第8話練習相手?
ヴィヴィアンの目の前に、一通の招待状がスッと差し出された。
隣に座るアイリーンと顔を見合わせると、ヴィヴィアンはおずおずと尋ねた。
「あの……これは……?」
「君はこのお茶会に出席するんだ」
応接間に入るなり、山のような招待状に向き合ったエドワードは、チラリと差出人を見るだけで次々と仕分けしていった。そして、その中からたった一通だけを、差し出してきたのだ。
「これは、十日後に開かれるヴァルキリー侯爵夫人のお茶会の招待状だ。君とレイモンドとの出会いに、ヴァルキリー侯爵夫人は切っても切れない縁だからね。まずはヴァルキリー侯爵夫人の誘いを受けることで、彼女は益々君の保護者のように振る舞ってくれるだろう。それに、彼女の近しい令嬢も参加する。その中には、レイモンド様の婚約者候補もいるんだ」
「ええと……他の招待状はどうしたらいいのでしょう?」
「すべてこちらで預かろう。ざっと見る限り、すぐに対応する必要はないようだけれど、誰がどんな動きをしているかは把握しておきたいからね」
「はぁ……」
「それと、ドレスも一着借りていいかな」
「ど、ドレス……? ええと……わたくしの……ですか?」
ヴィヴィアンが呆けたように返すと、隣に座っていた母のアイリーンが肘で小突いた。慌てて口を閉じたが、エドワードの言葉の意味が理解できない。
「サイズを知りたいんだ。実は既に何着か仕立てているんだけれど、細かい部分のサイズを合わせたくてね」
「ええと……。でも私、ドレスなら持っていますけれど……」
「流行遅れの古いデザインの物なら、ね」
「お、お母様ったら!」
「今度のお茶会では、インパクトが必要なんだ。二回目に公の場に出る時は、最新のドレスで皆の前に現れるというシナリオだよ。その場に居合わせた者は、変身した君を見て、勝手にレイモンド様との仲を想像するだろう」
自信ありげに話すエドワードに、ヴィヴィアンが首を傾げる。
「そんなに簡単にいくでしょうか?」
「皆、案外単純なものだよ」
そんなものだろうか?
だが、そうだとしても、新しいドレスを用意する必要など、あるのだろうか。
元が貧乏性のヴィヴィアンは、お茶会のためだけにドレスを新調するなど、勿体ないとしか思えなかった。それも、彼は今何着か、と言わなかっただろうか。
「君が費用を心配することはないよ。これは全て、レイモンド様にふさわしい相手を見つけるため。ひいてはこの国の平和のためなのだからね」
「でも……」
「ヴィヴィアン、いいじゃない。とびきり素敵に変身なさいな。私が持ってくるわ。エドワード様、なるべくヴィヴィアンの身体にピッタリの物がよろしいわよね?」
「ええ、お願いします」
なぜ母がこんなにも乗り気なのか、ヴィヴィアンには分からなかったが、アイリーンは鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。扉の外で、カーラを呼ぶ声がする。きっとふたりがかりで、ドレス探しをするのだろう。
「――お茶会で新しいドレスを着ていくだけで、そんな効果が本当にあるのでしょうか」
「きっと、思った以上に反響はあるだろうね」
「え? どうしてですか?」
ヴィヴィアンの問いに、エドワードは答えなかった。
頭を少し傾け、黙り込んだエドワードを、ヴィヴィアンは辛抱づよく待った。
ようやく口を開いたエドワードが発したのは、ヴィヴィアンの問いに対する答えではなかった。
「夜会で初めてレイモンド様に会ったあの日、君を待たせていたあの部屋にレイモンド様が来たね?」
「え……。はい……」
「途中、ヴァルキリー侯爵夫人が君たちを見た。公爵夫人は、仲睦まじい姿を見て、あちこち吹聴して回ったんだよ。だから、まずヴァルキリー侯爵夫人のお茶会に行くことが効果的なんだ」
その時のレイモンドとヴァルキリー侯爵夫人のやり取りを思い出し、ヴィヴィアンが一瞬、表情を強張らせた。
「でも、それは……本当にご挨拶させていただいただけで……レイモンド様ともほんの少し、ダンスをしただけですわ」
「だが、夫人はそうは思わなかった。――いや、いいんだ。元々誰か貴族の有力者に目撃者か情報発信者に仕立て上げようと思っていたからね。ただ、思った以上に早く計画が進んでいるだけで」
「…………」
困ったように視線を泳がせるヴィヴィアンに、エドワードがなおも質問を重ねた。
「本当に、踊っただけかい? それ以外にはなにもなかった?」
「えっ?」
驚き、視線を上げたヴィヴィアンの顔が、一瞬にして耳まで真っ赤になったのを、エドワードは見逃さなかった。
「なにがあったんだい?」
