第十二章 八

「お座りなさい」といちるが椅子を示す。目眩を覚えていたミザントリがふらふらと着席すると、彼女は騎士と国王補佐にも着席を命じた。立ったままでいられると気になるからと言葉は濁していたが、はっきり言えば目障りだということだろう。それだったら追い返してくれればいいものを、ミザントリは何も考えず茶器に口を付け、その熱さに飛び上がった。

「熱っ!」

「大丈夫ですか!?」

「どうぞ。火傷はなさっていませんか?」

 クロードが案じ、ヘンディが手巾を差し出した。丁寧に火熨斗をかけてある手巾はぱりっとしていた。口元を押さえながら不明瞭に礼を言う。零れたお茶はクロードが始末していたが、女官のネイサが代わった。

「申し訳ありません。そそっかしくて……」

「意外にお可愛らしいところもあるなあと思っていたところですよ」

 ヘンディはそつがない。失礼なことを言ったかなと首を傾げたが、茶化しているのが分かる。

「それではわたくしが可愛げのない女と噂されているみたいです」

「しっかりした、責任感のある女性だとみんな言ってます。彼らに僕があなたの可愛らしいところを話したら、きっと信じてもらえないか、物見高い連中が一斉にやってきますよ」

 話に乗ってみるとヘンディは明るい調子でそう言った。話しにくい人間ではないらしい。場を盛り上げる性質らしいが、軽薄な感じはしない。いちるが言ったので同じ席についているが、彼は用意されたお茶にもお菓子にも手を付けず、命じられたので座っているという姿勢を崩さない。

「姫」とクロードが囁いたので目をやった。いちるはクロードに目を向けないが、眉間の皺を濃くしている。そんな彼女に彼は困ったような目を向けて、がっくりと肩を落とした。

「どうかされましたか、姫殿下」

「あなたが洗練されているので驚いています。男性の騎士というものに会ったのはあなたが初めてなのですが、騎士というのはあなたのような若者を言うのですか?」

 ここへ来た当初、いちるにはクロードが護衛兼世話役についていた。騎士団長であるセイラとも関わりがあったせいで彼女が側にいることも多く、通常の騎士と呼ばれているものにはあまり接点がなかったのだろう。ふふ、とヘンディは親しげに笑い声を零した。

「あなたのような、とはお褒めの言葉としてちょうだいしてよろしいのでしょうか?」

「好きに取りなさい」

「では、ありがとうございます。それで騎士なのですが……わたくしは規格外という気がいたします。もっと真剣に、剣とは、騎士とはと考えながら務めている者もおります。それと比べればわたくしは気楽なものです。剣も騎士も、どちらもそれを受け止める己を持ち得てこそなどど、知ったことを考えております」

 あっけらかんと言ったそれが会話上の詭弁か真実なのかミザントリは考え、本音の一部だと結論した。多分ヘンディは、譲れないところの上辺を掬い取って相手を風刺する術を知っている。そうすると、侮れない人物だと思った。

「緑葉騎士団は、結婚式に警備として就くのでしたね」

「本来ならば近衛騎士団がその任務を帯びるのですが、新設の緑葉にもようやく役目が与えられました。といっても、近衛騎士団が儀礼祭典などで行うような演技ではなく、本当に警備なのです」

 いちるの目がミザントリとクロードに向けられ、ミザントリは口を開いた。

「公的行事では、近衛騎士は主役の本当に側にいて、警護をしたり、道を作ったり剣による答礼を行ったりします。彼らの存在は、それら儀式を華やかに彩るためのもの、などと言われているようです」

「ヴェルタファレンでは近衛騎士団は遠征に出るものではなくなり、国内の自衛が主な任務になっているので、緑葉騎士団を新設したんです。緑葉騎士団は、近衛騎士団が儀礼的なものになってしまったことを危ぶんだアンバーシュが、実働隊を育てようとして作ったものです。ですから緑葉の騎士は実力派と呼び声高いですよ」

 お二人ともよくご存知だ、とヘンディは目を輝かせた。その眼差しがクロードではなく自分に向けられているような気がして、ミザントリはそっと、不自然にならない程度にいちるに話を向けた。

