第6話山のような招待状
ヴァルキリー侯爵家での夜会から数日経っても、エドワードから次の依頼があるわけでもなく、ヴィヴィアンは男爵家の屋敷でのんびりと過ごしていた。
「お嬢様。紅茶のお代わりをお持ちいたしましょうか?」
「え?」
ヴィヴィアンが手にしたカップに視線を落とすと、少し残っていた中身はすっかり冷めてしまっていた。
親友のリネットからもらった、花の香りのする高価な紅茶なのに、勿体ないことをしてしまった。
少し悩んだあと、そばに控えていたカーラに「いえ、いいわ。もう下げてもらえる?」と応えた。
今日はなんだか気が抜けてしまって、高価な紅茶を楽しめなさそうだ。
カーラが退室すると、居間(パーラー)はヴィヴィアンひとりきりとなった。
侯爵家の夜会で、レイモンド侯爵の想い人を演じた後、ヴィヴィアンはこれからどうなってしまうのかと心が休まらない日々を過ごしていた。
エドワードからは、ヴィヴィアンに接触を図ろうとする貴族が増えるだろうと言われていた。だが、それも蓋を開けてみれば、なにも起こらない、至極平凡な毎日が待っていたのだ。身構えていた分、肩透かしを食らった感は否めない。これでは気が抜けてしまっても仕方がないだろう。
「侯爵家のお庭、広くて綺麗だったわねぇ~」
ぼんやりと口にしても、それに応える者はいない。
居間(パーラー)から庭の花を眺めながら、あれは夢だったのではないかとさえ、思える。
今、ヴィヴィアンの目に映るのは、ひと目で見渡せるこじんまりとした庭だった。
専属の庭師がいるわけでもなく、たまに庭師を雇って整えてもらう程度だ。それも、二日もあれば手入れができてしまうだろう。庭の中に東屋やベンチが点在し、迷路のような花壇や散歩道、池があった侯爵家とは雲泥の差だ。
「やっぱり私、夢を見ていたのかしら……」
ヴィヴィアンが再び小さく呟いた時、部屋の外がにわかに騒がしくなった。その音に気づき、顔を上げたのを同じタイミングで扉がノックされた。
「? どうぞ?」
「お、お嬢様。今しがた、招待状が届きまして……」
「あら。どなたからかしら?」
貧乏貴族とはいえ、貴族同士の付き合いがまったくないわけではない。
お茶会や夜会、晩餐会や狩りの誘いなど、両親宛ての物も合わせれば、それなりの数の招待状は毎シーズン届けられる。それなのに、カーラはまるで、それが初めてかのように動揺していた。
「どうしたの? カーラ。もしかして、お返事を急いでらっしゃるのかしら? もしも従者が待っているのなら、今はお父様もお母様もいらっしゃらないのだから、お預かりして改めてご連絡すると、そうお伝えしてちょうだい」
「いえ、これはすべて、お嬢様に宛てられたものでございます……!」
「私に?」
「こ、こんなにございます! こんなことは初めてですね!」
失礼な。私にだって招待状の一通や二通――そう反論しようとしたヴィヴィアンは、カーラが差し出した招待状の数を見て驚いた。なんと、両手で抱えるように持っているではないか。
「どどどどど、どうして? どなたから?」
「とにかく、たくさんの方からです! セドリックさんがすぐにお嬢様にお伝えしようとしたらしいのですが、なにしろひっきりなしに従者がやってくるので、こんな量に……。今も、どこかのお宅の従者のお相手をしております」
ヴィヴィアンがいる居間(パーラー)は、ちょうど屋敷の裏庭に面した部屋だった。そのため、そんなにも多く訪問者がいたことに、まったく気づかずにいたのだ。
カーラが持ってきた招待状を見ると、そこにはこれまで付き合いのなかった格上の貴族の印章ばかりが目立った。
「こ、これは……! いよいよ、そういう時が来た……、ということかしら?」
「ええ。そのように思われます。現に、すぐに返事が欲しいと粘る従者が多いそうですわ。今のところ、セドリックさんがなんとか追い返しておりますけれど……」
「そ、そうね。さすがはセドリックだわ。ええと……ええと……」
なんの変化も起こらないことに肩すかしを食らったと思っていたのだが、いざ事が起こるとあたふたしてしまう。
立ち上がり、ウロウロと歩き回るヴィヴィアンに、カーラが焦れたように言った。
「ダルトン伯爵に、カードをお送りするのですわ!」
「そ、そう! そうよ、カーラ。そうだわ!」
「では、わたくしが参りますわ」
「お願いね」
エドワードから、連絡用の特別なカードを預かっている。エドワードの瞳のような青いカードは、一見なんの変哲もないものだったが、なによりも優先的にエドワードの元に届けられるようになっていた。
ヴィヴィアンは急いで自室に戻ると、引き出しの中から青いカードを取り出した。カードに書く文面も、直接的なことを書いてはならない。あらかじめいくつうかの文例を受け取っていたヴィヴィアンは、震える手でペンを走らせた。
『あたたかな日差しに誘われたのか、色とりどりの花が咲きました。どのお花を摘もうかと、目移りします』
