第16話夜会の真相

 エイヴォリー公爵邸は、街屋敷の敷地全体がライトアップされ、参加者たちもどことなく浮足立っている。

 夕刻になり、空がほんのり薄暗くなった庭のあちこちにも明かりがともされ、綺麗に整えられた庭も自由に歩けるようになっていて、既に何人かが庭を散策していた。

 夜会が始まる時間にはまだ余裕があったが、屋敷の入口には多くの馬車が到着しており、混雑している。


「こんなに大きな夜会は、初めてです」


 ヴィヴィアンは、この光景に目を丸くした。

 これ程の規模は、社交界デビューの時に参加した、宮殿の舞踏会以来かもしれない。勿論、建物の豪華さや華やかさは宮殿の方が勝るが、あの時はヴィヴィアンと同じデビュー組がいたので、ヴィヴィアンひとりがここまで注目されることはなかった。

 馬車の中から顔を覗かせていたヴィヴィアンは、キョロキョロと辺りを見渡した。


「すごいですよ! ほら! あんなに広大な庭の隅々まで、こんなに綺麗に――」


 興奮気味に、いつもより早口になっているヴィヴィアンを、レイモンドは目を細めて見つめている。その視線に気づき、ヴィヴィアンは気まずそうに口を閉じた。


「どうしたの?」

「い、いえ……。わたし、はしゃぎすぎですよね、すみません」

「どうして謝るの?」

「今日は大事なお役目があって参加するので、もっと気を引き締めないと……」


 すると、レイモンドの顔からは笑顔が消えた。


「――どうして、そんな寂しいことを言うの?」

「……それは、その……」

「君は、僕の想い人なのだから、もっと堂々としていて」


 困ってうつむいたヴィヴィアンの手に、レイモンドの大きな手が重なる。


「……ね? いい?」


(役よ。“想い人役”。勘違いしちゃだめよ、ヴィヴィアン)


 自分にそう言い聞かせて、ヴィヴィアンは小さく頷いた。


 やっと順番が回ってきて、馬車の扉が開けられる。

 一台前の馬車にはエドワードとクロエが乗っており、到着したヴィヴィアンたちを待っていた。

 エドワードとクロエはしっかりと腕を組み、顔を見合わせてなにやら語り合っている様子に、チクリと胸が痛んで、そっと目を逸らした。

 レイモンドはそんなふたりを気にした様子もなく、話しかける。彼にとっては、日常的な場面なのだろう。


「それにしても、すごい規模ですね」

「ああ。エイヴォリー公は堅実な方という世間の噂にはそぐわないな」


 主賓の挨拶の時刻が近づき、色とりどりに着飾った参加者たちが広間へと向かう。ヴィヴィアンたちもまた、その波に加わり、歩き出した。


「まぁ。あちらはレイモンド様ではなくて?」

「では、隣にいらっしゃるのが例の……? まぁ……一体どうしてあの子が?」


 心無い声に一瞬怯んだヴィヴィアンだったが、ぐっと顎に力を入れて前を向いた。

 ここは既に舞台の上だ。逃げ出すことは許されない。


 それにしても、この豪華さは一体なんだろう。

 両親からもエイヴォリー公爵一家は、皆すばらしく人望があり、名門でありながら奢らず、華美なことは好まないと聞いていた。だが、この夜会はそれらの話にまったく合わないのだ。まさか、今までの姿は周りを欺くためのもので、今宵正体が明らかになるのだろうか。

 レイモンドの腕に、軽く預けるだけたったヴィヴィアンの手にも、ぐっと力が入る。緊張を感じ取ったのか、その手をレイモンドの手が優しく包んだ。


「まぁ、ご覧になった? レイモンド様ったら、本気のようですわよ」

「嫌ですわ。あんなに堂々として……。一体どんな手を使ったのでしょう」


 ふたりのやり取りを勝手に誤解したご婦人がたは、眉を顰めてそそくさと距離を取った。


「その調子だよ」


 レイモンドがそっと唇を寄せて耳打ちするが、ヴィヴィアンにはそれに応える余裕がない。

 顔を寄せ合い、親密な雰囲気を漂わせているが、表情豊かに話しかけているレイモンドに対して、ヴィヴィアンは微笑みを浮かべているだけだ。周囲には、レイモンドがヴィヴィアンにのぼせあがっているように見えるだろう。

