ替わりに気づいた者はいなかった」
「帰国してすぐに戻すこともできたけどね。いざ帰ってみると、王妃に苦しめられた者たちが反王太子派となっていることを知ってね。“アーヴィン侯爵”を担いで彼を次期国王にと目論んでいる者がいるという情報があった。だから、このままにしていたんだよ」
やっと状況が呑み込めたヴィヴィアンが、ハッと顔を上げる。
「では……では、この度のアーヴィン侯爵の婚約者というのは……」
「アーヴィン侯爵は、わたしだよ。ヴィー。――長く待たせてしまったね。すまない」
エドワードの言葉に、ヴィヴィアンは堪らずに涙を零す。嬉しさで胸がいっぱいになり、言葉が詰まる。
「で、でも……っ。昔の、約束を、覚えていないと……仰ったではありませんか」
「昔ではないよ。確かにあれから時は経ったが、わたしにとっては今現在も進行中だ。ずっと、わたしの中で息づいている話だ」
「でも、でも……エドワード様には、クロエ様がいらっしゃるでは、ありませんか……!」
「私が、なんですか?」
壁際に控えていた警備兵が急に声を発し、ヴィヴィアンは心臓が飛び出るかと思うほどに驚いた。
見れば、豊かな髪をぴっちりと結い、化粧を施していないクロエがそこにいた。
「く、クロエ様!?」
「様はお止めください。ヴィヴィアン様。私は一介の兵ですので」
「え? え? で、でも……外国の貴族のご令嬢、だと……」
「クロエは、エドワード様が雇った女スパイだよ。クロエは貴族のご令嬢になりすまし、敵国に潜入していたんだ。それに途中で気づいたエドワード様は、敵国の敗戦が決まった時、その戦いで主人を失ったクロエの、新たな主人となった」
「え? え? す、スパイ?」
「その役目を、この国でもしていたまでです」
ポカンと口を開けてクロエを見つめるが、クロエは表情ひとつ変えることなく、キビキビと答える。その口調は、ドレスを纏っていた時のものではなかった。
呆けていたヴィヴィアンの肩に大きな手が乗ったかと思うと、ヴィヴィアンの身体は反転していた。
「疑問は全て解消したかい?」
「は、はい」
「それじゃあ、ヴィー。ちゃんとした返事をもらえる? わたしは、君に妻になってもらいたい。幼い頃の約束を守りたいってだけじゃない。――君を、心から愛しているんだ。ヴィー、結婚してくれるね?」
「――はい!」
精一杯の笑顔でそう返すと、エドワードが腕を広げてヴィヴィアンを抱きしめた。
「やっと……やっとだ。やっと、わたしは家族を取り戻した……」
「エドワード様……」
ヴィヴィアンは照れながらも、エドワードの背中に手をまわし、ぎゅっと抱きしめる。
苦しかった恋が、ようやく報われた瞬間だった。
どれほどの時間が経っただろう。痺れを切らしたレイモンドがコホンと咳払いをするまで、ふたりは抱き合ったままだった。
「……なんだ、レイモンド」
「なんだじゃないですよ。僕を睨まないでください。陛下がお待ちです」
ヴィヴィアンの耳元で、チッと舌打ちが聞こえたと思ったら、そっと身体が離れた。それがあまりにも寂しくて、ヴィヴィアンはついエドワードの服を掴んでしまった。驚いたように目を丸くしたエドワードを見て、ヴィヴィアンは自分がしたことに気づいて、ようやく手を離す。
「ご、ごめんなさい」
「いや。嬉しいよ、ヴィー。だが、先に面倒なことを済ませてしまおう。待たせると難しい人だからね」
「あ、あの……陛下はとても厳しいお方なのですか?」
「いいや、むしろ逆だな。母によく似たわたしが可愛くて仕方ないのだそうだ。――そんな可愛がられる年でもないんだがな」
そう照れくさそうに話すエドワードが、ヴィヴィアンは少し可愛く見えた。
「さあ、行くか。お手をどうぞ、姫」
「はい、殿下」
にっこりと微笑みあうと、ヴィヴィアンは、エドワードの腕に手を絡ませた。
胸がドキドキする。足はふわふわと軽く、まるで雲の上を歩いているようだ。
子供の頃からずっと、心の中にいたエドワードが隣にいる。ヴィヴィアンは天にも昇る気持ちだった。
こうして、ヴィヴィアン・アンブラー男爵令嬢の、長い長い婚活が終わった。
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