第10話クロエ

「ああ……もう着いてしまった」


 アンブラー家が近づき、レイモンドは心底残念そうにため息をついた。

 ヴィヴィアンがエドワードの名を出した一瞬、怖い表情を見せただけで、その後はいつもの笑顔を取り戻していた。なかなか緊張が解けなかったヴィヴィアンも、笑顔で優しく話しかけるレイモンドのペースについつい巻き込まれてしまう。長い道のりだと思っていた帰り道も、気づけばあっと言う間だった。


「本当に、ありがとうございました」

「待って。きちんとお屋敷までエスコートさせて」

「そんな……」

「いいから」


 レイモンドはなかなか頑固な性格だと思う。

 優しく微笑みながらも、必ず自分の思うように事を進めてしまうのだ。徐々に彼のことがわかってきたヴィヴィアンは、早々に諦め、レイモンドの手を借りて馬車を降りた。


「おそろいでのご帰宅ですか」

「きゃあっ」


 突然声をかけられ、ヴィヴィアンが驚いて飛びのくと、ヴィヴィアンの腰に手をまわそうとしていたレイモンドが小さく舌打ちをした。 


「あ~あ。せっかくいい雰囲気だったのにね、ヴィヴィアン」

「えっ。それは……あの……」


 見れば、玄関の扉が開けはなたれており、そこにはエドワードが怖い顔をして腕組みをしていたのだ。


「なぜ、レイモンド様とヴィヴィアンが一緒なのです? 説明してもらいましょうか」

「簡単さ。ヴィヴィアンがヴァルキリー侯爵の屋敷に行っていると知った。僕は彼女に会いたい。だから行った」

「ほう。議会を飛び出してですか?」

「あんなの! 長くいたところで、結論なんて出ないじゃないか」


 どうやら、レイモンドは貴族院の議会を抜け出して来たらしい。考えてみれば、爵位を持つ成人貴族なのだ。貴族院の一員として、議会には参加しなければならない。議長の席が空き、今議会は混乱していると言う。そのため、ヴィヴィアンの父である、バーナード・アンブラー男爵も毎日遅くまで仕事をしていた。

 今日も、議会が長引いたために、ポールが迎えに来れなかったのだ。同じ貴族院の議員であるレイモンドが来れたのはおかしいと気づくべきだった。


「まったく……。勝手な行動は控えるようにとお願いしたはずですよね?」

「それに対して、了解をした覚えはないけどね。それに――」


 白熱しかけていたふたりだったが、会話の途中でレイモンドがヴィヴィアンをチラリと見た。


「君ばかり、ヴィヴィアンと会っているのはずるいよね。ヴィヴィアンの“恋人”は僕なのに」

「“恋人役”です。お間違えにならないよう。それに、私がヴィヴィアンと会っているのは、あくまで計画のためです」

「ふ~ん……。本当に?」


 馬車の中でレイモンドが感じた違和感。

 夜会の日、控えの間で会った時のヴィヴィアンと、今日のヴィヴィアンは、なんだか少し違って見えた。まるで心をどこかに置いてきてしまったような、手を伸ばしても、そこには実体がないような、不思議な感覚。そしてそれは、エドワードの名前を出した時に確信に変わった。

 エドワードの名を口にした時の熱量が、ほんの少し高かった。瞳は揺れ、頬が色づいた。

 今もまた、レイモンドとエドワードのやり取りにオロオロとしているが、不自然なまでにエドワードを見ようとはしない。なのに、身体全体で彼の存在を意識している。

 面白くないのは当然だった。


「――なにを、お言いになりたいのです?」

「それは君が一番知っているんじゃないかい?」

「…………わかりませんね」

「あ、あのっ――!」


 ふたりがどんどん険悪なムードになっていくのを見ていられなくて、ヴィヴィアンが勇気を出して会話に割り込んだ。


「今日の、報告をしますから、中に入りませんか?」

「……そうだね。レディを外に立たせたままにしておくなんて、ごめんね?」

「――すまない」



 * * *



 やっと屋敷の中に入ることができ、ヴィヴィアンはホッとした。

 正直、エドワードとふたりきりになるのは怖かった。

 彼の存在を感じるだけで、あの日の出来事を鮮明に思い出してしまう。顔もまともに見られないのに、冷静に話せる自信がなかった。レイモンドはレイモンドで対応に困ることはあるが、今はいてくれた方が助かる。


「あの……結論から申し上げますと、ソフィア様はとくに問題は感じませんでした」


 ヴィヴィアンはお茶会でのことを話した。

 正直、あまり笑顔を見せないところからも、お世辞にも社交的とは言えないが、変える手段のないヴィヴィアンを気にかけるなど、優しい面が見えた。

 聞いていた話の通りならば、レイモンドに憧れるわがまま娘ということだったが、そんなところは感じなかった。向こうから近づいてこないので、ヴィヴィアンから話しかけたくらいなのだ。それも、表情は乏しかったが、嫌悪感を出すことなく、きちんと答えてくれた。

 報告に意外な顔をしたのはエドワードだった。


「そうか……。私が彼女を紹介された時は、かなり感情表現がハッキリした派手な少女だという印象を持ったんだが」


 ヴィヴィアンとは真逆の印象だ。だが、レイモンドを前にしても、はしゃぐようなそぶりは見せなかった。


「では、ソフィアはひとまず保留だね」

「……そうですね」

「それにしても、今日はたまたま僕がいたから良かったものの、やはりヴィヴィアンひとりが動くには無理があるのではないかな? これからはもっと注目されるだろうし、会う相手も出かける先も様々になってくるだろう。危険なこともあるかもしれない」


