第十四章 六

 伝令は、セイラをずいぶん探したのだという。魔眸の襲撃時にセイラが城に戻っていることは知られていたが、その後、暁の離宮を始めとした各所で魔眸が確認されたため、内部が混乱したのだ。その間にセイラが昏倒し、手当を受けていたが、エルンストらによって自宅に戻されていた。ゆえに、知らせが遅れた。

 セイラは三の郭へ急行すると、裏街の集合住宅へ向かったが、誰もいなかった。

『助けて。もうどうしたらいいか、分からない』

 そんな伝言を、人から殴られたらしい少女が言ったのだという。伝言を受けた兵士は事件かと彼女を引き止めようとしたが、その手を振りほどいて走り去ってしまった。とにかくセイラに伝えてほしいと言われたので、兵士はその通りにした。だが、魔眸の襲撃で、うまく伝わらなかった。

 セイラは表道に戻って、ベドナ家へ向かった。

 ベドナは繊維を主に取り扱う商家だ。一般階級向けに手芸店や布屋を開き、仕立ても行っている。また、貴族がよく用立てる仕立て屋にも糸や布を卸している。羽振りがいいと聞くから、まあまあ成功していると言える商人だ。

 本宅は知らなかったが、店は知っていた。セイラがその仕立て屋に行くと、店を預かっている者は何だろうと青ざめた。騎士団の紋章が刻まれている剣の柄は見せなかったが、こちらの顔を知っているらしかった。

「突然で申し訳ありませんが、ベドナの当主殿にお会いしたいのです」

 店員は大慌てで奥へ引っ込んだ。すぐに、小男が姿を現した。背丈が足りないためが精一杯に太り、胸を張り、ひげを生やした男だった。セイラはにっこりと微笑んだ。

「ベドナ氏でいらっしゃいますか?」

「そうだが……あなたは」

「セイラ・バークハードと申します。ヴェルタファレン王国近衛騎士団騎士団長の位を賜っております。氏の噂は聞き及んでおります。わたくしの知人にもあなたのお店で仕立てをしたという者がおりますわ」

 剣の柄を叩き、微笑むと、相手は少しだけ警戒を緩めたようだ。バークハードという名も作用したのだろう。奥へと言われるのに首を振る。

「お時間を割いていただくのは申し訳ないので手短にいたしますわ。氏のお宅に、カレーナという少女がお世話になっておりますわね?」

 案の定、いぶかしい顔をした。入れ替わりが激しい下働きの娘の一人など覚えていられないというわけだ。だが、店の者は覚えていたらしい。さっと目を逸らした。

「行方が知れませんの。事情をご存知なら話してくださいません?」

「申し訳ありませんが……」

「ご、ご主人様! それは今日の昼間の……」

 囁かれたベドナの顔色が変わった。セイラの表情も、呼応して変じる。微笑みは毒に、偽りは麗しく。剣の柄に手をかけると、ベドナは引きつった顔をして後じさる。

 夕闇が訪れるが、不意の客人に灯りを入れることができず、闇が忍び寄ってくる。夜を配下にするつもりで、セイラは尋ねた。

「あの子に、何をしたの?」

 わあっと悲鳴を上げたのは店の者の方だった。

 カレーナの忌引きを、ベドナたち主人一家はよく思っていなかった。カレーナは上役に頼み込んで午前中だけ休みを貰ったが、午後に間に合うように戻ってきたというのにベドナから叱責を受け、彼女を解雇するように言われたのだという。カレーナはベドナに直訴しようとしたが、与えられたのは男の暴力だった。誰も止めることができず、カレーナは表へ放り出された。それでも縋ろうとすると怒鳴りつけた。無力な少女は追いやられ、どこかへ消えた。

 一部始終を聞いてもセイラは無感動だった。何も感じないくらいに、ベドナをつぶさに観察していた。己の失態を他者に明かされ、震えている。青筋を立てながら俯いているが、後ほどこの男にはたっぷり罰をくれてやろうなどと悠長に考えているのだろう。己の顕示と保身の欲の固まり。もしカレーナが死んでいたとしても、金を積み上げればいいと考えている。そしてそれが可能でもある。

 自分を見るとこういう気分になるのだろうか。汚さで言えば自分も同等だと思う。

 セイラは剣を抜いた。鞘ごと帯から抜き、切っ先を下に突き立てる。ひっと悲鳴が上がった。

「近衛騎士団長の名の下に、御用改めを行う。不当な労働搾取を行っている可能性があるベドナ家にまつわるすべての家宅捜索を行い、実状を報告する義務があるとする」

「なっ」

「捜索が終了するまで関係者の移動の制限を命じる。この場所から移動する場合、二名以上の警邏以上の者が付き添う。……そこの方々、警備隊に知らせて応援を寄越してもらってくださる? わたくし一人の手には負えないので」

 店の表から覗いている見物人に言う。何人かが走っていったようだ。

「お――横暴だ! お前にそんな権限はない!」

「何のために国家権力を持っていると思いますの?」

 セイラは、男をとろかす極上の微笑みを浮かべた。

「お前のような虫けらを、楽に踏みつぶすためですわよ?」

 身も蓋もない本音に、誰もが口を開けた。不当を訴えるはずのベドナですら、あんぐりと言葉もない。すぐに警備隊が駆けつけてくる。何の騒ぎかと混乱した顔だったが、セイラの微笑みと優しい命令に、言うがままに動き出した。


