第3話黒の貴公子
ヴィヴィアンは侯爵家の見事な中庭を歩きながら、エイブラハムの求婚のことを思い出していた。
(カーラは今年の社交界では、きっと良い出会いがありますと元気づけてくれたっけ。でも、これが良い出会いかどうか……)
ふと足を止め、出てきたばかりの屋敷を振り返る。
広間には明かりが煌々と付き、華やかな音楽と共に、人々の笑い声が聞こえる。
こんなに大きな屋敷の夜会に参加することになるなんて、あの時のヴィヴィアンは夢にも思わなかった。
先ほどまで自分の手を包んでいた大きな手を思い出す。
三曲ダンスを終えると、レイモンドは名残惜し気にヴィヴィアンの手を離した。
視線をヴィヴィアンから離さず、数歩下がったレイモンドは、あっという間に人々に取り囲まれヴィヴィアンの視界から消えた。
夢だったのではないか……そんな気さえする。だが、ヴィヴィアンの手と背中には、まだレイモンドの手の感触が残っていた。
ほてった顔を夜風で少し冷まそうと中庭に出たヴィヴィアンは、花壇の前のベンチに座り、星空を見上げた。
今、広間に戻っては、人々の好奇の目に晒されるだろう。
もう少し、ここで静かに過ごしたい。そう思ったヴィヴィアンだが、そう簡単に見逃してはもらえないようだ。
衣擦れの音がする。
顔を上げると、三人の令嬢がこちらに向かってくるのが見えた。
それが自分よりはるか上位の、イヴォンヌ・バセット公爵令嬢だと気づいたヴィヴィアンはお辞儀をしようと立ち上がろうとした。
だが、それより少し早くヴィヴィアンの肩に扇が乗せられる。
思いのほか強いその力に圧され、ヴィヴィアンは再び腰を下ろした。
「立たなくて結構よ。わたくしたちは長居するつもりはありません」
「あなたごときのために、わざわざイヴォンヌ様ご自身が出向くなど、今後二度とありませんわ」
イヴォンヌの両脇を固めていた二人が、まるでイヴォンヌを守るようにズイッと前に出ると、ご丁寧にヴィヴィアンの立ち位置を教えてくれた。
二人は確か、アビゲイル・エフィンジャー伯爵令嬢と、リディア・ケイヒル子爵令嬢だ。
二人が後ろを伺うと、扇で口元を隠した令嬢が静かに口を開いた。
「あなた……ヴィヴィアン・アンブラー男爵令嬢ですわね? レイモンド様とは、以前からのお知り合い?」
「いいえ……。今日が初めてでゴザイマス」
ヴィヴィアンは記憶した台詞を小さな声で呟いた。
声を発することでいっぱいで、少し棒読みになった気がしたが、有難いことに相手はそれに気づいていないようだった。
「なんてこと! あなた、それ本当!?」
「はい、ホントウです」
「イヴォンヌ様! レイモンド様は一体なにを考えていらっしゃるでしょうか!」
「あなた方、お黙りなさい」
ヴィヴィアンの答えを聞いて騒ぎ出すアビゲイルとリディアを、イヴォンヌは落ち着いた声で諌めた。
「ではアンブラー男爵令嬢。……なぜ、レイモンド様は、あなたをダンスにお誘いになったと?」
「……わかりません。もしかしたら……憐れみの感情からかとオモイマス……」
自信なさそうに小さな声で答えるヴィヴィアンを見て、イヴォンヌはフンと鼻で笑った。
「レイモンド様がお優しい方で良かったわね。でも……勘違いしない方がよろしいわよ? あなたの領地は確か……北の方ですわね。まだ街道も整備されていなくて大変だと聞いておりますわ。よろしければ私、お父様に口添えをしてもよくてよ?」
「それは……ええと……」
「まあ、あなた察しが悪いわね!」
「貧乏なあなたの家に、領地を整備できるお金を援助すると、イヴォンヌ様は仰ってくださっているのよ! ありがたく思いなさいな」
(なるほど。そういうことか)
まったく。高貴なお方というのは話が回りくどくて仕方がない。
ヴィヴィアンは、やっとイヴォンヌの言葉の意味するところがわかり、内心苦笑した。
(ええと……。こんな時、私はなんと言えばいいのかしら……)
何も言わないヴィヴィアンに焦れて、とうとうイヴォンヌが声を荒げる。
「ですから、金輪際、レイモンド様には近づかないでちょうだい! あなた、身の程を知った方がよろしくてよ!」
事前に聞いていた通りの言葉を投げつけられ、ヴィヴィアンは傷つくどころか、拍手を送りたい気持ちだった。
が、そんなことは勿論、台本にはない。笑いだしたくなるのを堪えようと俯くと、イヴォンヌたちは都合よく解釈したようだった。
「まぁ。こんなことでお泣きになるの? もしかして、本当にレイモンド様に見初められたとでも思っていらしたの?」
「嫌だわ。図々しいったら」
取り巻きが追い打ちをかけるようにそう言うと、遠くから楽しげな話し声が聞こえてきた。
その笑い声に、ヴィヴィアンの前に立ちはだって、険しい表情をしていた三人の令嬢はすぐに顔に笑顔を貼りつける。
顔を上げたヴィヴィアンは、その早業を感心しながら眺めていた。
「やあ。そんなところで、お嬢様方だけで何をしているのですか?」
低く、よく通る声が響いた。
顔をあげてそちらを見ると、背の高い黒髪の男性がこちらに向かってくる。