 広間にたどり着いてからも、ふたりは注目の的だった。


(そ、そろそろ頬がヒクヒクしてきたんだけれど……)


 ヴィヴィアンの表情筋も限界にきたところで、周囲の関心がふっと他に逸れた。


「来ましたよ。グラントリー・エイヴォリー公爵です」


 エドワードの言葉に、ヴィヴィアンも広間の奥に視線を移した。

 そこには恰幅のいい、見るからに人の好さそうな紳士が立っていた。彼の横には笑顔を浮かべたご婦人、反対側には淡いピンクのドレスを着た、清楚な少女の姿がある。


(ピンク……! どうしよう。ドレスの色が一緒なんて――って……)


「あ、あら?」


 ヴィヴィアンは少女の隣に立つ人物に気が付き、思わず声を上げた。だがそれはレイモンドたちも同じだったようだ。


「ん?」

「あれは……?」

「まぁ?」


 少女の隣には、中肉中背の優し気な青年が立っていたのだ。


「あの方は……あ、クリスティーン様のお兄様ですか?」


 エイヴォリー公爵には、クリスティーンの他にも息子と娘がいたはずだ。

 末っ子のクリスティーンとは年が離れており、既に全員が結婚している。長男はこの屋敷に住んでいるのだから、出席しているはずだ。その彼だろうと思い、ヴィヴィアンがそっと小声で尋ねると、エドワードは硬い口調で否定した。


「いや。彼は公爵夫人の隣だ」


 公爵夫人の隣には、公爵によく似た体格のいい青年が立っていた。彼もまた、夫人をエスコートしている。パートナーがいるのだから、妹をエスコートする必要はないだろう。

 では、クリスティーンをエスコートしているあの青年は誰だろう。

 周りの参加者たちも、同じように少し驚いた様子で、公爵一家を見ている。

 自分に注目が集まったのを意識したのか、公爵は一歩前に出ると、コホンと咳払いをした。広間に集まった人々、全員が公爵の言葉に集中している。


「皆さま、お集りいただき、ありがとう。今宵は、特別な報せがあり、このような場を設けさせていただいた」


 その言葉に、周囲がざわつく。

 すると公爵はクリスティーンに手を伸ばし、彼女を前に出させた。隣の青年はそれに続く。


「このたび、娘クリスティーンは、隣国セレディーンの第5王子アントニー殿下との結婚が決まりました」


 紹介された青年は、恭しく挨拶をすると、クリスティーンと顔を合わせ微笑みあう。この光景は、まさに愛し合うふたりの姿だった。


「は?」

「え?」

「これは……」

「まぁ」


(これは一体、どういうこと?)


 ここには、クリスティーンがレイモンドの婚約者として、適切かどうかを見極めに来たはずだった。それなのに、目の前ではそのクリスティーンが別の男性の腕に手を預けているではないか。

 周囲の人間もまた、突然の発表に驚いたようだが、すぐに祝福ムードになった。


「あの……これはどういうことでしょう?」


 思わずそう聞いてしまったヴィヴィアンだったが、レイモンドもエドワードも戸惑っているようで、答えは返ってこなかった。

 挨拶のために、参加者に声をかけているエイヴォリー公は、さっそくお祝いを言う人々に囲まれている。喜びを隠さず、嬉しそうに笑顔で接する彼は、レイモンドたちの言う“黒幕”からはかけ離れた印象だ。


「情報が間違っていたというのか?」

「公爵に挨拶した後、すぐに確認しましょう」

「ヴィヴィアン、この後少しこの場を離れるけれど、君はクロエから離れないようにね」

「はい。レイモンド様」


 エイヴォリー公を取り巻く賑やかな声が近づいてくる。見てみれば、すぐそこまで来ていた。レイモンドとエドワードが背筋を伸ばし、顔に笑顔を貼りつけると、エイヴォリー公の前に立った。


「ヴィヴィアン様」

「えっ? あ、はい。なんでしょう、クロエ様」


 ヴィヴィアンとクロエは公爵に挨拶だけした後、レイモンドたちから距離をとった。ふたりはまだ公爵と笑顔を交えて話している。とても、公爵を黒幕と疑い、この後また情報確認に動くつもりでいるとは思えない穏やかな笑顔だ。

