第2話突然の縁談

「ヴィー。準備はできて?」

「はい。お母様」


 母、アイリーンに返事をしながら、ヴィヴィアンは大きな鞄の留め金を力任せに閉めた。

 男爵家とは名ばかりで、ヴィヴィアンの家には使用人は必要最小限しかいない。

 明日は王都の町屋敷に移動する日だ。

 社交シーズンは長い。

 一年の半分以上も町屋敷で過ごすことになるため、必然的に荷物は多くなる。


「お嬢様。旦那様がお呼びです」

「え? お父様が? なにかしら……」


 まだ荷物の最終確認が済んでいないのに……ヴィヴィアンは、詰め込んだばかりの鞄を、呼びに来たメイドのカーラに頼むと、書斎に向かった。

 難しい顔をして机に向かっていた父のバーナードは、ヴィヴィアンを見ると一層眉間に皺をよせ、ため息をついた。


「お父様? なにかあったの?」


 まさか、家畜の具合でも良くないのだろうか。それとも、秋に果樹園で作った果実酒の売れ行きが悪いのか。

 父の表情からして、良い話とは思えなかった。

 矢継ぎ早に質問を投げかけるヴィヴィアンを落ち着かせると、バーナードは引き出しから一通の封筒を取り出した。


「なぁに? それ」


 封筒には蝋が押してある。だが、その印章は見たことのないものだった。


「これは……エイブラハム・ロートン準男爵からだ」


 初めて聞く名前に、ヴィヴィアンは首を傾げた。

 それもそのはずだ。

 エイブラハムとは、数年前に国王より準男爵の爵位を賜ったばかりなのだという。

 港町で貿易業を営み、大成功を収めたエイブラハムは海に詳しい。

 その知識で、先の戦争では潮の流れや波の高さを読み、海軍に航路の情報を提供したのだという。

 でっぷりとした腹が特徴で、年は五十歳。港町出身の元庶民とあって、貴族社会では浮いた存在だ。


「そういえば……昨シーズンの夜会で何度かお見かけしたことがあるような……ないような……」


 ヴィヴィアンは参加する夜会は、こぢんまりとしたものが多い。

 上位貴族とのつきあいがないのだから仕方がないのだが、たまに親友のリネット・オルグレン伯爵令嬢に連れられ、中規模のものにも顔を出すことがあった。

 婚約者のいるリネットが、いつまでも特定の相手を見つけないヴィヴィアンをせっつくためだ。

 だが、連れられて行ったところで、ヴィヴィアンを誘う者は少ない。

 ヴィヴィアンは社交界デビューの年に数着ドレスを作ったきり、ドレスも新調していない。

 流行遅れのドレスをまとったヴィヴィアンの姿はとてもではないが魅力的には見えないだろうし、なによりヴィヴィアン自身も、これといった特徴のない容姿なのだ。

 やぼったい印象の茶色の髪は癖が強くてまとめるのに苦労するし、髪色に似た茶色の瞳もとても平凡だ。

 瞳は大きくもなく小さくもなく、鼻筋は通っているが、高くない。

 更に、背も低く華奢な体型のヴィヴィアンはどうも存在感が薄いようだった。

 夜会を楽しむのよ、と言い含め、リネットは婚約者の腕を取り、去って行く。

 へらっと笑顔でリネットを見送ると、すぐにヴィヴィアンは壁際を陣取った。

 誰も誘う者がなく、壁の花となる令嬢の顔ぶれは大体いつも同じ。

 時折、その中に男性が混ざることがある。

 女性をダンスに誘うも振られた者や、そもそも性格が内気で話しかけられずに夜会の賑わいを遠目に眺める者。

 そして伴侶を失い婚活に復帰したが、年齢差などで話題についていけず、取り残される者などだ。

 エイブラハム・ロートンの姿は、そんなリネットに連れて行かれた夜会で見かけたことがあった気がした。

 貴族にしては少し粗暴な振る舞いが印象に残っている。

 確か、どこかの子爵令嬢に迫っていたような……。

 ヴィヴィアンはなんとか思い出そうとしたが、早々に諦めた。

 どのような用でヴィヴィアンに手紙をよこしたのか、父に聞けばいいことだ。


「でも……その方がどうして手紙を?」

「お前と結婚したいそうだ」

「――は?」


 意外な答えに、ヴィヴィアンは思わず間の抜けた声をだした。



 * * *



 よくある話だ。

 妻を亡くした貴族の男が、若い妻を娶ろうと夜会に繰り出す。

 だが、モテるのは若くて、将来爵位を継ぐ青年。

 そこに例外があるとすれば、それはやはりお金持ちだろう。

 実際、実家の援助を条件に、年若い令嬢を娶る貴族も多い。

 だがまさか、そんな話が自分にもやってくるとは思わなかった。

 ヴィヴィアンは自室に戻ると、ドサリとベッドに腰を下ろした。

 綺麗に整えたシーツに大きく皺が寄る。

 それを見てメイドのカーラが眉を吊り上げた。


「まあ。お嬢様ったら……!」

「やめて。カーラ。はしたないのは重々承知しているわ。でもね、やってられないのよ」

「一体、旦那様はどのようなご用件だったのですか?」


