第22話差し出された手

 青空の下、太陽の光に眩しく光る金髪が揺らめく。

 明るい緑色の瞳は、ヴィヴィアンを捉えると、柔らかな瞳が弧を描いた。

 胸には先の戦争の勝利で授与された勲章が下がり、襟には紋章をモチーフとしたバッジが煌めく。

 細身の仕立ては長身を際立たせ、まるで絵画の世界から抜け出してきたようだ。この姿を見たら、誰でも見とれ、吐息を零すだろう。恋に落ちてしまうご令嬢も多いに違いない。ソフィアもまた、そのひとりだったのだろう。ヴィヴィアンも、このようなレイモンドの姿につい見とれてしまいそうになる。だが、ヴィヴィアンはそんなレイモンドの姿に少し違和感を感じた。


(なにかしら……なんだか、おかしいわ……)


「ヴィヴィアン、怪我はどうだい? なかなか返事をくれないから、会いにきてしまったよ」


 あっという間にヴィヴィアンの目の前にやってきたレイモンドが、明るい声でそう言うと、ヴィヴィアンはハッと我に返った。

 それにしても、なぜレイモンドはここにやって来たのだろう。しかも、正装で――。


(まさか、ね)


 そんなことあるわけがない、と考えたことを無理矢理打ち消すと、ヴィヴィアンは顔に笑顔を貼りつけた。


「遅くなってごめんね。君を迎えに来たよ」

「迎えに……? あの……なんのことでしょう?」


 恋人役は終わったはずだ。残念ながら候補者は全て選外となったわけだが、反国王派を大人しくすることもできたし、結果的には成功といえよう。

 依頼が原因でヴィヴィアンが怪我をしてしまったことなら、確かに想定外だったはずだが、それでも見舞に訪れたなら理解できるが、迎えに来る理由が見当たらない。それに、怪我はほぼ治っている。それこそ、あの日々が本当に夢だったのではないかと思うほどに。

 レイモンドの言わんとすることが分からず、ヴィヴィアンが応えあぐねていると、彼は優しい手つきでヴィヴィアンの手を取った。


「今から、宮殿に一緒に来てくれるかい?」

「え? な、なぜですか?」


 急に“宮殿”と言われ、ヴィヴィアンの心臓は飛び出そうなほどに驚いた。

 なにかとんでもないミスを犯してしまっただろうかと、グルグル考えるが、なにも思い当たることはない。


「言っただろう。君の結婚相手を探す手伝いをするって」

「そ、そうですけれど、だからと言って宮殿……ですか?」

「そうだよ。ねえ、君、カーラと言ったっけ。悪いけど、急いで準備をしてもらえるかな?」


 急いで、と言われても、なによりもまず気持ちがついて行かない。それが顔に出てしまったのか、笑顔だったレイモンドが急に真顔になった。


「修道女になる、なんて、言わせないよ?」

「――!! それを、どうして……」

「クロエから聞いたよ。――どうして、そんな大事なことを、勝手に決めるの? 僕たちは確かに契約で結ばれた縁かもしれない。だけど、それは寂しすぎるよ」


 自分がとてもずるい人間になったような気がして、ヴィヴィアンは俯いた。

 気乗りしないが、行き先が宮殿ではついて行かないわけにはいかない。ヴィヴィアンはカーラに急き立てられ、自室へと向かった。



 * * *



 宮殿に着くと、ヴィヴィアンは明るいサロンへと案内された。

 座って待っているようにと言われるが、椅子もテーブルも置物も、全ての調度品がそれは見事で居心地が悪い。椅子などは座面と背もたれに金糸銀糸で繊細な刺繍が施されている。ここに座るのは勇気が要った。


「どうしたの? さあ、座って」

「は、はい」


 レイモンドに言われ、ようやく腰を下ろすと、目の前にお茶菓子と花の香りがする紅茶が置かれた。

 ヴィヴィアンとしては、緊張でなにも喉に取らない状況なのだが、レイモンドは至って落ち着いていた。レイモンドにとっては、長く住んでいなかったからと言って、自宅のようなものなのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。そんなことに気づき、ヴィヴィアンは改めて、レイモンドとの身分差を思い知った。


「これ、僕のお気に入りの紅茶なんだ。ほのかにバラの香りがするでしょう?」

「い、いただきます」


(カップも高価そう……ていうか、絶対高いわ。持つのが怖い!)


 恐る恐るカップを持つが、ふるふると震えてしまう。なんとか喉に流し込むが、当然味なんて分からなかった。


「ね?」

「は、はい……」


 カチャカチャと、不器用なほどに震えながらカップを置くと、鼻にふわりとバラの香りを感じた。


「……あ、バラの香り……」

「そうでしょう? ――落ち着いた?」

「はい、少し……」


 どうやら、紅茶はヴィヴィアンの緊張をほぐすために、レイモンドが用意させたようだった。

 一度喉を潤せば、緊張で乾いていたことに気づく。今度はしっかりした手つきでカップを持ち上げ、バラの紅茶を味わった。

 落ち着いたと言っても、今この状況に少し馴染んだというだけで、今から何が起こるのか、不安はぬぐえない。ヴィヴィアンは恐る恐るレイモンドに尋ねた。


「あの……わたくしは、今日ここで一体なにをするのでしょう?」

「正式な、婚約者候補が決まったんだよ。アーヴィン侯爵夫人になる人がね。やっと、陛下のお許しももらえたんだ」


 ヴィヴィアンは、今日自分の身に一体なにが起こるのかを聞いたつもりなのだが、返ってきた答えは、レイモンドの婚約者が決まったということだった。だが、めでたいことは確かだ。候補者が続々と脱落し、一体どうなることかと心配していたこともあり、ヴィヴィアンは手放しで喜んだ。