 彼らの姿に感心していると、クロエに突然小さな声で話しかけられた。少し驚いたが、慌てて声のトーンを下げると、ヴィヴィアンはクロエの示す方に視線をやる。そこには、公爵と同じように人々の笑顔に囲まれたクリスティーンがいた。勿論、隣には本日お披露目されたばかりの、アントニー殿下もいる。

 人々に囲まれながらも、時折互いを見つめるその姿は、ヴィヴィアンには眩しかった。すると、その時がふと顔がこちらに向けられ、ヴィヴィアンと視線がかち合った。


「あ」

「こちらにいらっしゃいますわ」


 クリスティーンとアントニーがヴィヴィアンに近づくと、自然と背筋が伸びる。

 クリスティーンの行動に気づいた周りが、ヴィヴィアンを見るとヒソヒソと話し始めたのが視界の端に見えた。今はレイモンドも近くにいない。野次馬もそれを知っていて、噂話をしているのを隠そうともしない。


「この度は、ご婚約おめでとうございます」

「ありがとうございます。あなたは……ヴィヴィアン様ですわよね?」

「はい」


 ヴィヴィアンであることを知っていて、話しかけてきたクリスティーンに、思わず声が固くなる。すると、それに気づいたクリスティーンが人懐こい笑顔を浮かべた。


「まぁ、そんなに緊張なさらないで。わたくし、あなたにはお礼を申し上げたくて、お父様に招待状を送っていただいたの」

「えっ……、お礼……ですか?」

「ええ。実はね、わたくしにはレイモンド様との婚約の話がありましたのよ」


 クリスティーンは、まるで内緒話をするかのように声をひそめたが、それを知っているヴィヴィアンは無理矢理驚いたように声をあげた。


「えっ。マァ、ゾンジアゲマセンデシタワ~」

「ふふっ。でもね、以前より交流のありましたセレディーン国のアントニー殿下と幼い頃より心を通わせておりまして……。アントニー殿下には決められたお相手がいらっしゃったのですけれど、わたくしにレイモンド様との婚約話が持ち上がって、そしてレイモンド様にはどうやら想い人がいらっしゃると知った途端、ご自身の婚約を破棄して、お父様に結婚の申し出に来てくださったのよ。ですからね、わたくしの恋が実ったのは、ヴィヴィアン様のおかげですの」

「は、はぁ……」


 クリスティーンは、まるで感極まったようにヴィヴィアンの手をぎゅっと握る。

 引きつった笑顔を返すと、クリスティーンに心からの笑顔で「わたくし、ヴィヴィアン様を応援しますわ」と力強く宣言されてしまった。

 ようやく解放されたヴィヴィアンだったが、違和感が残った。


「クリスティーン様は、幼い時からアントニー殿下に心を寄せられていた、とおっしゃってましたわ」

「そうですわね」

「その……今回の情報によりますと、クリスティーン様の想い人はレイモンド様ということでしたわ。これは一体、誰からのお話だったのでしょう?」


 ヴィヴィアンからの問いかけに、クロエも考え込む。

 エイヴォリー公爵夫妻は実は策士で、反国王派であることを隠し、水面下ではバセット公失脚後の貴族議会の掌握とレイモンドを次期国王に担ぎあげようと目論んでいるということだった。そのために、娘の恋心さえも利用しようとしているという話だった。

 だが実際に夜会に来てみれば、クリスティーンは、レイモンドとの婚約など考えたこともないような素振りだった。

 ヴィヴィアンの両親も昔からエイヴォリー公爵夫妻を知っているが、そのような人たちではないと言う。とても人柄のよい方々で、レイモンドの情報は間違いではないかと、夜会の前から言っていた。結果、その通りだったわけだが、ではレイモンドに嘘の情報を吹き込んだ人物がいるということだ。


(一体、誰が? なんのために?)


 ヴィヴィアンは首を傾げた。

 その様子をじっと見つめている人物がいたが、婚約発表の華やかさに紛れて、鋭い視線に気づく者はいなかった。 

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