 その言葉に、ヴィヴィアンは盛大に顔を顰めた。

 思い出すだけでも腹が立つ。

 ヴィヴィアンはイライラを隠そうともせず、手紙の内容をカーラに話した。


「それがね、ひどいのよ。まるでプロポーズの言葉とは思えないわ。彼が欲しいのは、男爵という爵位だけ。それだけなのよ」


 エイブラハムの持つ準男爵という爵位は、一代限りのものだ。

 跡継ぎがその爵位を継ぐことはできない。

 彼には、愛する息子がいる。息子に苦労はさせたくない。

 そこで、彼は考えたのだ。

 貴族の家に婿入りしてしまおう、と……。

 思い返せば、彼が熱心に迫っていた子爵令嬢もまた、男の兄弟はいなかった気がする。

 爵位はその家の男児のみが受け継ぐものだ。

 ヴィヴィアンのように娘しかいない場合の多くは、爵位を受け継がない貴族の次男や三男が婿に入り、爵位を継ぐ。

 だが、娘しかいない貴族はヴィヴィアンの家だけではないはずだ。


「それがどうして私なのかっていうとね、社交界に出て三年……それでも決まった相手がいないからもらってやってもいい、ですってよ!」


 社交界に出た娘たちは、たいてい三年以内に相手を決め、結婚する。

 現に、リネットも婚約者と結婚し、今では伯爵夫人となった。

 そして、あの子爵令嬢もまた、隣国に嫁いだと風の噂で耳にした。

 つまり、エイブラハムは残り物に目を付けたわけだ。

 三年で相手を決められなかった令嬢を、世間は行き遅れと見る。


「ひどいわ! 私はまだ十九歳よ! そりゃあ……ちょっとは周りより遅いかもしれないけど? でもほら。私は童顔だし体も小さいし。十九歳って書いた紙を体に貼りつけて歩いているわけではないもの。見た感じでは分からないと思わない?」

「え? ええ、ええ! お嬢様はまだ幼い印象ですわ。今年こそきっと、お嬢様を見初める素敵なお方が現れますとも!」

「そうでしょう? それなのに……」


 ヴィヴィアンを元気づけようと、明るく声をかけたカーラだったが、ヴィヴィアンは肩を落としてしまった。


「お父様ったら、お受けしたらどうかって言うの……。でもね、あのおっさん、きっと私のことなんて覚えていないわ。だって、言葉を交わしたこともないのよ? それを、十九歳だからってそれだけで……私よりも年上の男の母親になれって言うのよ!?」


 ありえない~! そう叫び、ヴィヴィアンはベッドに突っ伏してしまった。

 この状況では、はしたないなどと叱る気にもなれない。カーラは優しくヴィヴィアンの髪を撫でた。


「お嬢様。まだわからないではありませんか。きっと、今年こそお嬢様の前に素敵な方が現れますわ。敵国に捕らわれていた殿下もお戻りだと聞いております。もしかしたらお嬢様を見初めるかもしれないではないですか」

「殿下……?」

「ええ。確か……侯爵様になられたとか。お付きとして同行していた方々も戻られますのよ。今年の社交界は一層華やかになるでしょう。お嬢様も、希望をお捨てにならないでくださいませ」


 侯爵様――そういえば、戦争に勝ち、捕らわれの身となっていた王子殿下の帰国が決まったと聞いたような気がする。

 たしか、国王は王子のご帰国と戦争の勝利を大変お喜びになり、ご自分が所有していた中の一つである侯爵の爵位と領地を与えたとか……。


(侯爵様か……雲の上の存在だわ)


 ヴィヴィアンは、自分のような下級貴族が同じ夜会に出られるはずもないと考えた。


(もし万が一、夜会でお見かけすることがあっても、誰がこんなちんちくりんを相手にするかしら。でっぷりと太った、爵位だけが目的の中年おやじでさえ、私が断るはずがないと思っているのに)


 でも悲しいことに、それは事実だった。

 父でさえ、このままでは娘が結婚できず、自分の代で男爵家は終わりだと、この縁談にすがりつこうとしている。

 それだけ、ヴィヴィアンには選ぶ道がないと軽んじられているのだ。

 そんなヴィヴィアンに、英雄として帰国する侯爵様が目を留めるわけがない。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 人並みの幸せを望んだだけなのに。

 これでも昔は、求婚されたことだってあるのだ。

 まだ子供の頃だったけれど、あの言葉は今でも覚えている。


『僕が大きくなったら、ヴィーをお嫁さんにしてあげる』


 そう言って、頬にキスをしてくれた、大切な幼馴染。

 でも、その男の子がそれから少ししていなくなってしまった。


(彼はもう、忘れているかもしれないわね)


「そろそろ、初恋を忘れなくちゃダメかしら」


 吐き出されたヴィヴィアンの寂しげな小さな呟きに、カーラは胸が締め付けられそうだった。


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