第15話大物からの招待状

「留守中、なにか変わったことはあったかい?」


 小旅行から帰宅するなり執事にそう尋ねると、執事のディゴリーは恭しく頷いた。彼は横に控えたメイドからたくさんの封筒を受け取ると、主人に見せた。その量に、レイモンドの形のいい眉が跳ねあがる。


「招待状を持った従者が大勢訪ねてまいりました」

「そのようだね」


 レイモンドは肩をすくめ、それを見たエドワードもまた、苦笑を浮かべた。


 バセット公爵が貴族院の議長の座から失脚し、わがまま放題だった娘のイヴォンヌも随分と大人しくなった。

 ソフィア・リルバーン伯爵令嬢に至っては、レイモンドとヴィヴィアンとの仲を歓迎すると発言した。

 エセル・ロンズデール伯爵令嬢は社交シーズンの最中にも関わらず、療養のため別宅に留まることにしたそうだ。

 彼女たちはいずれもレイモンドの婚約者候補として、名前が挙がっていた。その候補者が次々脱落していく。もしかしたら、自分たちにもチャンスがあるのかもしれない――多くの貴族がそう考え、一縷の望みをかけレイモンドに接触を図っているのだ。


「無駄なことなのにね」

「――お声が大きすぎます」

「ハイハイ。――その中に、僕が見るべき物はあるかい?」

「エイヴォリー公爵家より、夜会の招待状が届いております」


 執事は手にしたたくさんの封筒の中から、一際豪華な装飾の封筒を、レイモンドに手渡した。

 待ちに待った大物の名に、ふたりは顔を見合わせる。


「ありがとう」


 レイモンドはその一通だけを受け取ると、エドワードを伴い、執務室へと向かった。



 * * *



「とうとう来たか」


 招待状を寄越したエイヴォリー公爵家は、反国王派のトップだ。

 レイモンドに取り入り、いずれレイモンドを国王へと押し上げ、裏で実権を握る計画を企てているという情報が入っている。

 当主のグラントリー・エイヴォリー公爵は、大人しく争い事は好まない人物とされている。同じ公爵家でも表舞台で権力を振るいたいバセット卿とは異なり、穏やかで人望のある人物との評判だ。だが、裏の顔は狡猾で野心溢れる性格だと言う。

 表舞台に出ないのは、その方が目立たずに事を進められるからという、ある意味バセット卿よりも厄介な人物だ。なにしろ、表向きはまるで聖人。彼の発言力を弱めるには、それなりの理由が必要なのに、それが見つからないのだ。ならば、裏の顔を見せてもらわなければならない。それなのに、帰国したばかりの頃は、こちらの真意を警戒してか、すぐには距離を縮めようとはしなかった。

 彼に近い存在を情報屋として雇っても、なかなか尻尾を掴ませなかったエイヴォリーが、ようやく動いた。

 いくら表舞台を避けてきた彼でも、バセット卿の失脚は大きなチャンスだと思ったのかもしれない。

 彼にもまた、評判の娘がいる。その娘は、女王のようだったイヴォンヌとは真逆の、大人しく清楚だと噂の娘だった。


「――三日後ですか。これがヴィヴィアン最後の役目となりそうですね」


 エドワードがそう何気なく言うと、向かいのソファで紅茶を飲んでいたレイモンドが、口をつけようとしたカップを急にソーサーに置いた。

 カシャンと軽い音と共に、琥珀色の液体が飛び散り、招待状が入っていた封筒に染みを作った。

 メイドが慌てたようにテーブルを拭きに来たが、当のレイモンドは気にした様子もなく、満面の笑みを浮かべていた。


「エイヴォリー家の夜会には、ヴィヴィアンと一緒に行くことにする」

「は? 一体なにを言い出すのですか!」


 当然、エドワードは反対した。

 ヴィヴィアンは今や、時の人だ。彼女にもきっと、この招待状は届いているだろう。勿論、警護としてクロエと共に出席してもらうつもりだった。エイヴォリー公爵側も、その方がヴィヴィアンに接触しやすいだろう。それを、レイモンドが一緒に参加しては、彼が聖人の顔を崩すことは難しい。レイモンドとエドワードの目的は、エイヴォリー家との婚姻が相応しいか、見定めることなのだ。レイモンドのこの提案は、いい考えとは思えなかった。それなのに、レイモンドは本気でヴィヴィアンと一緒に参加するつもりらしい。即座に反対したエドワードに対して、顔をしかめた。


「なぜだ?」

「なぜもなにも……。あなたがヴィヴィアンと一緒に行っては、相手が接触しづらいではないですか!」

「それは違うな。僕がヴィヴィアンに付きっ切りになることは難しい。ダンスや、挨拶の時にどうしても離れることはある。それに、僕たちの間はほとんどの貴族に知れ渡っている。一緒に行かない方が、不自然だ」

「それは……」


 エドワードは腕組みをして考え込んだ。

 この計画が始まってからというもの、レイモンドの様子がおかしい。

 いつも柔和な笑顔で人当たりが良い彼だが、その実、中身は冷めたところのある人物だった。長く一緒にいれば分かる。彼がいつも優しく微笑んでいられるのは、他への関心を持たないからだ。


(いや、持たないことに慣れてしまったと、いうべきか――)


 共に敵国に捕らわれていた間、護衛と称した監視役が常についていた。そんな状況では、表情ひとつ変えるだけで、母国に不利になることがある。エドワードは昔から大人びた少年で、ポーカーフェイスは得意だったが、元々表情豊かだったレイモンドには厳しい環境だった。だが、どんな環境でも子供というものは、順応が早い。常に冷静でいるように勤め、感情を外に出さないようにしてきたエドワードとは違い、レイモンドは“笑顔”という仮面を被って心を隠してきたのだ。それが最近は、隠しきれていない気がした。


(むしろ、あえて隠そうとしていないのか……?)


