第13話仮面の下は
一体これは、どういう世界なのか……。
ヴィヴィアンとクロエは、遠巻きにエドガー(エセル)を取り巻く人々を眺めていた。
――最初の内は。
「なんでしょう……、この空気感」
「なんだか……安心いたしますわ……」
ここでは爵位の優劣もなく、お互いが与えられた名前で呼び合い、楽しく談笑している。
その中心は確かにエドガー(エセル)だが、少し離れた場所で静かに語り合っているご婦人方もいる。
そういう意味では、お茶会と変わらないのだが、ヴィヴィアンは今まで体験したことのないような落ち着いた空気を感じていた。
お茶会では、談笑に見えるが、大体が情報収集が目的だ。中には笑顔で腹の探り合いをしているご婦人もいるというのだから、恐ろしい。
夜会は夜会で、自分もしくは娘や息子を売り込み、駆け引きをしながら、より条件のよい相手を求める。つまり、華やかに見られがちの貴族の社交というものは、どちらも気の休まらないイベントなのである。それなのだから、元からのんびりしているヴィヴィアンが、乗り遅れるのも仕方がないというものだ。
ところがどうだろう。ここのお茶会はそういったものとは全く違うのだ。エドガーは確かにとても美しく凛々しい姿ではあるが、本来は女性であるということが大きく関係しているのだろうか。皆、我先にと自分を売り込むわけでもなく、お互い譲り合いながら楽しく過ごしているのだ。
エドガーは様々なゲームを用意していた。カードゲームにボードゲーム、それに花のカードを使ったくじ引きなどだ。勿論、わがままを言ったりズルをする者もいない。それはとても穏やかで心地のいい空間だった。
ゲームの勝者にはエドガーからプレゼントが贈られたり、ダンスを踊ったりできるらしい。先ほどからひとりのご婦人がエドガーにエスコートされて、部屋の中央で踊っている。足が悪いのか、その動きは少しぎこちないが、エドガーは彼女に合わせてゆっくりとした曲を選んだ。ダンスをする前、困っていたご婦人も、今はとても楽しそうに笑顔を見せている。
「これは……ハマりますわね」
「ええ。競争社会の中で、ここに癒しを求める方々がいても、わたくし理解できますわ」
踊り終えると、エドガーはご婦人の足を気遣いながら、ゆっくりとイスに座らせた。
「さて、それでは……今度はくじ引きですね。商品は、僕と乗馬です。敷地内を歩かせるだけですが、今日はお天気もいいですから、きっと楽しいですよ。カードは……ヴァイオレットですね。ヴァイオレットはどこにいらっしゃいますか?」
エドガーが呼びかけるも、反応する者はおらず、皆、顔を見合わせている。
「…………」
「――ヴィヴィアン様ですわよ」
横に立つクロエに肘でつつかれ、ヴィヴィアンはハッと顔を上げた。
「えっ? わ、わたくし!?」
思いのほか大きな声が出て、人々の視線がヴィヴィアンに集まる。
自慢ではないが、乗馬は自信がない。
レディの嗜みとされており、男性顔負けの手綱さばきで狩りを楽しむ人もいるそうなのだが、貧乏貴族のヴィヴィアンにとっては縁遠いものだった。
まだエドワードがウィルバーン伯爵家にいた頃、伯爵家で少し教えてもらった程度だ。
「でもわたくし、乗馬なんて幼い頃にほんの少し嗜んだ程度で……自信がありません」
「走らせるわけではないようですし、大丈夫ではないでしょうか。エドガー様がご一緒ということですし、楽しんでらしたらよろしいわ」
クロエに代わってもらおうかと、カードを差し出しかけたが、あっさりと断られてしまった。
警護も兼ねているのではなかったのかと、じっとり見つめるも、気にした様子もない。
「あの方は……大丈夫ですわ。腕に触れた時にわかりましたもの」
「クロエ様、そんなことまでお分かりになるの?」
「おや、僕との乗馬はお嫌ですか?」
いつの間にかそばまで来ていたエドガーに、ヴィヴィアンはクロエに渡そうとしていたカードを慌てて隠した。
