第7話母の想い

 社交シーズンは、貴族にとって一年で最も華やかな季節だ。

 王宮の一角では、貴族院が開かれ、当主たちが集って議論する。母親たちは情報収取にと、あっちのお茶会、こっちのカードゲームと飛び回る。その時やりとりされる情報とは、どこの家が傾いただの、ドレスの流行はなにかなど、幅広い。そんな中でも関心が高いのは、やはり恋愛話だろう。アイリーンが今参加しているお茶会でもあちらこちらで、恋愛話が出ている。アイリーンにとっても、これは馴染みの光景だ。いつもなら、アイリーンも積極的に話の輪に加わっているところだった。話の主役が、自分の愛娘でなかったら。


「ところで、アイリーン。あの話はどうなっていて?」


 好奇心でキラキラと輝く瞳を向けられ、アイリーンはなんとか顔面に笑顔を貼りつけた。

 それまであちらこちらで各々が楽しく談笑していたはずなのに、アイリーンの名が出た瞬間、シンと静まり返る。アイリーンが器用に目だけ動かすと、こちらを見ないよう無関心を決め込んでいる者も、耳はしっかりと向けられていた。


「まぁ……。なんのことでしょう?」

「嫌だわ! あなたのお嬢さんよ。今、この王都で一番話題のご令嬢! ええと……お名前をなんと仰ったかしら? ねえ、わたくしとあなたの仲ですもの。今度のお茶会には連れてきてくださるわよね?」


(わたくしとあなたの仲は、単なる“顔見知り”ですけれどね)


 心の中で軽く毒づくと、アイリーンは困ったように眉尻を下げた。


 だいたい、そんなに親しい間柄だと主張するならば、娘の名前くらい覚えているはずだ。どうせこのご婦人も、ヴァルキリー侯爵家の夜会でレイモンド・アーヴィン侯爵の視線を独占し、一気に存在が広まったヴィヴィアンに近づきたいだけなのだ。


「困りましたわ……。あの子は今、主人の命令で外出を控えておりますの。あの夜会の後、色々な方からお茶会などのお誘いはあったのですけれど、わたくしどものような地方貴族がノコノコと出かけて、アーヴィン侯爵のお話などできませんわ。うちと侯爵家では身分が違いすぎます。公爵にご迷惑がかかってしまいますわ」

「まぁ……。あなたがなんとか連れ出せない? わたくし、お嬢さんの力になってよ?」


 婦人はなおも食い下がる。そのしつこさに、アイリーンの口からは乾いた笑いが漏れた。一体、名前も知らない娘の、なんの力になれるというのだろうか。


(身分が違うと私が謙遜したことも、否定しないわけね)


「ごめんなさいね。主人に叱られてしまいますわ」


 ヴィヴィアンを連れ出せないと知ると、まるで波が引くかのように、周囲の関心がアイリーンから離れた。そしてまた、各々が談笑を始める。


「貴族院も今、大変なようですわね」

「バセット卿のお話? まさか、あの方がね……」

「不正をしてらしたって。急に議長の座を追われたのでしょう?」

「あら。バセット卿のお嬢さん、レイモンド様の婚約者候補の筆頭だと聞きましてよ?」


 今度はアイリーンが聞き耳を立てる。

 このところ、バーナードが疲れて帰るのは、このためだろうか。てっきり自分と同じようにヴィヴィアンについてしつこく聞かれているのだろうと思っていたが、どうやら本当に忙しいらしい。しかも、レイモンドの名が出たものだから、気になってしまう。


「そんなの。なかったことにされるに決まっているわ! バセット卿も、それどころではないはずよ」

「まぁ。イヴォンヌ様には申し訳ないけれど……わたくしはお相手がイヴォンヌ様でないのなら、その方がよろしいわ。あの方いつもバセット卿の名を出して偉そうにしているのよ」

「そうねぇ……ご自分でも、未来のアーヴィン侯爵夫人になる気があったようですから、少しお可哀想だけれど。では、レイモンド様のお相手はどなたかしら?」

「ご執心なのは、噂のご令嬢よ。ほら、あちらの……」

「でも、ご身分が……まだ他にも候補の……」

「そうよねぇ……」


 急に声が潜められ、アイリーンは心の中で小さく舌打ちした。

 噂の……とは、やはり娘のヴィヴィアンのことだろうか? しかもあの口調では、ヴィヴィアンでは不満らしい。


(そりゃ、若くないかもしれないけど、うちのヴィーはとても可愛らしいのに! ああ、もう! 気になるったら!)