 戦争に勝利し、母国に生還したとはいえ、立場が危ういことには変わりない。

 結婚相手ひとり選ぶのを間違えただけで、内乱が起こるとも限らない。そんな危険を抱えているからこそ、今回の計画をすすめたのだ。それは国王陛下も承知の上だ。陛下もまた、溜まった膿を取り除く好機だと、信頼できる護衛を貸し出してくれた。

 ヴィヴィアンは気づいていないだろうが、彼女にも承諾したその日から護衛が数名ついている。それでもあとからクロエを紹介したのは、あくまで“目に見える”護衛として必要だと踏んだからだ。ヴィヴィアンに危害を加えようとしても、傍にクロエがいては、相手も簡単には手を出せない。ある程度動きの読めるプロよりも、突発的に動く素人の方が動きが読めない怖さがある。クロエという“目に見える”存在が、それを抑制してくれる。それほど、レイモンドを利用したいと思っている人間にとって、ヴィヴィアンは近づきたくもあり、排除したい人間でもあるのだ。


「ヴィヴィアンと一緒に行くのは、賢明ではありませんね」

「賢明、か。――僕たちは、長く敵国にいたね」

「ええ」

「周りは敵だらけだった。常に監視されて、僕たちの行動で処刑された者もいた。味方ですら表情が読めず、なにを信じていいのか、誰を見ているのか、しまいには麻痺してしまったよ」


 エドワードと同じく、レイモンドもまた捕らわれていた日々を思い返していたようだ。

 あの時には戻りたくない。

 見えているものが信じられず、聞こえてくるものが真実かもわからない。考えることを悟られてはいけない。見ているものに感情があってはいけない。言葉に熱がこもってはいけない。そんな、ただ息をして感情を殺す日々だった。


「それならば、今の状況もおわかりのはずです」

「分かっている。――分かっているよ。でも……とても無垢な瞳を向けられたんだ。あの時、あの広間で。預けた手は少し震えていて、不安げだったよ。でも目はしっかりと僕を見ていた。その眼差しから、飾らない彼女の人柄が見えたよ。そんな視線を向けられたのは、初めてだった」

「……レイモンド様」


 レイモンドは苦笑し、少し肩をすくめた。


「君には……わからないか。君には既に、心に決めた人がいたからね」

「…………」

「心を動かされるって意味を、この人のために生きなければという強い意思を、僕はやっと理解できたんだ。それに――」


 レイモンドがエドワードを見て、意地悪な笑みを浮かべる。

 

「……なんです?」

「ヴィヴィアンが信頼できる人物だと、そう推薦したのは君じゃないか。だから僕は安心して、自分の想いを解放できる」


 エドワードは嫌そうに顔を顰めた。

 仕方がないではないか。エドワードもまた、レイモンドに同行という形で敵国にいたのだ。同じ年代の女性など、ヴィヴィアンしか知らない。ヴィヴィアンが未婚であったことから、これを頼めるのはヴィヴィアンしかいないと踏んだのだ。彼女のことは彼女の両親共々、よく知っている。早くに母が亡くなった頃からお世話になっていたこともあり、信頼できる一家だという自信はあった。だが、こんな風にレイモンドに返されるのは、正直面白くない。


「それに、一緒にいる姿を見せてこそ、エイヴォリー公爵も焦って行動を起こすかもしれない。ほら、いい考えだ。僕はヴィヴィアンと行く」


 これはもはや、提案ではなく、決定であり命令だった。こうなっては、エドワードは従わざるを得ない。ため息をつくと、壁際に控えていたメイドのひとりに声をかけた。


「君、すまないが、ディゴリーを呼んで来てくれないか?」

「はい。かしこまりました」

「ディゴリーになにをさせる?」

「アンブラー男爵家に、使いを出してもらうんですよ。当日あなたが突然迎えに行っては、ヴィヴィアンも驚くでしょう」



 * * *



 エドワードなりに気を使ったのだろうが、事前に連絡にすら、ヴィヴィアンは卒倒しそうなほど驚いた。

 エイヴォリー公爵家からヴィヴィアン宛てに、夜会の招待状が届いたことだけでも驚いたのに、当日はレイモンドが迎えに来るとはとんでもない。


「ど、どうしよう!」

「どうしようって……ヴィヴィアン。ご一緒するしかないだろう」

「お父様。私はあくまで、“想い人役”なんですよ? 招待状だけでもパニックなのに、ご一緒にだなんて――!」

「でもヴィヴィアン。考えてみて? これはなにかお考えがあってのことだとは思わない?」

「お母様……。目がやけに楽しそうですわね……」


 ヴィヴィアンがじとりと母を見ると、アイリーンは素知らぬ振りで、レイモンドからの手紙を読んだ。


「ほら見て。ヴィヴィアン。エイヴォリー公爵家の夜会には、先日仕立てた淡いピンクのドレスを着て欲しい、ですって。ドレスまでご指定なのだから、これは計画の一部だと思うわ」

「ヴィヴィアン。安心しなさい。なぜレイモンド様がエイヴォリー卿の夜会を警戒しているのかは知らないが、エイヴォリー卿は人望のある素晴らしい方だ。なにも心配する必要はない」

「そうよ。私も奥様のローズマリー様を知っていますが、彼女もまた慈愛に満ちたお優しい方だわ」


(エイヴォリー公爵家の皆さまがそんなにいい方々なら、なぜふたりで一緒に行かなければならないの?)


 ヴィヴィアンはそう思ったが、口には出さなかった。聞いたところで、答えを持っている者はここにはいないのだ。

 ふたりの言葉に、ヴィヴィアンは渋々頷いた。


 

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