第17話候補者たち
楽団が演奏を始め、人々がパートナーを求めてそわそわしていると、レイモンドたちが戻ってきた。
既に背の高い赤毛の青年に声をかけられていたクロエは、エドワードの姿を見てホッとする。
「……失礼。君は?」
「あっ、いや。僕は……」
さきほどまで笑顔を浮かべていた赤毛の青年は、エドワードの鋭い視線を受けて顔を青くすると、モゴモゴと言葉にならないなにかを発して慌てたように立ち去った。
「クロエは美しいからね。きっとお近づきになりたかったのだろう」
レイモンドの言葉に、クロエは困ったように眉を下げた。
確かにクロエは美しい。この国にも美しいご令嬢やご婦人はたくさんいる。だが、クロエの美しさは彼女たちとは印象が違うのだ。
クロエは大人しく、目立とうと言う素振りは見せない。それは敵国に捕らわれていた過去が、そうさせるのかもしれない。だが、そんな辛い日々でもクロエは自分の身を守るために、剣術を身に着けた人物だ。どこか堂々としたその佇まいは、自然と視線を引く。
砂糖菓子のような甘さのある令嬢たちの中では、凛としたクロエの雰囲気が際立っていた。男性の中には、守りたいと思わせるご令嬢よりも、クロエのような佇まいの女性に憧れる人もいるのだろう。
羨望の眼差しを向けていると、レイモンドがヴィヴィアンに話の矛先を向けた。
「ヴィヴィアン、君は大丈夫だったかい?」
「え? ええと、はい……あの、わたくしは全然……」
そういえば、このような夜会の場でエスコートする男性が見えないとなれば、声をかけられないことの方が問題なのだった。レイモンドは純粋に、心配してくれているだけのようだが、ヴィヴィアンは居心地悪そうに曖昧に返答した。
隣では、エドワードがクロエに、先ほどの男性を知っているのかと、問いつめている。
赤毛の男性はエドワードを見て、尻尾を巻いて逃げて行ったのだから、そんなに気にすることでもないだろうに――そんなにも、彼がクロエを誘ったことが気に入らないのだろうか?
そう思うと、ヴィヴィアンは小さくため息をついた。
「ヴィヴィアン」
「え……っ」
ふいに手を引かれ、あっという間にレイモンドの腕の中に閉じ込められた。
慌てて顔を上げると、拗ねたような緑色の瞳にぶつかった。
「僕といる時は、僕だけ見て。そう、言ったよね?」
「レイモンド様……」
言いかけた言葉を封じるように、背中に回された手に力がこもり、ヴィヴィアンはぶつかるようにレイモンドの胸に頬をつけた。エドワードの姿がレイモンドの肩に隠れ、見えなくなる。
(なにを、しているんだろう。わたしは……。忘れなきゃいけないのに。これは、お芝居なのに)
強引に始まったダンスに、ヴィヴィアンはなんとか足を動かした。
ヴィヴィアンの意識がこちらに向いていないと知ってか、レイモンドは更にヴィヴィアンを引きよせた。
レイモンドの息が耳にかかり、ヴィヴィアンは慌てたように声をあげた。
「レイモンド様……!」
「やっと、僕を意識してくれた?」
そのままの体勢で話し出すので、耳がくすぐったくて仕方がない。
「ちかい、です……! レイモンド様――!」
「だって、僕は君に恋をしているんだよ? この夜会では、それをクリスティーン・エイヴォリーの前で見せなければならないんだ。そうでしょ?」
それは今更必要のない行為だったはずだ。
この夜会は、クリスティーンの婚約発表の場でもある。クリスティーンの想いがレイモンドにないとわかった時点で、こんな行き過ぎた芝居など無駄でしかない。
「――それとも、エドワードの視線が気になる?」
「そ、そんなこと、ありません」
「そうだよね? エドワードにはクロエがいる。ああ、ほら。今楽団のすぐそばにいる」
ふ、と力を緩められ、思わずそちらを向いてしまったことを、ヴィヴィアンは後悔した。
ピッタリと体を密着させて、優雅に踊るふたりの姿が目に入った。
クロエはエドワードの肩に頭を預けている。その姿に、いつもの凛とした雰囲気はなく、ひとりのかよわい女性に見えた。
ジクリと胸が痛む。鼻の奥がツンとし、ヴィヴィアンは慌てて視線を外した。
* * *
夜会はこの日の主役、クリスティーンとアントニーが中心となって夜遅くまで賑やかだった。
音楽は鳴り響き、人々の笑い声は絶えない。そんな雰囲気に疲れ、ヴィヴィアンはバルコニーへと足を運んだ。
レイモンドとエドワードは、エイヴォリー公爵につかまっている。
本当はひとりになりたかったのだが、当然のようにクロエがついてきた。
外に出ると、中の熱気とは違い、少し冷たい風が頬にあたる。急激な温度変化に、思わずぶるりと震えると、クロエが心配そうに話しかけてきた。
「大丈夫ですか? 外は冷えますでしょう。中に戻りませんか?」
「いいえ。大丈夫ですわ。むしろ気持ちいいくらいです」
手すりに近づき、大きなガラス扉越しに中を見ると、室内のにぎやかさが見てとれる。
ガラス1枚隔てただけで、中の喧騒は丸聞こえだが、それでも随分と冷静になることができた。それはクロエも同じようで、すっかり凛とした雰囲気に戻っていた。
「疲れましたか?」