 お茶菓子を口にしながらも、彼女たちの会話の続きが気になる。だが、アイリーンの存在を気にしてか、彼女たちは時折こちらを伺うように見ると、更に声を落とした。聞き耳を立てていたことに気づかれてしまっただろうか。これ以上続きを聞くのは無理かしら――そう思っていると、今度はまた別のところから知った名前が出て、アイリーンの意識がそちらに移った。


「ダルトン伯爵は、もう決まった方がいらっしゃるようですわ。娘を紹介しようかと思ったのですが、残念ですわ」

「ダルトン伯爵って……黒の貴公子の?」

「わたくしも見ましたわ。美しいお嬢さんでしたわね。とてもお似合いでしたけれど、お見かけしたことがございませんわ」

「なんでも、敵国にいらした頃に出会われたのだとか……。あちらのお嬢さんも同じような待遇で」

「まぁ。恐ろしい! では、人質に?」

「ええ。しかも、その方の国は戦争に負けて、もう母国には戻れないのですって。そこにダルトン伯爵が手を差し伸べたそうですわよ」

「まぁ! なんてロマンティックなのでしょう! わたくし、応援しますわ!」


 婦人の何人かは、とても感激した様子でそう宣言した。

 お芝居とはいえ、ヴィヴィアンとレイモンドの出会いもなかなかロマンティックだと思うのだが、そちらは応援してはもらえないのだろうか。なんとも不公平な話だ。


(それにしても……。エド……そうなのね……)


 アイリーンは遠い昔を思い返し、小さく嘆息した。

 どうやら、愛娘の初恋は叶わぬものだったようだ。



 * * *



 アイリーンがお茶会を終え、馬車に乗って屋敷に戻る途中で、何台かの馬車とすれ違った。いずれも、名門の紋章を付けた立派な馬車だ。今もまた、豪華な馬車がこちらに向かってくる。


「気を付けてね、ポール」

「はい、奥さま」


 小窓を開けて御者に声をかけると、アイリーンはそのまま通り過ぎる馬車を見ていた。

 郊外の狭い街道で、すれすれに通り抜けた馬車は王都の中心へと向かう。

 午後の遅い時間、こんな郊外になんの用だろうか。

 それなりに歴史のある貴族とはいえ、地方の小さな土地をまとめるだけのアンブラー男爵家は、昔から裕福とは言えなかった。故に、王都の町屋敷も中心部から少し離れた郊外にある。王都とはいえ、中心から離れた場所では、馬車同士が通り過ぎるのもやっとの道幅なのだ。それにしても、どうしてこうも貴族の馬車が多いのだろうか。アイリーンが疑問に思っていると、御者が意外なことを言った。


「お屋敷へのお客様でしょうか」

「え? うちに?」

「ええ。セドリックさんが、このところの来客の多さに辟易しておりました。中には良い返事をもらうまではと粘る方もいらっしゃったようです」

「まぁ……」


 娘に宛てられた招待状が山のように届いたとは聞いていたが、まさかそこまでだとは思っていなかった。

 バーナードの指示で外出を控えているとお茶会で言ったが、本当はエドワードの指示によるものだ。確かに、こうも多いのではひとつに顔を出せば、他も顔を出さなくてはいけないだろう。そうなると、秘密が漏れてしまう可能性も出てくる。そんな大げさな、と笑っていたものだが、現実になるとは思っていなかった。