「い、いいえ! あの……ただ、わたくし乗馬はちょっと……自信がございません。かえってご迷惑になるのではないかと思ったのです」
「ご心配には及びませんよ。ゆっくりと敷地内を歩かせるだけですからね」
手を差し出され、ヴィヴィアンは渋々と自分の手を乗せた。
手袋をしているとはいえ、やはりエドガーの手はクロエの言う通り、華奢で細い女性らしい手をしていた。
「では皆さん、しばし席を外しますが、楽団の演奏を楽しんでください」
先ほどのダンスでも活躍した楽団が、演奏を再開する。楽団もまた、すべて女性で、エドガーの徹底したこだわりが見えた。
* * *
爽やかな風がヴィヴィアンの頬を撫でた。
自信がないと言ったヴィヴィアンのために、エドガーはゆっくりと馬を歩かせた。
女性なのだと分かっていても、自分の身体を囲うようにあるエドガーの腕にドギマギする。すると、後ろからクスリと笑いが漏れた。
「そんなに緊張しないでください」
「は、はぁ……」
そんなことを言われても、まさかこんな展開になるとは思っていなかったのだ。その上、慣れていない乗馬にと連れ出され、緊張せずにいられるだろうか。
「驚きましたか?」
「え?」
「お茶会ですよ。まさかこんな内容だとは思わなかったでしょう?」
「い、意外でしたけれど……。とても楽しいです」
「あなたは優しい方ですね」
そうだろうか。
ヴィヴィアンは首を傾げた。この言葉は嘘でもお世辞でもない。日頃心から楽しむ場のないご婦人たちにとって、この場は何物にも代えがたいものだろうと思えた。
そう話すと、なぜかエドガーは自嘲気味に笑った。
「あの方々は皆さん、僕と同じなのですよ」
「え? それは、どういう意味でしょう?」
「愛に破れ、心に傷を負ったのです。先ほど僕と踊ったあのご婦人、足を悪くされてからというもの、それを理由に、ご主人は堂々と浮気相手と夜会に出るようになってしまった」
ヴィヴィアンはなんと応えていいのか、わからなかった。
それに、今エドガーは「僕と同じ」と言わなかっただろうか? 一体、どういう意味だろう。
「そのようなお話……わたくしが聞いてしまってよろしいのでしょうか」
「あなたも、貴族のご令嬢ならば好きな相手と結ばれることは難しいと、知っているでしょう」
「はい」
ヴィヴィアンの脳裏に浮かんだのは、勿論エイブラハム・ロートン準男爵だ。彼に手紙一枚で振られたことは大変衝撃的な出来事だったが、同時に大いに安堵したものだった。彼と結婚していたら、どうなっていただろう。親よりも年上の夫に、自分よりも年上の義息。――考えただけでも頭痛がする。共に夜会に出席するなど考えられないし、一緒に生活するなんてもってのほかだ。
(私って、自分で思っていた以上に、ロートン準男爵と結婚する、という意味を分かっていなかったんだわ……)
少しの沈黙の後、エドガーが再び口を開いた。
「僕には、幼い頃から家同士が決めた婚約者がいました。あ、勿論男性ですよ。彼とは、母親同士が友人ということもあって、社交シーズンはいつも一緒に過ごしていた。彼と結婚するよう言われても、戸惑いよりも喜びの方が大きかったよ。それは、相手も同じだと思っていた」
「――お相手の方は、そうではなかったのですか?」
「いや? 向こうも嫌がってはいなかった。だが、ある年の社交シーズン、彼に変化が訪れたんだ。彼は、外国のご令嬢に心を奪われてね。私との婚約を破棄したいと、言って来たのです」
自分のことを“私”と言い、ほんの少し口調が柔らかくなる。
今、後ろで話しているのはエドガーではなく、エセルだとヴィヴィアンは感じた。
「父はとても怒りました。相手の家が子爵ということもあり、屈辱に思ったのでしょうね……。彼とは、それきりになりました。でも、私は納得ができなかったのですよ。ある日、そのご令嬢が滞在していたとある貴族の屋敷で、仮面舞踏会が開かれると聞きました。勿論、彼も行くだろうと、思いました」