その左側には。胸元の大きく開いた流行りのドレスをまとった女性が、べったりと張り付いていた。
黒髪の男は、そんな女性の歩幅に合わせてゆっくりと近づいてくる。
「まあ。エドワード様。ごきげんよう」
先ほどとは打って変わって、イヴォンヌが鈴が鳴るような可愛らしい声で挨拶をした。
それにアビゲイルとリディアもならう。
それもそうだろう。
現れたのは、彫刻が歩いているのかと錯覚を起こすほど、整った顔立ちをした青年だった。
豊かに波打つ黒髪は襟足が長く、軽く結わえていて、前髪も瞳が隠れてしまう程の長さだった。
その髪型は他の男性がすると不潔に感じられそうだが、目の前の青年はそれがむしろ色気を感じさせるから不思議だ。
そして、長い前髪に隠れ見える人を見透かすかのような真っ青な瞳はどこまでも清涼で、そのギャップが魅力的だと社交界で話題になっていた。
青年の名は、エドワード・ダルトン伯爵。
レイモンドの留学につき従い、長く敵国での生活を共にしていた青年だ。
彼もまた、戦争での勝利がきっかけで帰国してきた一人である。
エドワードは帰国後に、病床についていた父親から爵位を継いでいた。
柔和で優雅なレイモンドと、ミステリアスな色気を持つエドワードは真逆の魅力があり、二人はまるで白の王子と黒の貴公子だと噂され、今シーズン社交界の主役となっていた。
そんな黒の貴公子、エドワードが現れたものだから、三人とも嬉しそうに微笑んだ。
それをぼんやりと眺めていると、エドワードの視線がヴィヴィアンに向けられた。
「そちらのお嬢さんは?」
挨拶を忘れるという失態に気づき、慌てて立ち上がろうとすると、そこにまたイヴォンウが立ちふさがった。
「どうやらご気分が優れないようですの。わたくしたち、ここで少し休まれてはいかがかと、お話しておりましたのよ」
「さすがイヴォンヌ様。なんとお優しい。ですが、ここでは夜風がお身体を冷やしてしまいます。さぁ、私が控の間までご一緒いたしましょう」
一緒にいた女性が、「え?」と声をあげてエドワードを見る。
「具合の悪い女性を放っておくことなど、できないからね」
エドワードが女性をなだめるように頬を撫でると、女性は渋々ながらエドワードの腕を離した。
「さあ、こちらです。参りましょう」
ヴィヴィアンは「ありがとうございます」と小さくお礼を言うと、エドワードに背中を押され、歩き出した。
その後ろ姿をイヴォンヌたちが、不満げに睨みつけていた。
* * *
「それで? 彼女たちはどうだった?」
夜会の出席者たちに用意されている控えの間を通り過ぎたある一室で、ヴィヴィアンにイスを勧めると、エドワードは早速本題を切り出した。
「イヴォンヌ様は……とても寛大で、公爵令嬢らしい高貴なお方だと感じました。少し……尊大な感じもしましたけれど……」
先ほどのやり取りを思い出しながらヴィヴィアンが答える。
決して気持ちのいいやり取りではなかったが、下級貴族のヴィヴィアンに対し、公爵令嬢のイヴォンヌが高飛車になるのは致し方ない気がした。
「ふむ……。では、残りの二人は?」
「アビゲイル様とリディア様はその……少しイヴォンヌ様のご威光を笠に着るような……そんな言動が見られました」
「そうか。あの二人に関してはそのような話は聞いていたが……。分かった。では、君はイヴォンヌ嬢になんと言われたんだい?」
「ええと……」
ヴィヴィアンはイヴォンヌからの提案をそのまま話した。
すると、エドワードは深くため息をつくと、苛立たしげに足を組んだ。
「イヴォンヌ嬢の家であるバセット家は、この国でもかなりの大金持ちでね。そのためか、なにかと金で解決しようとするふしがある」
「でも……うちの領地がそれで整備されるのでしたら、願ったり叶ったりなのですけれど……」
「おいおい。まさか本気で整備費用をもらえると思っていないだろうね。それは君がレイモンド様から身を引いたらの話だろう?」
「そうですけれど……」
エドワードは書類を片手に、何かを書きこんでいる。
「バセット卿は、貴族院の議長の座を金で買ったと言う噂がある。今日の君の話で真実味が増したな。彼女はレイモンド様には相応しくない」
ヴィヴィアンは、とんでもないことを引き受けたものだと今更ながら後悔した。
「ではヴィヴィアン。引き続き頼むよ」
「はい……」
ヴィヴィアンは仕方なくそう返事をした。
本当にこれでいいのだろうか? 目の前で、エドワードは一枚の書類を手で破った。
あれはきっとイヴォンヌの推薦状。
レイモンド侯爵の婚約者にと、たくさんの有力者が自分の娘や孫、姪を推薦してきたと聞く。
皆が、それはそれは熱心に売り込んでいるようだ。
それが、自分の言葉ひとつで簡単に引き裂かれていく。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
ヴィヴィアンは、王都の街屋敷にやってきた日を思い返し、頭を抱えたくなった。
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