「ご準備の方はいかがですか?」

「誰も彼も、わたくしの顔を見ると同じことを尋ねる。何かあるならこのように茶など飲んでいません」

 三人が苦笑する中で、そういえば、と話が続いた。

「あなたに聞きたいことがありました。また後で構わないので気に留めておいて」

「はい」

 わたくしも言いたいことが山ほどあるのです、と心のうちで返事をしておく。

「アンバーシュ陛下がヴェルタファレンに在位して初めての結婚式ですから、みんな張り切っていますよ。神々もご覧になるという噂ですが、本当ですか、クロード様」

「ええ、結晶宮においでになるそうです。姫には、式の後でご挨拶いただくことになると思います」

「当日は早朝から始まるのですよね。朝から街のすべての門を開けて、姫たちは神山に拝礼。城に戻って、神殿への移動。その時に相当な数の騎士がつくと聞きました。結婚式にも各国来賓とその警護がすごい数だとか。神殿からも大神官様がいらっしゃるんでしょう?」

 口にはしなかったが、各国の主要な人間が来る中に恐らくオルギュット王も含まれるはずだ。もしかしたら代表者が来るだけかもしれないが、何か事件が起こらなければいいけれどとそっと心配するミザントリだ。

 当日の一週間以上前から、王都はとんでもない賑わいになるだろう。こんな祝い事に目を付けない商人はいないし、物見遊山に来る者もいる。治安のいいヴェルタファレンは元々旅行や静養に好まれる土地柄だが、東からやってきた妃になるという女性がどんな人物が誰もが知りたがっている。いちるならば負ける心配はないが、逆に事件を起こして人を惹き付けやすいので、見ているこちらははらはらするのだ。

「拝礼も壮観でしょうね」

 関係者の数と人出に思いを馳せたのか、少し苦笑した様子でクロードが言った。

「拝礼。そんなものがあるのですか?」

「婚姻が成ると、神殿で鐘が鳴るので、騎士たちは一斉に拝礼します……と、そうでした、王家の結婚式はアンバーシュ在位前以来なので皆さん初めてでしたね。そうです、拝礼があります。ほぼ聞いた知識でしかないので、上役の方々はかなり苦労されているようですよ」

「国の者全員が国主の結婚式について知識がないのか」

 いちるが呆れたように呟いた。

「だからこそ、お二人だけの式が出来ると思いますよ。神々は結婚といっても宴を催すくらいなので、こういう、人々に知られるような華やかな祭事にするというのは珍しいようです」

「きっと壮麗な式になります。夜のお披露目はわたくしも出ますから、楽しみにしてます」

「わたくしは憂鬱です」といちるはこれから怒濤のようにやってくる数々に苦い顔をしていたが、ミザントリにしてみれば惚気と同じだった。様子を見てやってくれとアンバーシュが言うくらいなのだから、二人は以前とは違ってうまくやっているのだ。

 我が身と比べてしまう浅ましい自分が、嫌になる。

 つ、とクロードが呻くような声を漏らして額を押さえた。どうかしたのかと目をやると、誰かが何かを言う前に文句を言いたそうな顔でいちるを見て、立ち上がる。

「申し訳ありません。そろそろ戻らねばなりません。お茶をありがとうございました。ヘンディ殿、ミザントリ様、失礼いたします」

 急くように行ってしまう。よほど忙しかったのだ。たった今、苦労していると指した人々の中にクロードもいることは間違いなかった。ただ、ミザントリのために時間を作ってくれたのだ。避けてばかりいなければよかったと、軽く唇を噛んだ。

「わたくしも出ていましょうか。姫殿下、ミザントリ様にお話がおありなのでしょう」

 続きの部屋にいます、と女官たちが待機している部屋に行ってしまう。いちるはしかし、給仕をしているネイサのことは追い払わずに、口を開いた。




 結局、お送りしますとヘンディに申し出られた。断ることができず、馬車がある城の出口まで並んで歩く。

「姫殿下のお話は無事に済みましたか?」

「はい、わたくしに頼みたいことがあったようで、そのことでした。内緒ということでしたので、申し訳ありません」

 ヘンディはにこりと笑って「姫殿下は不思議な方ですね」と言った。ミザントリが微笑むと、お互いに了解した雰囲気が漂った。いちるがどの程度知っているか分からないが、貴族や宮廷勤めの者たちに彼女の評判は凄まじく分かれている。ミザントリのように彼女の巫女としての資質を目の当たりにして、神の妻にふさわしいと言う者。妖や悪霊の類いで魔性だと罵る者。東の者だからという理由で何となしに遠ざけている者。人としては見ているが、己が受けるべきだった王からの寵愛を奪った悪女と歯ぎしりする婦人たちもいる。