「まさか……」
「ええ。私も行きました。仮面舞踏会とはいえ、女の恰好では彼にバレてしまう。――私は一際背が高いですからね。それで、私はその背の高さを活かして、男装して舞踏会に紛れ込んだのです。私はただ、彼の想い人がどんな方なのか、見たかっただけでした」
それは、辛いことだっただろうと思う。
でも、エセルはそれを自分の目で見て、気持ちに整理をつけたかったのだろう。
「結果は……思った以上に大成功でしたよ。彼女は、男装した私に色目を使ってきたんです」
「えっ?!」
「その時の、彼の顔と言ったら……! 今思い出しても笑いがこみ上げてきます。長年一緒にいても、私には見せることのない表情でした」
「そ、それで……どうなったのですか? そのぅ……」
「どうにもなりませんよ。私は男性として、彼女の誘いを断りました。口汚く罵られましたけれどもね。それを見て、彼もまた夢から醒めたようでした」
「では、元通りに……?」
ヴィヴィアンの小さな呟きに、背後からため息が漏れた。
「いいえ。彼は騎士でした。裏切ってしまったことをなかったことにはできないと、一生独身でいることを心に決めて、国外での仕事を望みました。先の戦争にも関わっています」
「ご無事だったのですか?」
「……わかりません。なにかあったとしても、私に連絡がくることはありません」
「そんな……」
「私はね、その時の男装が妙に気に入ったのです。それ以来こうして時折お茶会を開いているのです。こんな私でも、理想の男性の姿を重ねて慕ってくださる方々がいる。エドガーという存在が、愛に満たされなかった日々の癒しになるのだそうです」
また、自嘲気味に笑う。
それは、あまりにも悲しい話だった。
貴族という立場である以上、気持ちの向くままに行動することは許されない。彼の行動は、一時の激情に流されたものだろう。
だが、エセルとその元婚約者は、元に戻れたのではないかと思ってしまう。
そう考えこんでいると、急に話の矛先が変わった。
「あなたは、レイモンド様と親しくしていらっしゃいますね」
「えっ!?……ええ。突然のことで、わたくしもトマドッテオリマス」
自分に話を振られ、ヴィヴィアンはピンと背筋を伸ばした。それを見てエセルはクスクスと笑い声をあげた。
「――そのようだね。あなたからは、レイモンド様にお気持ちを寄せているような風には見えない」
声はすっかりエドガーのそれに戻っている。
見透かされるようなその物言いに、ヴィヴィアンは目を泳がせた。エドガーが表情を確認できないのは幸運だった。今見られたら、きっとヴィヴィアンの顔は引きつっているだろう。
「ええと、あの……わたくしにとっては、モッタイナイお方ですので……」
「実は、両親は、“エセル”にレイモンド様との婚約を望んでいるんですよ」
「ま、マァ。ソウデスノ?」
「あなたは……嘘が下手ですね。まぁいい。僕はあなたに宣戦布告をするために連れ出したのではないんだ。あなたとレイモンド様の邪魔をする気はない。それを、言いたかった」
エドワードの話からして、エセルにはレイモンドに対する気持ちがあるとは思えなかった。熱心に話を進めようとしているのは、エセルの両親にあたるロンズデール伯爵夫妻であって、彼女自身ではない。だが、結婚前の社交を好きにさせてもらう代わりに、両親が望む相手と結婚すると約束したのではなかったのだろうか。
「あの……ロンズデール伯爵のお気持ちは……どうなさるのですか?」
「それはなんとかするよ」
少しの沈黙が続き、ヴィヴィアンはあることに気づき、ハッと顔を上げて振り向いた。
「彼を、待つおつもりですか?」
「さぁね」
小さく肩をすくめたその表情が、なんだか泣きそうに見えた。
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