「まあ! それは、おめでとうございます」

「少し、手こずってしまったけれど、やっと、決まったんだ」

「どなたなのですか?」


 レイモンドは、ヴィヴィアンを優しい眼差しで見つめた。


「君だよ。ヴィヴィアン・アンブラー男爵令嬢」


 あまりの驚きに、ヴィヴィアンは口をあんぐりと開けたまま、何も言えなかった。


「ヴィヴィアン? 大丈夫? 聞こえているかい?」

「あ、あの、わ、わたくし……わたくしなど、そんなはずは……」

「どうして、そんなに戸惑っているの? ……喜んでくれないの?」


 レイモンドの声が次第に小さくなり、最後には掠れてしまった。


 なぜ、そんなに寂しそうに言うのだろう? レイモンドにはもっと相応しい相手がいるはずだ。貴族院の末席にかろうじて名前があるような、貧乏男爵の娘が選ばれていいはずがない。


「レイモンド様には、もっと相応しい方がいらっしゃいます。わたくしなんかよりも、もっと素敵なご令嬢が――」

「いたね、候補者が何人か。でも、結果的には誰ひとり残らなかった。君だって知っているじゃないか」

「ですが――、わたくしよりも、もっとお美しく、洗練されていて、教養があり、堂々とした佇まいの方はたくさんいらっしゃいます。わたくしなどでは、とても――」

「そんなに、嫌かな……?」


 レイモンドは相変わらず、笑顔を浮かべている。だがその笑顔が、泣きそうな顔に見え、ヴィヴィアンは言葉を飲み込んだ。


「立場とか、教養とか、立ち居振る舞いとか、そんな上辺だけの話じゃないんだよ。大切なのは、気持ちでしょう?」

「きもち、ですか?」

「僕は、ヴィヴィアン、君が好きだよ。だから、君に、この手を取って欲しい」


 あろうことかレイモンドは椅子から立ち上がると、ヴィヴィアンのすぐ近くにやって来て、跪いた。そして、驚き目を見開くヴィヴィアンに、手を差し伸べた。


「レイモンド様……!」


 ヴィヴィアンはまるで金縛りにあったかのように、身体が動かない。ただ差し出された手と、レイモンドの顔を交互に見るだけだった。


 この手を取れば、両親は安心するだろう。それは容易に想像できる。

 行き遅れだと言われ、世間からバカにされていたヴィヴィアンが、やっと見初められたのだ。しかも、王弟であるレイモンドに。驚きはするだろうが、その顔はすぐに祝福の笑顔に変わるだろう。

 それは分かっているが、ヴィヴィアンは動くことができなかった。

 この手を取れば、エドワードはどう思うだろう? ホッとするだろうか、それとも、少しは戸惑うだろうか。

 この手を取れば、エドワードを近くに感じることになる。クロエに微笑み、クロエの手を取るエドワードを、ヴィヴィアンは近くで見続けることになる。それにヴィヴィアンは耐えられるだろうか。

 レイモンドとエドワードは、敵国に送られた幼少期から、兄弟のように育ってきた仲だ。周りが敵だらけの厳しい環境では、数少ない友人だったはずだ。勿論、帰国後も常に一緒にいるその光景から、ふたりの絆の強さが分かる。それは、それぞれが結婚してからも変わらないだろう。

 ヴィヴィアンの心には、まだエドワードがいた。

 何度忘れようと思っても、何度諦めようと思っても、エドワードの存在は大きく残っている。

 こんな状態では、今レイモンドが自分に向けてくれている想いに見合った感情を、彼に返せる自信がない。

 この手を、取ってはいけない。こんなにまっすぐな想いを向けてくれるレイモンドを、裏切ってはいけない。ヴィヴィアンは勇気を出して唇を開いた。


「ごめん、なさい……。レイモンド様……わたくし――」

「僕じゃ、ダメかな? どうしても、ダメかな。僕では、君を笑顔にすることはできない?」

「そんなことは――! わたくしには、勿体ないお話です。ですが……わたくしに、その権利はございません」


 まっすぐにヴィヴィアンを見つめていたレイモンドの瞳が、悲しげにゆらゆらと揺れる。だが、ヴィヴィアンもまた、目を潤ませながら、その目をしっかりと見つめ返した。ここで視線を逸らしては、想いを伝えてくれた彼に失礼だ。ほんの数秒が、長く感じた。先に視線を外したのは、レイモンドだった。項垂れたように俯くレイモンドの姿に、ヴィヴィアンの胸が痛む。レイモンドは跪いたままで、見おろす恰好となったヴィヴィアンには、その表情を窺い知ることはできない。レイモンドの柔らかな金髪が、かすかに揺れているように見えた。


「申し訳ありません。わたくしがこのような返答をする資格がないことも、重々承知しております。わたくしは、やはり修道女に――」


 すると、突然レイモンドが顔を上げた。その瞳には、力が戻っている。


「それはダメだ。ヴィヴィアン、君には一緒に来てもらうよ」

「え?」


 そう言って立ち上がると、レイモンドはヴィヴィアンの手を取り、彼女を立たせた。そして、状況が飲み込めずにポカンとしているヴィヴィアンの手を引き、歩き出した。

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