「馬車が列をなしているとまでは、思っていなかったわ」

「お屋敷の周辺は渋滞しているかもしれませんね」


 アンブラー男爵家は使用人は少ないが、長く仕えてくれている彼らとは家族のように過ごしてきた。ポールもまたそんなひとりで、アイリーンは彼の軽口に「まさか」と笑った。

 ところが、事態はポールの言う通りになっていた。

 アンブラー家の屋敷は、それほど敷地も広くない。馬車などは玄関前に何台入るだろうか。そんなものだから、はみ出した馬車が何台か、屋敷の手前で立ち往生していた。


「奥さま。どうしましょうか」

「そうね……。さすがに、家の者と分かれば道を譲ってくれるのではないかしら……。少しスピードを落として行きましょう」

「はい」

「あら?」


 小窓から様子を見ていると、馬に乗った従者が屋敷の様子を伺っているのが目に入った。

 真っ黒な外套を着て、同じく真っ黒な帽子を目深に被ったその姿は、一見して怪しい。周りが馬車の中、ひとり馬で現れたのはなぜだろう。


「あの男、なんだか怪しいですね」

「そうねぇ……。あら? でもあの後ろ姿は……」


 馬にまたがるその姿に、アイリーンは見覚えがあった。


「ポール。あの馬に乗った従者にゆっくり近づいてちょうだい」

「奥さま。危険ではございませんか?」

「大丈夫よ」


 馬を驚かさないようにゆっくりと近づくと、相手の従者もそれに気づいたのか、振り返ると更に帽子を深く下げて顔を隠した。アイリーンはそれに構わず、小窓から声を掛ける。


「エドワード様」


 すると、従者に扮したエドワードは驚いたように顔を上げた。


「アイリーン様!」

「エドワード様。裏口を開けさせますわ。そちらにまわってくださいませ」

「ありがとうございます。でも……なぜ、私だと?」

「わかりますわ。エドワード様は、わたくしにとっては息子も同然ですもの」


 アイリーンの言葉に、思わずエドワードも笑みをこぼした。


 大きく迂回し、裏口から無事アンブラー家の屋敷に入ることができたエドワードは、改めてアイリーンに礼を言った。


「それにしても、よくわかりましたね。私としては、うまく変装したつもりだったのですが」

「エドワード様は、思案なさっている時に少しだけ、頭が左に傾きますのよ。きっと癖ですのね」

「それは……そうですか。自分でも、気づいていませんでした」

「そうですか? では、わたくしはヴィヴィアンを呼んでまいりますわね。今、セドリックに案内させますから、エドワード様は応接間に――」

「アイリーン様」


 アイリーンが話終える前に、エドワードがそれを遮った。

 振り返ると、エドワードは帽子を取り、アイリーンに頭を下げていた。


「エドワード様? なにを――」

「この度は、話が大事(おおごと)になってしまいまして、申し訳ありません。私としては、もっと慎重に進める予定だったのですが……。こんな騒ぎになってしまいました」

「エドワード様……。お顔を上げてくださる?」


 アイリーンに促され、エドワードが顔を上げる。

 文句を言われても仕方がないと覚悟を決めていたのだが、アイリーンは優しく微笑んでいた。


「わたくしね、このお話をお受けしたのは、あなただからですのよ?」

「え……」

「そりゃあ、今アンブラー家は大変な時ですから。援助は有難いことですわ。でもね、一番の理由はヴィヴィアンの幸せなのです。ロートン準男爵のお話も、主人と一緒にとてもとても悩みましたの。正直――断ってくださってホッとしておりますのよ」

「アイリーン様……」

「あの子は裏表のない、とてもいい娘です。ですが、人様よりもちょっとノンビリというかおっとりというか……そんなところがありまして。気づいたら行き遅れていたと言いますか……。わたくし達もどうにかしなければと思っていたのですが、あの子の気持ちがついてこなければ、意味がありませんものね。そう思って、見守っていたのです。結果、こうなっているのですけれども」


 少し自虐的に言ったアイリーンだったが、エドワードは笑わずにじっと話を聞いていた。


「でも、あなたなら、そんなあの子のことをご存じでしょう? ですから、わたくし達、あなたにお任せしようと思ったのです」

「アイリーン様……」


 アイリーンが丁寧な仕草で頭を下げた。


「エドワード様。改めて、あの子のこと、よろしくお願い致します。身内びいきもありますが、とても素直でいい子なんです」

「知っています」


 即答したエドワードを、アイリーンが思わず見上げる。すると、エドワードが言い含めるようにもう一度、ハッキリと口にした。


「知って、います」


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