なおもヴィヴィアンを気遣うクロエに、ヴィヴィアンは首を横に振った。
「このような大きな夜会は、初めてですの。やはりわたくしは馴染めませんわ」
「いつもはどのような?」
「もっと、こじんまりとしたものです。わたくしの家は貴族とは名ばかりの貧乏な田舎者で、流行りも知らず、親しい方も少なくて――それででしょうか。いつも壁の花で、このような注目を浴びることなど、今までの人生ではなかったのですわ。ですから少し、気疲れしてしまったのかもしれません」
「ヴィヴィアン様は、とても魅力的な方ですのに、壁の花だなんて……いくらなんでも」
「え?」
「いえ、その……わたくしはこのような自由な身で、夜会に出ること自体が初めてですので……少し、お気持ちはわかります」
そうだった。クロエは捕らわれの身だったのだ。夜会に出ることはあっても、そこは人質同然。人形のように振る舞うしかなかったはずだ。そんなクロエに対して、こんな話をしてしまって情けない。ヴィヴィアンは気を取り直して、なんとか空気を明るくしようと、話題を変えた。
「で、ですが、これからは自由に夜会を楽しむことができますわ。先ほどのダンスもとてもお似合いで――」
そこまで言ったところで、クロエが苦しそうに顔を歪めたのが分かった。
辛い過去を思い出させてしまったようだ。ヴィヴィアンは慌てて他の話題を探した。
(故郷の話――ダメよ! 一番ダメな話題だわ! ええと……ええと……)
考えを巡らしても、そもそもふたりには接点は少ない。
好みや趣味の話をするほど、まだ親しい話をしたこともないし、結局話題はレイモンドの婚約話になった。
「ええと、きっとこれが最後になると思いますし……そう思うと、緊張しましたが今回の夜会はとてもいい経験になりましたわ」
「え? 最後――ですか?」
なぜかクロエが不思議そうな顔をしている。
今回のターゲット、クリスティーンは、最後にして最有力の候補者だったはずだ。それが、調べるでもなく向こうから舞台を降りてきた。もう、ヴィヴィアンはお役御免ということだ。
「候補者の方々はこれで全員のはずですわ。わたくしの役目は終わりました」
これでやっと、普段の生活に戻れる。
少し寂しいけれど、今度こそ、自分の身の振り方を本腰を入れて考えなければ。
「そうですか……。候補者の方とは全員お会いになりましたの……」
「はい」
「レイモンド様に、お似合いの方はいらっしゃいました?」
「ええ……おひとりだけですが」
ヴィヴィアンの言葉に、クロエが器用に片眉を上げて見せる。
そういえば、クロエを紹介されたのは途中からだった。彼女はソフィアの存在は知らないだろう。
「その方は――」
クロエの言葉は、レイモンドとエドワードの登場に遮られてしまった。
ふたりもまた、外の冷たい空気にあたり、ホッとしたような顔をしている。
「随分と探したよ」
「まぁ。ごめんなさい」
「ヴィヴィアン様が、少し人に酔ってしまわれたようで……」
クロエがうまく取り繕うと、レイモンドは心配そうに眉を顰めた。
「大丈夫かい? あぁ……すぐにでも送って行きたいところなのだけれど……」
「すまない。エイヴォリー公爵と、別室で話をする約束を取り付けたんだ。人目のないところで彼と話せる機会はそうそうない」
エドワードのその口調から、またすぐにそちらに向かうのだと分かった。
「いいえ。お気になさらないでくださいませ」
「だが、このまま広間で待ってもらうのも申し訳ない。そろそろ帰宅するご婦人たちも出てきたようだ。君たちも先に戻るかい? 警護の者も情報収集のため動かしているし、その方が、僕たちも安心だ」
言われてみれば、先ほどに比べ、室内の雰囲気は落ち着いたものになっていた。そろそろ夜会も終盤ということだろう。
この中で、先に帰ってもおかしくは見えないだろうと思われた。
「では……そうさせていただきましょう。ね? ヴィヴィアン様」
「え、ええ……」
ここにいては邪魔になるのだろう。
戸惑いながらも、クロエの言葉に頷いた。
屋敷を出ると、既に何人もの人が馬車に乗り込んでいる。少しして、エドワードとクロエが乗ってきたダルトン伯爵家の馬車が現れた。
「では、お送りしますわ」
「えっ? でも、それでは遠回りになってしまいますわ。逆方向ですのに」
クロエが向かうのは、王都の名だたる貴族が町屋敷を持つ宮殿近くだ。だが、貧乏貴族のアンブラー家は、郊外に屋敷を構えている。
てっきり、乗って来た馬車にそれぞれ分かれて乗るのだと思っていたのだが、クロエの考えは違っていたらしい。
「あの……アーヴィン侯爵家の馬車は……」
「それは、レイモンド様とエドワード様がお使いになるでしょう。お屋敷が逆方向だなんて、そんなことはお気になさらないでくださいませ」
「ですが……クロエ様もお疲れではないですか?」
「ヴィヴィアン様。よろしければ、わが家の馬車でご一緒しませんこと?」
迷っていたヴィヴィアンに、背後から声がかけられる。驚いて振り返ると、そこにいたのはソフィア・リルバーンだった。
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