第18話誘い

「ソフィア様……ですが、ソフィア様のお屋敷も、王都の中心部でしたわよね?」


 伯爵位とはいえ、レイモンドの婚約者候補に名前が挙がる程の名門家のご令嬢だ。

 リルバーン家の街屋敷は、宮殿近くの大通りに面した、一際目立つ大きなお屋敷のはず。それくらいの知識は、上流貴族と付き合いの薄いヴィヴィアンですら、わかるほどだった。


「実は改装中ですの。それで、今は郊外の別宅に滞在しておりますのよ」


 そう言ったソフィアの口から出た地域は、ヴィヴィアンの屋敷とほど近い場所だった。

 だが、社交シーズン真っ只中に、主人が滞在する街屋敷が改装中とは一体どういうことだろう。本来ならば、主人が領地に戻った不在の間におこなわれるようなものだ。それにはクロエも疑問を感じたようだった。


「社交シーズンですが、お屋敷を改装なさっているのですか? それは色々とご不便がおありでしょう」

「ええ……本当はこの社交シーズンが終わってからの予定で、話を進めていたようなのですけれど、実はわたくしに急な縁談話が入りまして、急遽おこなうことになったのです」


(え、縁談!?)


 ヴィヴィアンは驚いた。

 それもそうだろう。先ほどクロエには言いそびれたが、エドワードの計画で会うように仕向けられた婚約者候補の中でも、唯一残っていた候補者がソフィアだったのだから。それが、縁談話が出ているというではないか。レイモンドとエドワードの様子から、レイモンドの相手がソフィアに決定したとは思えなかった。それならば、今日この場に恋人役としてヴィヴィアンが呼ばれるのもおかしい。ということは、ソフィアに持ち上がった縁談話は、相手がレイモンドではないということになる。


(待って! 待って待って待って! それは、誰!?)


 ぐるぐると思考が巡る。それが顔にも出ていたのか、クロエがソフィアに断りを入れて、ヴィヴィアンを少し離れた場所に連れ出した。


「ヴィヴィアン様、どうなさったのですか?」

「あの方なんです。レイモンド様の婚約者候補に唯一残ってる方なんです」

「――え?」

「わたくし、ソフィア様の馬車に乗せていただきますわ。今のお話ですと、レイモンド様ではない、どなたかと縁談話が持ち上がっているようではありませんか。わたくし、調べてまいりますわ!」

「そういうことでしたら、後からレイモンド様にお聞きすればよろしいのでは――」

「いえ、わたくしの任務は今日この時までですわ。おふたりにソフィア様をおすすめして、それで終わるはずでした。そうすればわたくしも……」


 そこでふいに言葉が止まる。

 「わたくしも――」なにを、言おうとしたのだろう。そこから先を想像しようにも、映像は途切れてしまう。だが、察しのいいクロエがその先を引き継いだ。


「――これが終わったら、エドワード様が、ヴィヴィアン様によいお相手を探してくださるのですよね」


 クロエは事実を述べたまでだ。それなのに、ツキンと胸の奥が痛む。

 この依頼を受けた理由は、行き遅れの貧乏貴族から抜け出したかったからだった。計画への協力と引き換えに、ヴィヴィアンにとびきりの縁談を持ってくると、エドワードは約束したのだ。ヴィヴィアンの将来を案じた両親は、喜んだ。国の英雄となったエドワードが持ってくる縁談。それも、彼は幼い頃からヴィヴィアンを知っている。娘に合った相手を連れて来てくれるだろうと、賛成したのだ。

 でも、それはとても虚しいものに思えた。

 本当に、それが自分の望んだ未来だったのか――エドワードと再会して以来、ヴィヴィアンの環境はガラリと変わった。刺激的な日々の中で、幼い日の恋心が疼いた。それなのに、待っているのは見知らぬ男性との縁談だ。

 最初はそれを望んでいたはずなのに、今となってはとてもではないが、考えられない。

 ヴィヴィアンは小さく首を振った。


「そういうお約束でしたけれど――わたくし、今はそういう気分にはなれませんわ」

「え? では……なにか他にお考えがありますの? ……既にどなたか意中のお相手がいらっしゃるとか……」

「いいえ、まさか。例えば……そう。修道女ですとか。そういう道もあると思うのです」

「しゅ、しゅ、しゅ――!?」


 ヴィヴィアンの発言に余程驚いたのか、いつも冷静なクロエは唇を尖らせて「しゅしゅしゅしゅ」と連呼している。だが、当のヴィヴィアンはようやく答えを見つけたかのように、どこかスッキリとしていた。

 いつも、どこかでエドワードを求めていた。

 流行りのドレスが着れなくても、夜会で壁の花になることが常でも、そこにエドワードがいないのだから、そこまで悲観的にはならずに済んだ。

 レイモンドとの関係も、契約上のものだ。レイモンドが気にかけてくれるのも、自分が恋人っぽく振る舞えていないためだろうと思われた。

 この計画が終わったら、約束通り、エドワードはヴィヴィアンに縁談を持ってくるだろう。それは自力ではたどり着けないような良縁に違いない。でも、それは両親や周りの人間が思う“良縁”だ。ヴィヴィアンにとっては、違う。

 自分の本心に気づかないままに、誰かが目の前に現れて、ダンスを申し込んでいたなら、きっとこの手を預けただろう。物足りなさを感じても、こういうものなのだろうなと、結婚したに違いない。