 その内、緑葉騎士団の者まで出てきて、本格的に家宅捜索が行われることになった。どのように伝わったのやらと思いつつ、作業を監督していると滑るようにして止まった馬車から、エルンストが現れた。この人の手だったのか、と理解する。

「お手伝いいただいて感謝いたしますわ。あら、ひどいお顔。どうかなさって?」

「……一商人の家宅捜索など……この、くっそ忙しい時期に……!」

「わたくしの口調が移ってますわよ」

「口汚くもなる。つくづく、お前に甘い自分が嫌だ……」

 深々と溜め息する。甘いことなんてあったかしら、と思っていると、彼が道を開けた。金色の頭が隠れるようにして立っていた。

「カレーナ」

 そっと手を伸べると少女は素直にやってきて、俯いたまま、ごめんなさい、と言った。

「もう頼らないでおこうって、決めてたのに」

「使えるものは使っていいのよ。そういう持ちつ持たれつが処世術なのだから」

 カレーナの鼻が、真っ赤になってきた。

「ごめん、なさい。あたし、期待したんだ。もしかしたら、助けてくれるんじゃないかって。セイラさんが、すごく、優しかったから」

 泣き声になって、たどたどしく。元からあまり喋ることが上手くないのに、必死になっている。もういいのよと言ってあげたかったが、それと同じくらい、もっと聞いていたかった。

「あたしを、覚えて、呼び止めてくれたから」

 何か困っていることは。

 再会したカレーナに、セイラはそう声をかけた。後ろ暗い貴族に日々が脅かされていないかと案じて、何気なく言ったそれが、カレーナに夢を見させてしまったのだ。

 それをだめなことだと、言う資格は誰にもない。

「道々、事情を聞いた。セイラ。私は、しばらく彼女を預かろうと思う」

「はい?」

 エルンストは眼鏡を押し上げる。

「そのくらいは構わんだろう。主人がいなくて家の者もつまらなさそうだ。新しい者がくれば、家も賑やかになる」

 などと、どの口が言う。家の雰囲気など、微塵も気にしたことがないくせに。

「……それって、我が家の使用人という意味ですの?」

「バークハード家に入れば、我が家の一員だ。出来ることも選べるものも増える。どうだろうか」

 突然のことに、カレーナは目を白黒させている。セイラも何が起こっているのか、把握が追いつかない。この人は、何をどう飛躍したらそういう考えに至ってしまうのだろう。

 すると、セイラの困惑を察して、エルンストは目を逸らしつつ呟いた。

「……私も、何かせねば、と思ったのだ」

 負ったのだ、と彼は言った。同じものを背負った。真実という、闇に葬り去ることを約束されたものを、自分たちは記憶している。その上で、果たした貴族と諌めたロレリア、語ったガストール、繋ごうとした者の意志が、この人を突飛な方向に動かした。らしくもない、身寄りのない子どもを一人、引き取ってやろうと考えるくらいに。

 動けなくなったわたくしと違って。

「だからお兄様は――本当に、だめなんですのよ……」

 この人が兄の役でよかった。エルンストがいるおかげで、セイラは思う存分、我がままで気まぐれなあくどい女でいることができる。自分を失わずにいられる。さあ、とカレーナの肩を叩く。

「戻りましょう、家に。とりあえず、食事をしましょうか。その後でゆっくり決めればいいの。わたくしたちは、そういうことが出来るくらいには偉いんですからね」


 しばらくして後、カレーナは二人に言った。

「なんだかさ……セイラさんがお父さんで、エルンストさんがお母さんみたいなんだよね。だって、エルンストさんのお小言の方が多いし、セイラさんは甘やかしてくれるしさ」



     *



 古参の使用人にカレーナを託し、セイラはエルンストの部屋へ向かった。開いた扉をこつんと叩いて、椅子に座って視線を落としていたエルンストの視線をこちらにやらせる。

「何だ。カレーナのことか」

「よっぽどお気に入りなんですのね。恋人にもそのくらい執着なさったら?」

 渋い顔を笑った。

「謝罪に参りました。可愛くないことを言ったのに、手を貸してくださってありがとうございました」

「貸しだ。見返りを期待している」

 用件がそれだけなら出て行け、と手を振られたが、セイラは居座った。

「わたくしの謝罪の意味が分かっていらっしゃいます?」

「複数の意味を含ませているのは分かる。その上で、問題にしないから行けと言ったのだ」

 だがセイラが動かずにいると、エルンストは深く溜め息して両手を組んだ。

「……私も、撤回しない。結婚という祝い事であっても、万物に祝福されるものではないのだ。一人くらい呪ったところで支障あるまい。そういう思惑の渦巻く世界に、あの二人はいる。いつか去るかもしれんが、それでも今は手が届く。お前の言葉を聞ける。その上で、イチル姫はお前に答えを寄越すだろう」

「……面と向かって言ってこいと?」

 ああ、とエルンストは言った。

「捻くれ具合では、お前は王妃に負けん」

 セイラは唇を歪めた。

 それしかないのだという気がした。行き場を失った怒りも呪いも、いちるなら撥ね除けるかもしれない。アンバーシュが出せなかった答えをいちるなら与えるかもしれない。そんな風に期待を見出している自分が、馬鹿馬鹿しいと思ったけれど。

「どんな顔をするか楽しみです」とセイラは言った。心から、笑った。

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