第14話重なる想い 重ならない想い
「エセル嬢には、そんな秘密があったのですか……」
ヴィヴィアンの報告にはさすがに驚いたようで、レイモンドもエドワードも戸惑っている。
そんなふたりに向かって、ヴィヴィアンは神妙な顔つきで続けた。
「はい……。エセル様は、婚約者の裏切りにより心を病んでしまわれ、男装し、まるで本当に男であるかのように振る舞うようになったそうでございます」
これは、エセルからそのように説明して欲しいと頼まれていた。なんでも、目上であるレイモンドからエセルを婚約者候補から外して欲しいというものだった。
実際、エセルの両親であるロンズデール伯爵夫妻は、エセルが心を病んでしまったと本気で思っているらしい。その上でレイモンドにおススメしようとしていたのは如何かと思うが、彼らもまた、それがきっかけで婚約者のことを忘れて欲しいと思ったのかもしれない。
「心を閉ざしたエセル様は、同じ苦しみを持った方々と共に、理想の世界を作り上げていたのですわ」
なんて悲しいことでしょう……そう言って項垂れたヴィヴィアンを見て、レイモンドとエドワードは顔を見合わせた。
「そういうことであれば、候補者から外してもロンズデール伯爵はなにも言えないのでは?」
「そうだな。彼らはエセル嬢が僕に恋をしていると吹き込んでいた。それは嘘だったのだし、他にも候補者がいる以上、お互いが望んでいない関係を結ぶこともない」
レイモンドの決断は早かった。
戦争に勝ち、平和を取り戻したとはいえ、まだこの国は不安定な状態だ。国王もまた、やっと取り戻した平和を維持し、強固な国にするべく様々な政策を始めたばかりだ。そんな時に帰ってきた英雄(レイモンド)を、利用しない手はないと、野心を持って近づく者は多い。
レイモンドとエドワードは、近づく人間全てを見極めなければならないのだ。それはこの国の王族・貴族、王宮や自身の屋敷に出入りする者まで、全てに及ぶ。気の休まる時間など、無いに等しい。本来ならば、こうして避暑旅行に来る時間も無いはずなのだ。
それでも、ふたりには踏み込めない場所がある。それが、貴族の女社会だ。
「では、エセル様は……」
「候補からは外れたな」
「そう、ですか」
おずおずと尋ねたヴィヴィアンだったが、エドワードの答えを聞いて、ホッと胸をなで下ろした。
エセルが本当に元婚約者を待っているかは分からない。ヴィヴィアンの問いに、エセルが「さぁね」とはぐらかすように応えた後、互いに黙ったまま乗馬は終わってしまった。
馬から下ろしてもらい、お礼を言うと、向き合ったエセルはもうエドガーの顔をしていた。
道化師の仮面をかぶり、過去を上手に隠して、待ち構えていたご婦人方に笑顔を振りまく。
ヴィヴィアンは、そんなエセルをただ見送るしかできなかった。
想いが通じるというのは、とてつもなく難しいことだと思う。貴族であればそれは尚更。家柄や、親の思惑。本人たちの気持ちなど、二の次なのだ。
エセルと、幼馴染のその彼は、一時ではあったが、繋がっていたのだ。
簡単に、捨てられるものではないだろう。その未練が、エセルを仮面舞踏会に駆り立てた。だが、その結果待ち受けていたのは、元婚約者の破談だった。なんという皮肉だろう。エセルに、そう仕向ける目的があったとは思えない。あったならば、姿を変えて赴く必要などないのだから。
激しい恋に落ちたはずの女性が、自分ほど深い愛情を持っていなかったことを知った時、彼はなにを想っただろう。エセルのことを、考えただろうか。
そして、エセルはその時、なにを思っただろう。
喜び? 虚しさ? 罪悪感?
きっと、どれもがほんの少しずつ混ざり合い、エセルを苦しめたことだろう。
そのまま彼と距離を置いていることからして、これはエセルなりの償いなのだろうか。
彼の想いを壊してしまったエセルは、自分だけが幸せを掴むことなどできないでいるのだ。
(でも、心の奥底では、やっぱり彼を待っているのではないかしら?)