 でも、もう遅いのだ。

 ヴィヴィアンは自分の本心に気づいてしまった。エドワードへの想いも、エドワードの気持ちも、そして自分の人生すべてを賭けてエドワードの元にやってきたクロエのことも。

 ふたりの仲には入れない。諦めて、応援すると心に決めたではないか。いっそクロエが嫌な女性だったらとも思ったが、エドワードが選んだ女性だ。嫌な女のわけがない。それならば、受け入れるしかない。自分が、身を引くしかないのだ。だが、このままこの想いを抱えたまま、他の人と結婚できる程器用でもない。しかも、これからは彼らと顔を合わせることもあるのだ。その度に心を乱していては、結婚相手にも悪い。

 上位貴族であるエドワードたちと、このように親しい関係でいられるのは今日が最後かもしれない。そのことは数日前からずっと頭にあった。責任の重さから、早くこの任務から解放されたいという思いと同時に、彼らと離れがたい思いもあり、それが交錯していた。修道女はとっさに口にした言葉だったが、それも選択のひとつである気がした。なにより、心にストンと落ちてきた。


「ヴィヴィアン様。そ、その、修道女というのは一体どういうことですの!?」


 我に返ったクロエが焦ったように語尾を強めた。


「いえ、そういうのも可能性として、というお話で……」


 ヴィヴィアンがクロエの勢いに押されて慌てていると、遠慮がちな声が聞こえてきた。


「あの……、お話中申し訳ございません。わが家の馬車の用意が出来たのですけれど……ヴィヴィアン様、いかがなさいますか? あの……お嫌でしたら、断っていただいてよろしいのよ?」

「いえ、嫌だなんてそんなことはございませんわ!」


 慌ててソフィアの言葉を否定すると、ソフィアははにかんだ微笑みを見せた。そんな少しの表情の変化に、ヴィヴィアンはホッとする。先日のお茶会でも感じたことだが、ソフィアはどうも表情が乏しいようだ。そのソフィアが微笑みを見せ、ヴィヴィアンに相談したいと言っているのだ。ヴィヴィアンとしても、是非力になりたいと思った。


「そうですの? では……是非ご一緒に。実は、今回の縁談のことで相談に乗っていただければと思いましたの……。わたくし、年の近いお友達が少なくて……」


 そういえば、元々ソフィアを紹介してくれたのも、ソフィアにとっては母親ほどに年の離れた、ヴァルキリー侯爵夫人だった。上流貴族にも、それなりの付き合いの難しさがあるのかもしれない。


「わたくしで良ければ、お話相手になりたいですわ」

「ヴィヴィアン様……」


 クロエの声は、諦めたのように小さくなる。ヴィヴィアンはクロエを安心させようと、彼女の両手を握りしめてから、ソフィアの馬車に乗り込んだ。



 * * *



 ガタガタと揺れながら、馬車は郊外に向けて走った。華やかな雰囲気をまとった公爵邸が遠ざかると、急に静寂が訪れる。やはりあの煌びやかな夜会は夢だったのではないかと思えるほど、スーッと肌の火照りが冷めた。

 同じことを思ったのだろうか。ソフィアもまた、遠くに見える公爵邸を一瞥すると、馬車の窓にカーテンを下ろした。

 車内に吊り下げられたランプが、車体の揺れとともに左右へと明かりを振る。向かいに座っているソフィアが何も話さず、ただじっとしていた。


(相談があるのではなかったのかしら……)


 そう思ったが、聞いたところで、自分がじょうずに答えられるはずもない。

 縁談というデリケートな問題だ。きっと、話をするにも心の準備がいるのだろう。それに、もしかしたら気が変わったのかもしれない。こちらから聞くのは止めようと、ヴィヴィアンは静かに視線を下ろした。

 どれ位の間黙っていただろうか。

 車体の揺れが、随分と大きくなってきた。ランプは揺れる時にキ、キッと金具が擦れる音を出した。

 郊外に向かうにつれ、道は悪くなる。男爵家の馬車ではお尻が痛くなる頃だが、さすが名門リルバーン伯爵家の馬車だ。座席のクッションは分厚く柔らかで、しっかりと揺れを吸収していた。


(それにしても、揺れるわね……)


 今、どのあたりだろう。

 失礼かとも思ったが、ふとそんなことが気になってカーテンに手をかけようとした時、ソフィアが静かに口を開いた。


「わたくし、縁談話が出ておりますの」

「え、ええ。それは……おめでとうございます」

「ありがとうございます。ですが、困ったことがございますの」

「まあ、なんですか?」

「わたくしと彼の間を邪魔する者がおりまして……。わたくしと彼は想い合っておりますのに、その者のおかげで、会うことも難しいのです」

「まぁ……」


 なんということだろう。

 目の前のソフィアは、悲しげに肩を落とした。

 縁談の相手とは相思相愛だということは、やはりレイモンドに好意を抱いているという情報は間違いだったのだろうか?

 政略結婚が多い貴族社会に於いて、想い合う同士が結ばれることは、奇跡といえる。縁談ということは、両家の親もその結婚を望んでおり、国王の許しも得ているはずだ。なんの障害もないはずなのに、邪魔をする者がいるとはなんとも恥知らずなことだ。


「ソフィア様とそのお相手の方は想い合っていらっしゃるのでしょう? 国王様のお許しも出ているのでしたら、その邪魔は排除できるのではないですか?」

「ええ。ですから、排除しようと思いまして」

「え? ――キャァ!?」


 馬車がガタンと大きく跳ねる。その勢いに、ヴィヴィアンは床に投げ出され、尻を強かに打った。

 さすりながら視線を上げると、席に座ったまま、ソフィアが冷たい視線を向けていた。


「レイモンド様とわたくしは、想い合っておりますのよ。ですからわたくし、あなたが邪魔ですの」


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