(噂を聞きつけたのか、たくさんの招待状が届きました。どのお話を受けるべきか、迷います)
「こ、こんな感じかしら……」
カードとお揃いの青い封筒をイニシャルの蝋を押すと、そのカードをカーラに渡した。カーラは既に御者に話をつけ、出かける準備をしていた。
「では、お願いね」
「わかりましたわ」
突然動き出した事態に、ヴィヴィアンは不安げにカーラを見送った。
* * *
「なぜ、そんなことをしたのですか?」
「そんなに怒るなよ」
エドワードは苛々したように問い詰めるが、レイモンドは笑って受け流すばかりだ。
部屋の隅に控えているメイドたちも、この張りつめた空気にいたたまれないようで、じっと空を見つめている。
「ただ僕は、彼女ともっと親しくなりたかった。それだけだ」
「それはもう聞きました。ですが、抱き合っていたというのは、少々やりすぎでは?」
「思った以上に、大げさに広まっているね。ビックリだよ」
「他人事のように……!」
一向に反省の色を見せないレイモンドに、エドワードはこめかみを押さえた。
まさか、ヴィヴィアンとの運命の出会いを演出したヴァルキリー侯爵家の夜会で、レイモンドが広間を抜け出してヴィヴィアンの元に向かうとは思ってもいなかった。
あの日は、ヴィヴィアンにひと目で恋に落ちたレイモンドが、真っ先に彼女にダンスを申し込み、何曲も一緒に踊る。レイモンドがすることは、これだけだったのだ。
それだけで、獲物は釣れる。実際、婚約者の有力候補だったイヴォンヌ・バセット公爵令嬢が動いたのだから、大成功と言っていいだろう。その後、準備した馬車で一足先にヴィヴィアンを帰らせるつもりだった。あの日の夜会は、ヴィヴィアンの話題でもちきりだった。あのまま広間に戻っては、あっという間に参加者に囲まれて、どこかでボロが出る可能性もある。それに、一瞬のインパクトの方が、出席者の印象には残る。
付き合いの上でのダンスを終えて、レイモンドが再びヴィヴィアンを探すも、彼女の姿は既にない……。
そういうシナリオだったのだ。
それなのに、ヴィヴィアンが別室で馬車の準備を待つ間、彼女の元に行くなんて……。しかも、本人は漏れ聞こえる音楽に合わせ踊っていた、と言うが、おしゃべりオウムのヴァルキリー侯爵夫人の口から他の貴族へと伝わった時には、『ふたりは抱き合っていた』となっていたのだ。
「あなた自身で話をややこしくしてどうするのです?」
「ややこしくしたつもりはない。むしろ、手っ取り早く事が動くと思うが?」
「まったく……!」
今や、ヴィヴィアンは時の人だ。
どのお茶会もどの夜会もどの晩餐会も、話題のご令嬢、ヴィヴィアン・アンブラーを望んでいる。
ヴィヴィアンの住むアンブラー家の屋敷は、王都の中心からは少し外れた場所にあるため、彼女本人はまだ知らないことかもしれないが、もうすぐこの騒ぎは彼女の元にも届くだろう。それは、時間の問題と思われた。
「僕はね、君の話を聞いた時、一体なにを言い出すのだろうと困惑したんだよ。でも、今は違う。むしろ、君にはお礼を言いたいくらいだ」
「それは――」
楽しそうに笑うレイモンドに、エドワードが苦々しい思いで言葉を返した時、扉をノックする音が響いた。
「――どうした?」
「ご歓談中、申し訳ございません。エドワード様に、急ぎのお手紙が届いております」
信頼する従者が手にしていたのは、ヴィヴィアンに渡していた青いカードだった。
すぐに受け取ると、ナイフで切るのも煩わしく、封筒の端を指で切り裂く。
中には、少し震える字で、短い文章が書かれていた。
『あたたかな日差しに誘われたのか、色とりどりの花が咲きました。どのお花を摘もうかと、目移りします』
その文面に、エドワードは思わずチッと小さく舌打ちをする。
いつも冷静沈着な彼が、こうも感情を露わにすることは少ない。
「もしかして、ヴィヴィアンかい? 彼女はなんと?」
「……彼女とお近づきになろうとした貴族から、お茶会や夜会の招待状が山のように届いているようですよ」
「ほら、色々と手っ取り早いだろう?」
「あなたは……!」
これ以上は同じことを繰り返すばかりだ。
エドワードは、控えたままの従者に尋ねた。
「これを持ってきたアンブラー家の使いの者は、まだいるかい?」
「はい。すぐにお返事を出されるかと思い、待たせてあります」
「そうか。では、少し待ってくれるか」
エドワードはポケットから別の青いカードを取り出すと、そこに返事をしたためた。
『色とりどりの花は、目に楽しいものでしょう。私も是非見てみたいものです。ですが、花にも棘があります。おひとりで摘み取るのはおやめください。良い庭師を手配いたしましょう』
(たくさんの招待状を、私も確認します。決して開封しないよう。近々参ります)
素早く封をし、従者に手渡すと、エドワードはわずかに口角を上げた。
さて、今度はどんな獲物が釣れるだろう。
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