ヴィヴィアンはそう考えていた。
相手は先の戦争に参加していた騎士だという。生存者も、まだ全員は帰国していないそうだから、彼の安否はまだわからない。
エセルは、彼が生還し、そして自分の元にやって来る――その可能性が残っている以上、エセルは道化師を演じ続けるのではないだろうか。
想いが繋がることは難しい。一度、切れてしまった想いならば、それは奇跡に近いだろう。
(私にも、エセル様のお気持ちはわかるわ……)
ヴィヴィアンは、知らず知らずのうちにため息をついていた。
想いを繋ぐのも、切れた縁を結びなおす難しさも、ヴィヴィアンはよく分かっている。
だからこそ、エセルの頼みを聞いてしまったのかもしれない。
再びため息をつくと、思いのほか近くから声が聞こえた。
「なぜ、ため息をつく?」
「えっ?」
頭上から降る問いに驚き振り返ると、エドワードがじっとヴィヴィアンを見ていた。
ひとりで部屋に向かっていたはずなのに、いつからエドワードはヴィヴィアンをつけていたのだろうか。
まるでヴィヴィアンの考えを読んでしまうかのような深い眼差しに、ヴィヴィアンは思わず視線を逸らした。
(考えを読まれませんように……。私の考えていることをエドワード様が知ったら、きっと……もうこんな風にお話することはできない)
まさに今思い浮かべていたその人が、こうして目の前に現れるとは思ってもいなかった。
あまりのタイミングの良さに、押しとどめていた感情が溢れそうになったヴィヴィアンは、それをなんとか飲み込んだ。
「エドワード様――き、気づきませんでした。なにか、ご用ですか?」
「エセル嬢と、なにかあったのか?」
「えっ? な、なぜでしょう」
「わかるよ。君が、いつもと違っていたから」
その言葉は問いつめるような厳しさはなく、むしろヴィヴィアンを気遣っているかのような優しいものだった。
視線を逸らしたまま答えようとしないヴィヴィアンに焦れたのか、エドワードが大きな歩幅で一気に距離を詰めた。
「あっ……」
「ヴィー。私の話を聞いているかい?」
懐かしい呼び名が、ヴィヴィアンの胸をじりじりと焦がす。
顎に手を添えられると、ヴィヴィアンは抵抗することなく、上を向いた。すぐ近くには、エドワードの青い瞳があり、自分をじっと見つめていた。
顔が火照り、胸がドキドキとうるさいほど高鳴った。こんなに近くでは、一瞬にしてヴィヴィアンを包んだ熱がエドワードに伝わってしまうのではないかと思うほどだった。
「エセル嬢から、なんか吹き込まれたね?」
「そんなことは……ありません」
小さな声で反論するが、ヴィヴィアンの瞳が揺れるのを見逃すエドワードではなかった。
「君は今日一日だけで、エセル嬢に感化されてしまったように見える。――エセル嬢を候補から外すと私が言った時、君は少しホッとしたようだった」
「……そんなことは……ただ、エセル様もこの婚約は望んでいらっしゃらないようでした。ですから……」
「自分と重ねたのではないかい?」
「……っ!!」
ズバリ言い当てられて、ヴィヴィアンが言葉を失くす。
エドワードは「やっぱり……」と呟くと、小さくため息をついた。
「早く忘れるんだ」
「え……?」
「君を振った男などに、いつまでも囚われているなど、愚かなことだ」
慰めているはずのその言葉が、ヴィヴィアンの胸に鋭い刃となって突き刺さる。
まさか、エドワード本人に最後通告を突きつけられるとは……ヴィヴィアンは放心したようにエドワードを見上げていた。すると、エドワードはハッとした様子で、ヴィヴィアンから手を離した。
「……すまない。少し、君の様子が気になっただけなんだ。エセル嬢の取り巻きにでも加わるのではないかと……」
「それは……ありませんわ」
「そうか……」
ヴィヴィアンの答えに小さく頷くと、エドワードは改めてヴィヴィアンに向き合った。
「ヴィヴィアン。君は感傷的になる必要はない。この件は感情で左右されてはいけないんだ。君を懐柔しようとする者が現れたらどうする? 君は、彼女たちが私たちの前では決して見せることのない、本来の姿を見たまま、伝えてくれたらいいんだ」
「……はい」
ヴィヴィアンは唇を噛みしめた。
咎められるのも無理はない。確かに、エセルに肩入れしてしまったのは事実なのだから。だが、エセルの気持ちは痛いほど分かったし、お互い好意を持っていないのならば、エセルの願いを聞き入れても問題ないと思ってしまったのだ。
「――明日、王都に戻る。君にはまだレイモンド様の想い人を演じてもらう必要がある。私の話は、分かったね?」
「わたくしは……まだこのようなお芝居をしなければならないのですか?」
「すまない。気の休まらない頼み事を押し付けている自覚はある。だが……この国の未来のためにも、力を貸して欲しい」
ヴィヴィアンは、自分をじっと見下ろす青い瞳を見つめて、静かに頷いた。
昔から、この瞳には弱いのだ。
「ありがとう。では、今後については明日にでも馬車の中で話そう」
つい先ほど“ヴィー”と懐かしい呼び名で呼ばれたことが、気のせいだったのではないかと思うほど、事務的な口調に、ついヴィヴィアンの口が開いた。
「エドワード様は……昔の約束って、覚えていらっしゃいます?」
「昔……? ――いいや。なんだったかな」
「……いいえ。なんでもありませんわ」
「そうかい? 明日の出立は早い。今日はもう休んだ方がいい」
ふたりが話しているのを、廊下の角からクロエがじっと見ていた。その表情は、まるでこの世の全てを憎んでいるかのような恐ろしい形相だった。
「私ったら……なんてことを口走ってしまったのかしら。あんなの、子供の約束なのに……」
『僕が大きくなったら、ヴィーをお嫁さんにしてあげる』
あの青い瞳で、じっと見つめてそう言った約束を、覚えているのはヴィヴィアンだけだった。
その事実が胸に重くのしかかる。
わかっていた。
彼のそばにクロエの姿を見た時から、彼の中に自分がいないことはわかっていた。
クロエとのなれそめを聞いた時に、彼の想いの深さと覚悟を感じていた。
それでも、エセルの話が悲しくて、切なくて、それでも待てる人がいることが羨ましくて。そこに少し自分を重ねてしまった。
そして、それを見破られ、咎められてしまった。
ふらふらとベッドに近づくと、ドサリと寝転がる。ここにカーラがいたら、確実に叱られているだろう。だが、行儀の悪さを叱りつけるカーラはここにいない。ボロボロと涙をこぼしても、慰めてくれる優しいカーラはここにはいない。
どうしようもなく寂しくて、心にポッカリと穴が空いたようで、ヴィヴィアンはそのまま泣き続けた。
(エドワード様を、忘れよう。待つのを、止めなくちゃ……)
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