第4話秘密の取引

 久しぶりに訪れる王都は、広く整備された道をたくさんの人や馬車が行き交い、活気を感じる。

 いつもならその光景に心が浮き立つものだが、此度のアンブラー家の面々は沈痛な面持ちだった。

 そんな中、バーナードが重々しい口を開いた。


「三日後にはロートン準男爵を食事会にお招きする。先方はご子息もご一緒だそうだ」

「ご子息って言ったって……ロートン準男爵の息子は、ヴィヴィアンよりも年上ではありませんか」

「ま、まぁ……そう言うな」


(三日後……。思ったよりも早いわ)


 リネットに相談しようと思っていたヴィヴィアンだったが、考えていたよりも先方は急いでいるようだった。


(長旅の疲れが取れぬ内に顔合わせだなんて……)


 これは腹を括らなければならないだろうか……そう諦めかけた時、アンブラー家の町屋敷前に、見知らぬ馬車が止められていることに気が付いた。


「お父様。どなたかいらっしゃっているみたい……」

「おや? 今日は何の約束もないはずだが……。はて。あの紋章はどこだったかな」

「あなた。もしかして、そのロートン準男爵ではなくて?」


 母親のアイリーンの言葉に、思わずヴィヴィアンは身を乗り出す。

 その馬車は、アンブラー家の三人が膝を突き合わせて乗っている男爵家の馬車とは比べ物にならないほど大きく、隅々まで磨き上げられた美しい馬車だった。繋がれている馬も毛並みが美しく、堂々としている。