 けれどそのどれもがいちるを全て表しているとは言えない。彼女は巫女でもあるし、魔性のような体質だし、東の女で、アンバーシュの寵を受けている。何もかもが表面的なことで、いちるの、人をすぐに怒らせて本心を暴き出してしまう搦め手や、揶揄や嘲笑を逆に笑って何とも思わない、見た目に反して肝が座っているところを、誰も知らないのだ。

 この人も知るようになるのかしら。ヘンディはいちるという人の本質を何となく感じ取った様子があるし、いちるも様子を見ていた。そして、彼は上手くやったのだという感触をミザントリは感じていた。

「これから姫の護衛になるのは大変そうですね。お察しします」

「王妃陛下にお仕えできることは誉れです。それに、退屈することはなさそうでわくわくしています。あなたにもお会いできましたしね」

 息を詰めた。一瞬にして張りつめた緊張を、ヘンディは笑った。

「やっぱり、構えられてしまいましたね」

「ということは、ヘンディ様にもお話は来ているのですね……」

 はい、と答えが返る。午後のお茶の時間に、人の通りはあまりない。みんなどこかしらで、話をしたり、お茶会を開いたりしているのだろう。今はどこでも走り回っていることが当たり前の官吏たちも、めずらしく姿が見えない。そこを、親しい友人かそれ以上のようにゆっくりと歩いている。

「お父上に反抗したいと思っていらっしゃいますか?」

「父の意向に逆らうつもりは、ありませんが……ただ、あまりにも急で。いえ、もう、年頃だというのは分かっているのですが、心の準備ができていなかったんです」

 我が身に降り掛かるとは思っていなかった。分かっていたはずなのに、他人事のように捉えていた。それが多分、自分をどこにも行けなくさせている。

「あなたに想う方がいらっしゃるのは承知しています」

「………………えっ」

 ミザントリは口を開けた。そんな間抜けな顔の前で、ヘンディはあくまでも騎士だった。

「あなたが姫殿下とお親しいと聞いていましたから……姫殿下にご挨拶する時に、ぎこちなくなってしまうこともあるかもしれない、と先にお話しました。すると、揉めるのは御免だと仰られて、それとなくにおわされたのですが」

(ひ、姫!)

 ヘンディは密やかに苦笑いしているが、ミザントリは手巾を引きちぎりたい思いだった。あんな、馬鹿な振る舞いを、誰かにばらしてしまうなんて。恨む。呪ってしまいたい。顔色を失ったミザントリの前で、彼は足を止めた。

「ただそれでも、あなたが僕を選んでくださればと思っています……」

 彼の言葉は驚くに足るものだった。

「ヘンディ様」

「結婚式の日、僕も騎士として拝礼することになるでしょう。あなたのために剣を掲げます。どこかでそれを思っていてください」

 彼は、なんて清廉潔白な騎士なのだろう。

 ミザントリはまた目眩がした。彼ほどの人が結婚相手に持ち上がった幸運と、断れないという自責の念にくらくらする。そこで「はい」と頷けない自分は、一体どう行動したいのだろう。幸せになれると分かっているのに、頬を染めてはいと言うだけで決着がつくのに。

(役目を)

 貴族の娘としての役目を、全うしなければならないのに。

 結婚しか、自分の役にはないのに。

 馬車が来ていますね、と元通りになったヘンディが御者を呼び止める。彼はイレスティン侯爵邸へと告げてミザントリを馬車に乗せた。胸に手を当てて、馬車が見えなくなるまで見送ってくれていると分かっているのに、ミザントリはただ、力なく座り込んでいた。

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