花嫁候補は婚活スパイ!?
雪夏 ミエル
第1話プロローグ:始まりの合図はダンスの誘い
目が回るほどに高い天井には、薄絹をまとった聖女の踊る姿が一面に描かれている。
そこから吊り下げられた豪華なシャンデリアは、複雑なカットが施され光が乱反射し、広間を明るく照らしていた。
ヴィヴィアンは口をぽかんと開け、そのまばゆい光景に見入っていた。
近くでクスクスと耳障りな笑い声が聞こえてくる。
(いけない、いけない)
ヴィヴィアンはハッと我に返ると、口を閉じて顎を引き、背筋を伸ばした。
そうしたところで、流行遅れのドレスは人々の嘲笑を買い、先ほど聞こえた笑い声は蔑んだようなささやき声に変わっただけだった。
「見て。あのドレス……。よくあんなドレスでここに来られたものですわね」
「あら、彼女は必死なのよ。だって、もう社交界も何シーズン目?」
「まあ、そうですの? わたくし、今年デビューですから存じ上げませんわ」
顰められた声だというのに、どうしてこうも突き刺さるようによく聞こえるのか、ヴィヴィアンは不思議で仕方がなかった。
女性というものは不思議なもので、周りに聞こえないように話をするくせに、聞かせたい相手にはよく通る話し方を心得ている。
気おくれしないわけではない。
ヴィヴィアンの家は、地方の有力者とはいえ、王都では下級貴族のアンブラー男爵家だ。
その一人娘であるヴィヴィアンにとって、侯爵家の夜会に招かれるとは、思いもよらないことなのだ。
今は社交シーズン真っただ中。
毎日のように、あちこちの貴族の屋敷で、やれお茶会だ、やれ夜会だと社交の場が設けられる。
だが、そこは階級社会だ。
下級貴族が上級貴族の夜会に招かれるなど、付き合いがなければ実現するはずのないものだった。
国王の前で社交界デビューの挨拶をし、宮殿で華々しくデビューを飾ったその時には、自分にも煌びやかな世界が待っているのだと思っていた。
もしもあの時の自分に何か言えるのなら、そんな甘えた考えは捨てろと言いたい。つい昔に思いを馳せていたヴィヴィアンがギュッと唇を引き締めると、また心無い声が聞こえてきた。
「あの方、四年目よ。だって、わたくしのお姉さまが同じ年にデビューでしたもの」
親切にも、ヴィヴィアンの立場を的確に教えてくれる声がする。
その言葉に、令嬢たちの笑い声が一層大きくなった。
「まあ……! 十九歳ですの? それなのにお相手が見つからないなんて!」
(ええ、ええ。自分でもわかっていますよ)
内心は逃げてしまいたい気持ちでいっぱいだ。だが、今日ばかりは壁の花ではいられない。
ヴィヴィアンは震える手をぎゅっと握りしめて、前を見据えた。
楽団が演奏を始めると、主催者であるヴァルキリー侯爵夫人の手を取り、ひとりの若者が広間の中心に歩み出た。
先ほどまで聞こえていた嘲笑が、感嘆の声に変わる。
最近孫が生まれたと言う侯爵夫人が、まるで少女のように可愛らしい微笑みを浮かべて堂々とリードする青年を見上げる。
その青年こそ、この広間に集まった令嬢の一番のお目当て、レイモンド・アーヴィン侯爵だ。
国王の庶子であるレイモンドは、長く留学という形の人質として敵国に捕らわれていた。だが、彼がひっそりと送っていた情報を元に、先の戦争で大勝利。彼はそれに貢献したということで、帰国と同時に侯爵の地位を与えられたのだ。
王家の血を引く悲劇の王子が、英雄となって戻ってきた。
この知らせはすぐに貴族の間を駆け巡った。
色めきたったのは、年頃の令嬢を持つ貴族たちだ。
既に王太子は結婚している。となると、王族と血縁関係を結ぶのに、これはまたとない好機だった。
王太子派の人間は、レイモンドが力をつけて国政が荒れることを危惧したが、母親が違うとはいえ王太子との兄弟仲は良く、彼の帰国を一番喜んだのは王太子だった。
そして、レイモンドもまた自ら王太子派を名乗った。
そのため、王族の血を引き、侯爵という地位を手に入れた彼は、今や結婚したい貴族のぶっちぎり第一位なのだ。
戦争で貢献したと聞き、さぞかしいかつい容貌なのだろうと思っていたが、目の前で優雅に踊るレイモンドは、国王譲りの輝く金髪と緑の瞳を持ち、笑みを絶やさない優しげな容姿をしていた。
これではヴァルキリー侯爵夫人も少女のように顔を赤らめるというものだ。
そばにいた令嬢たちは、もはやヴィヴィアンの存在など忘れたように、レイモンドに釘づけだ。
このダンスが終わり、レイモンドが次のダンスの相手として誰を選ぶのか――彼女たちの関心はそれに集中しているだろう。
ヴィヴィアンはキリキリと痛む胃を手で押さえると、ふぅっと大きく深呼吸した。
曲が止まる。
レイモンドはヴァルキリー侯爵の元に夫人を送り届けると、しんと静まる広間を見渡した。
すると、広間の全員が見守る中、レイモンドは脇目もふらず、まっすぐにヴィヴィアンに向かって歩いてくる。
そして目の前で立ち止まると、手を差し出してこう言った。
「お嬢さん。私と踊っていただけませんか?」
先ほどまでヴィヴィアンを見下していた令嬢たちは、驚いてその光景を見つめている。
そんな中でヴィヴィアンはゴクリと唾を飲み込むと、震える足で一歩前に踏み出した。
そっと遠慮がちに出した手は、レイモンドの大きな手に包まれ、少し強引に引かれる。
倒れ込むように身を預けたヴィヴィアンを、レイモンドは嬉しそうに微笑んで見下ろした。
「大丈夫。僕に合わせて」
必要以上に近くで囁かれ、ヴィヴィアンは背中をピクリと震わせた。
彼女の緊張が伝わったのか、レイモンドは大きな手でヴィヴィアンの背中を支えると、広間の中央に彼女を連れだした。
楽団が演奏を再開する。
流れるようなレイモンドのステップに合わせ、ヴィヴィアンはくるくると回った。
その動きに合わせて、景色もくるくると回る。
広間には着飾った令嬢たちがふたりのダンスを見ている。
ヴィヴィアンに向けられる瞳は、嘲笑から嫉妬のそれに変わっていた。
二人に続くようにヴァルキリー侯爵夫妻もダンスを始めたのをきっかけに、広間の中央ではたくさんのカップルがダンスの輪に加わった。
だが、そんな中でも令嬢たちの目はレイモンドを追っている。
いち早く立ち直った令嬢は、これはきっとなにかの冗談だとでも考えたようだった。
既にレイモンドの次の相手の座を狙っている。
だが、一曲目が終わっても、レイモンドはヴィヴィアンの手を離そうとはしなかった。
どよめきが起こる中、次の曲が始まる。
周囲の視線がレイモンドとヴィヴィアンに集中する中、二人は再び踊り始めた。
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