 心配そうに言うレイモンドに、エドワードが嘆息する。


「あなたがもっと大人しくしてくだされば、ヴィヴィアンの周りももっと静かなんですけどね」

「それでは、“恋する男”の行動ではないだろう。僕が大きく動くことで、候補者の動きも大きくなる。それは相手を早く見極めることができるということじゃないか」

「あなたのそれは、屁理屈ですよ」

「そんなことないよね? まったく、エドワードはいつも慎重で、面白味に欠けるんだ。そう思わない?」

「えっ……?」


 いきなり話の矛先を向けられても困る。それに、いつも慎重なら、あの時突然抱きしめたのは一体なんだったのか――。あの後、なにをするつもりだったのか――。また、思い出してしまうではないか。


「おかしなことを、ヴィヴィアンに聞かないでください。一応、彼女の安全は考えていますよ。彼女の出番は、もう少し後にしようと思っていましたが……」

「ああ、クロエ?」


 エドワードが頷く。

 クロエとは、一体誰だろう? 聞いたことのない名に、ヴィヴィアンは首を傾げた。


「彼女は女性だけれど、とても強くてね。短剣の名手なんだ。それに、年も近いからいい友人同士になれると思う。私たちがずっとそばにいることは難しいし、悪目立ちしてしまうからね。いずれ君に紹介しようと思っていたんだ。君の友人候補兼、警護といったところかな」


 エドワードの説明に、なぜかレイモンドは意地悪な笑顔を浮かべている。


「会えばわかるよ。きっと、君も見たことがあるはずだ」

「はぁ……」



 * * *



 クロエの正体を教えてくれたのは、意外な人物だった。


「その方、エドワード様が連れてきたという、噂の女性よ!」


 リネットが目を輝かせた。

 そういえば、リネットも他人の恋愛事情に興味津々だったと、ヴィヴィアンは思い出した。

 行き遅れのヴィヴィアンを、様々な夜会に連れ出そうとしたのも、心配というのもあるが、人の恋愛に首を突っ込みたいというのもあるのだ。ヴァルキリー侯爵夫人と気が合うのも頷ける。

 まだハッキリしていないオメデタを早々に噂され、先ほどまで憤慨していたリネットだったが、クロエ嬢の話題は楽しそうに食いついた。

 お見舞いも兼ねて、ヴィヴィアンは親友リネットの屋敷を訪れていた。思いのほか元気で、お茶をすすめられ、こうして久しぶりのおしゃべりを楽しんでいる。だが、お菓子に手を付けないところを見ると、やはり体調は万全ではないようだ。


「長居しては身体に触るのではないかしら?」

「大丈夫よ。出かけるのは無理だけれど、屋敷では普通に過ごしているの。退屈で仕方なかったのよ。レイモンド様のお話も聞きたいし、すぐには帰さないわよ?」


 情報通のリネットは、出かけずとも王都の最新の話題には詳しいようだった。

 ヴィヴィアンは計画内容には触れないように注意しながら、レイモンドとの出会いや、エドワードとの久しぶりの再会話を語った。


「私はあなたが心配だわ、ヴィー。レイモンド様に熱を上げているご令嬢たちに、目の敵にされるのではない?」

「それを心配してくださったのか、なるべくひとりでいなくてもいいようにと、クロエさんという方を紹介していただくことになったの」

「そうねぇ……。女同士の付き合いというのもあるものねぇ……。私の体調さえ良かったら、私がヴィーを守るのに!」


 背が高く、凛とした雰囲気を持つリネットに睨まれたら、確かに普通の令嬢はおとなしくなってしまうだろう。

 リネットの言うとおり、貴族というものは女だけの付き合いというものも多い。お茶会などがそのいい例だ。帰り際とはいえ、先日のようにレイモンドが乱入するというのは、本来あり得ないことだ。それもあって、更にレイモンドとヴィヴィアンの噂は加速しているのだが……。


「クロエ……クロエ……。どこかで聞いた名前だわね」

「え? リネット知っていて?」

「ええ……。この国の方ではないのよね」

「そうね。お名前は初めて伺うわ」


 すると、リネットがハッと顔を上げ、にっこりと笑った。


「思い出したわ!」


 そこで言ったのが、先ほどの台詞だった。


「その方、エドワード様が連れてきたという、噂の女性よ!」

「えっ?」

「レイモンド様とエドワード様が帰国するきっかけとなった戦争があったわね? その前にもその国では他国と何度も戦争していたの。結果、いくつかの国がなくなってしまうのだけれど、クロエ様はその国の王女として、レイモンド様と同じように人質となっていたと聞いたわ。でもその国が戦争に負けて、今度は居場所がなくなってしまったの。戻る国もない。そこで、エドワード様がお連れしたと……。ご婚約されたのではなかったかしら?」


 他国の元王女……そんな高貴な方が、人質となり、短剣の名手と言われるまでになったことを思うと、やるせない気持ちになる。

 ヴィヴィアンは気持ちが重く沈むのを感じた。


「きっと、お辛かったと思うわ。でもエドワード様という方が、クロエ様にはいらっしゃったのね。運命的だわ。そう思わない? ヴィヴィアン」

「え? ええ……そうですわね」

「ヴィヴィアン? なんだか顔色が悪いわ」


 エドワードの婚約者


 その言葉が、ヴィヴィアンの胸に重く重くのしかかった。

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