「え、ええと……あの……」
「全て話してくれないかい? 計画の責任者は私だからね。知らないことがあるのは困る」
仕方なく、ヴィヴィアンはつかえながらも、控えの間であったことを話した。
こんなことで言葉がつまる自分が恥ずかしい。
エスコートの際、預けた手にキスをすることは、社交的な貴族にとっては普通のことだろう。レイモンドの行動も、当然特別な意味はなかったはずだ。
ただ、ヴィヴィアン自身がそういう行為に免疫がないだけなのだ。
「ごめんなさい。私、その……そういうの、慣れていなくて、驚いてしまって」
「――そう。そんなことか」
“そんなこと”
エドワードにそう言われたことがショックで、ヴィヴィアンは俯いてしまった。十九にもなって、たかが挨拶のキスで動揺するなど、きっと彼は呆れているのだろう。でもそれは同時に、エドワードにとってもそんなことは他愛もないことなのだと思い知らされた。
(あの時も、とても綺麗な女性とご一緒だったし……)
うまく大人になれず、いつまでもあか抜けない田舎の子供なのは、自分だけなのだ。いつの間にか彼はこんなにも素敵に、洗練された都会の紳士になってしまった。遠い、遠い存在になったのだ。
どうして私は皆がスマートにこなしていることすら、つまずいてしまうのだろう。情けなさと恥ずかしさでぎゅっと目を瞑る。すると、突然強く手首を掴まれた。
「えっ?」
しっかりと手を握られ、手の甲に柔らかいものが押し当てられる。
目を開いたヴィヴィアンが見たのは、エドワード跪き、自分の手の甲にキスをしている姿だった。
「え? あ、あの……あの……?」
パクパクと口を動かすが、うまく言葉にならない。
すると、そのまま強く手を引かれ、つんのめるように立ち上がったヴィヴィアンは、そのままエドワードの腕の中に閉じ込められた。
突然のことで、身体を固くしたヴィヴィアンを、エドワードの腕が優しく、強く包み込む。
髪にエドワードの息がかかり、彼に抱きしめられていると気づいたヴィヴィアンは、まるで体全体が燃えるように熱くなり、全身に甘い痺れが広がった。
「……慣れていないと言うのなら、私がいくらでも練習相手になろうか?」
腰を抱きしめていた手が外され、ふたりの身体に隙間を作ると、エドワードはヴィヴィアンの細い顎に指を添えた。ヴィヴィアンはまるで催眠術にでもかかったかのように、顔を上げる。ふたりの視線が絡まると、エドワードは顔を傾け、そっと近づけた。
再びぎゅっと目を閉じたヴィヴィアンの頬に、温かな息がかかる。だが、それ以上近づくことはなく、彼の身体は離れて行った。
扉の向こうで話し声が聞こえる。
「エドワード様。お持ちしましたわ」
一着のドレスを持って、アイリーンが現れると、エドワードはまるで何もなかったかのように平然と振る舞った。
「ありがとうございます。では、こちらを暫くお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ええ。勿論ですわ。あら、ヴィヴィアン、なにをぼうっと突っ立っているの?」
「――今、立っていただいてレイモンド様との大体の身長差を確認していたのですよ。ドレスと一緒に靴も新調しなければいけませんしね」
どうして、エドワードはこんなにも普通にしていられるのだろう。今、ふたりの間で起こったことは、ヴィヴィアンにとっては雷に打たれたような衝撃だった。なのに、エドワードにとってはまるで本当に、単なる練習であるかのように、彼は顔色ひとつ変えない。自分はまだ、心臓がドクドクとうるさくて仕方がないのに……ヴィヴィアンは、胸に手をあて、「静まれ! 静まれ!」と念じたが、全身の火照りは簡単にはなくならなかった。
* * *
「――俺は一体、なにをしていたんだ……」
馬に乗りながら、エドワードがひとりごちる。
自分の軽率な行動が、計画を台無しにする。それを一番分かっているのに、一体何をしていたのか……。
こんなことではいけない。
レイモンドが勝手な行動に出始めた今、エドワードだけは冷静でいなければならないのだ。
レイモンドがヴィヴィアンに興味を持ったことは、想定外だった。それに、ヴィヴィアンがこれまで恋愛の駆け引きに全くと言っていいほど、触れてこなかったことも。
腕の中で自分を見上げる、ヴィヴィアンの瞳を思い出し、エドワードは振り切るように頭を振った。
今更、計画を変えることはできない。
エドワードは大きく息を吐くと、馬の腹を蹴った。
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