「でも……いくら裕福とはいえ、あんなに豪華な馬車に乗るかしら?」


 三人で首を傾げていると、その声が聞こえたかのように馬車の扉が開いた。

 そこから降りてきた意外な人物に、ヴィヴィアンが思わず呟く。


「エド……」

「あら、本当。まぁまぁ、素敵な青年になって! 彼は確か、ウィルバーン伯爵が亡くなられてから、彼の親友だったダルトン伯爵家の養子となったのではなかったかしら」

「ああ。そのはずだ。彼も敵国からの凱旋帰国となったはずだが……。だが、わが家に彼が一体なんの用だろう。とにかく急ごう」


 ドタバタと馬車を降りると、エドワードは格下のバーナード・アンブラー男爵に丁寧に挨拶をした。

 その姿を見て、ヴィヴィアンはつい、あの言葉を思い出してしまう。


『僕が大きくなったら、ヴィーをお嫁さんにしてあげる』


 ヴィヴィアンは胸がチリチリと痛んだ。

 目の前のエドワードは、昔よく遊んだ頃の面影は消え、洗練された都会の貴族そのものだ。

 ヴィヴィアンは、適齢期になってもやぼったさが抜けない自分が恥ずかしかった。

 思わず、母親の陰に隠れそうになったとき、エドワードの視線がヴィヴィアンを捉えた。


「……久しぶりだね」

「エド……いえ、エドワード様。お久しぶりでございます」

「今日は君に頼みがあって、来たんだ」

「わたくしに……ですか?」


 突然のことに、ヴィヴィアンだけではなくバーナードもアイリーンも驚いた。

 エドワードを最後に見たのは、彼の祖父クリフォード・ウィルバーン伯爵が亡くなった時だ。

 アンブラー男爵家とウィルバーン伯爵家は、領地が隣接する関係で、古くから付き合いがあった。

 特にエドワードの母親が亡くなってからは、アイリーンが母親代わりとなり、エドワードとヴィヴィアンはまるで姉弟のように育ったのだ。

 だがそれも、エドワードの祖父であるクリフォード・ウィルバーン伯爵が亡くなったことで終わりを告げた。

 まだ幼かったエドワードはたったひとりの家族を失い、クリフォードの遺言によって、彼の親友だったグレゴリー・ダルトン伯爵がエドワード引き取ったのだった。

 ダルトン伯爵家は王都に近い豊饒な土地を有する大貴族で、アンブラー家とは繋がりがない。

 そのため、そのままエドワードと会うことはなく、エドワードがレイモンド王子と共に敵国に留学したと聞いたのもだいぶ年月が経ってからだった。

 それくらい疎遠になっていたヴィヴィアンに、彼が一体何の用で来たというのだろうか。

 不思議に思いながらも、バーナードは急いで執事のセドリックに指示を出し、彼を屋敷の中へと案内させた。

 そして、彼が発した言葉は、驚くべき内容だった。


「ヴィヴィアンに、レイモンド様の想い人を演じて欲しいのです」

「は?」

「ちょ、ちょっとヴィー。お行儀が悪くてよ? あの……でもそれは一体、どういうことなのでしょう?」


 エドワードの言うレイモンドとは、この国の第二王子ではあるが、現国王の愛妾の子であり、王妃に疎まれその存在を隠されていたという悲劇の王子だ。

 世間に王子の存在が知れてからは、敵国との関係悪化の打開策としてレイモンド王子の留学を国王に提言したというのだから、その嫌い方は尋常ではなかったようだ。

 その王妃が数年前、流行り病で亡くなったことも今回の帰国が叶った一因ともいえるだろう。


「国王陛下は、これ以上レイモンド様を政治に利用したくないという想いをお持ちです。ですが、彼との婚姻をきっかけに国内での力を強くしたいと考える貴族は多いのです。そのため、ヴィヴィアンにはエドワード様のお傍で、花嫁候補を見極める手伝いをしていただきたいのです」

「ヴィヴィアンに、そのような役割が務まるかしら……」

「――具体的には、どのようなことを娘にさせるおつもりですか?」


 慎重な口ぶりでバーナードが聞く。

 それもそうだろう。

 今の話を聞けば、責任重大であるということが分かる。

 年頃の娘や親せきを持つ貴族すべてを査定するようなものなのだ。

 下級貴族のヴィヴィアンには、とてもではないが、荷が重い。


「難しいことではありません。レイモンド様のおそばで、ただ普段通りにしていただければ大丈夫ですよ」

「はぁ……。でも……私ね。あのう……実は、お見合いが決まっているのよ」


 エドワードからの突然の申し出に、ヴィヴィアンの口調はつい昔のそれに戻ってしまっていた。

 だが、それを窘める者もいない。

 それだけ、アンブラー家の面々は困惑していた。


「その件ならば、こちらで話をつけました。ロートン準男爵は、最近ブリガードン子爵未亡人と仲がよろしいようですよ」

「えっ!? ど、どういうこと? ねえ、お父様。知っていた?」

「し、知っているわけがないだろう。私は三日後の食事会の話をお前に話したばかりじゃないか」


 それならば……と、エドワードが封筒を取り出す。


「こちらの手紙を、ロートン準男爵より預かってまいりました」


 バーナードが受け取り、急いで封を開けると、好奇心に負けてヴィヴィアンも覗き込んだ。


「ヴィーったら……お行儀が悪いわよ?」


 口ではそう窘めたものの、アイリーンの目もしっかりと手紙の文面を追いかけている。


「なになに……? 『やはり結婚は愛があるのが一番――ご令嬢にも良き縁が訪れますことをお祈りいたします』ですって!?」


 ヴィヴィアンはその内容にあんぐりと口を開けた。

 あんなにも悩んだというのに、こんな紙切れ一枚で終わらせるとは思ってもいなかった。


「いけしゃあしゃあとこんな……。こんな婚姻、私だって望んでいなかったんだから!」

「だ、だがヴィー。お前、どうするんだ。お前はこれで、その……」

「唯一の求婚者がいなくなってしまったわ」


 娘を気遣い、言いよどんだバーナードの言葉をアイリーンが続けた。


「アイリーン……。そんなにはっきりと言うものではないよ」

「だってあなた。そうではなくて?」

「う……。まぁ……そうだが……」

「嫌だわ……。また私……社交界で壁の花になるのかしら……」


 ヴィヴィアンががっくりと肩を落とした。


「わたくしで良ければ、お手伝いいたしますよ。わたくしと、レイモンド様の伝手を頼って、必ず、ヴィヴィアンに良いお相手を紹介します」

「ほ、本当かね?」

「それは、ちゃんと年相応の方かしら?」

「ちょ、ちょっと……! お母様ったら……!」

「あら、これは重要なことよ。わたくしだって、ロートン準男爵の年齢は気にしていたんですからね!」

「私だって、代を譲るならやはり将来性のある青年がだな……」

「お父様まで……」


 ならば、断ってくれればいいのに――とヴィヴィアンは思ったが、それだけ男爵家の将来を憂いてのことだろうと言葉を飲み込んだ。

 ヴィヴィアンが立派な青年の視線を釘づけにできていたら、ふたりにこんなに心配をかけることはなかったのだが、こればかりはどうしようもない。ヴィヴィアン自身、こんなことになるとは思っていなかったのだ。

 エドワードの言葉に、バーナードとアイリーンは縋るような瞳を向けた。

 特にアイリーンは、自分よりも年上の義理の息子ができることが、嫌だったようだ。

 ふたりの必死の形相にも憶することなく、エドワードはしっかりと頷いた。


「ただし、この依頼を受けてくださるのなら」


 そう言うと、エドワードはにっこりと微笑んだ。


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