第八章 二

 逆らって威勢を口にし周囲に己を厳格に見せたはずが、主君に痛めつけられ、敗北した。そのような女を、宮廷の者たちが畏敬を持って扱うはずがなかった。そこかしこで見え隠れする女どもの嘲笑はオルギュットの勝利の証。いちるは唇を噛み、紅を塗るからじっとしていろと命令される。

 輝けば紫に光る、黒のドレス。いつもならば露にしてある胸元は、触れれば肌の熱が感じられるほどざっくりした、黒の飾り編みに覆われている。すきま風が入らぬよう、腕はぴったりとしているが、裾は長さの違う布が重なり、後ろに引きずる形だ。

 貞淑で重厚な装いに思えるが、下着を切り落とされてしまい、そこにまで口を出されたのは閉口した。胴着に、靴下その他、しかも衣装に反して白色だ。胸元に白いものが見えるのが不格好ではないかと思ったが、揃えた本人には何か意図があるのだろう。

 大振りの、銀の耳飾りをつけられそうになり、拒絶する。だが勝ち誇った顔の女官が囁くのだった。

「ご衣装に無駄になされるのですか?」

 金の網と板に、金剛石と琥珀をはめた耳飾り。これだけは取り上げられたくはなかったが、固執すれば弱味と見られるだろうと判断して、大人しく従う。そちらを見ないようにしながら、耳飾りが小箱にしまわれるのを確認した。

 豪奢な椅子に座ると、女官たちはかさこそと躾けられた小鼠のように下がっていった。代わりに、白い肌の娘が現れた。どこの娘かと何気なく目をやって、いちるはしてやられたと苦々しく思った。

「ミザントリ。何故あなたがここにいるのですか」

 ヴェルタファレンの侯爵令嬢は、イバーマの毛皮のついた衣装を身にまとい、イチルの手を戴いて一礼した後、不安な面持ちで首を振り、取ったままのいちるの手を胸に押し当てて早口で告げる。

「いつものように別邸に向かう途中で、攫われてしまったのです。……姫。ここにいてはいけません。このままで餌食になってしまうわ」

 もう遅い、といちるは思った。いちるを傷つけることも辞さない、また、ミザントリがここにいる。つまりあの男はいちるの性質を知って、手を打ったのだ。

 いちるが、絶対にこの娘を見捨てられないと分かっている。

「あなたの扱いは正当なものですか?」

「ええ……客人として、きちんとしたものです。乱暴されることも、無礼を働かれることもありません。ただ、部屋の外には出られず……わたくしの部屋は東の内宮にあって、こちらの北の奥宮にしか行けなくて。外宮、本宮、内宮、奥宮とあるのですが、内宮から表へ出るには本宮を通らねばならず、その道も衛兵が立っていて、日が暮れると鍵をかけられます。鍵は、衛兵と王が持っているようです」

 建物内部のおおまかな様子を、怯む様子なく淡々と知らせてくるミザントリは、やはり頭が良い。だが、制止される様子がないので逃げられないと踏んでいるのだ。

 ミザントリを客人として扱っていたのなら、いちるの誘拐は予定されていたのだろう。これから様々な搦め手で来ることが予想され、渋面になる。先手を打って優位に立ってから行動するいちるにとって、オルギュットは相性が悪い。初手で黒星がついた。二手目も、どうやら分が悪い。客人だというのに青ざめているミザントリの顔色からそう判断する。

 ならばアンバーシュがどう来るかだった。やすやすと入国が許されるとは思えない。戻ると言ったまま戻らぬのだから、探している。オルギュットが関わっていると知るのもさほど時間はかからないと思う。ビノンクシュトは尋ねられるまで黙っているかもしれぬが、それ以上小細工している様子がなかった。

 だが、オルギュットが何を狙っているか不明確で、手の打ちようがない。顔を見るのも嫌だが話をしなければならないらしかった。

「オルギュットが何をしたがっているか、あなたは知っていますか?」

「わたくしはここに連れられてきた時点で、てっきり『そう』だと思っていたのですが、どうもその気配がなくて怪訝に思っていたところです。姫こそご存知ないのですか? 姫がいらっしゃったのだから、オルギュット王は姫にご用事があると思うのですけれど」

「何が、『そう』なのです」

 ミザントリは息を詰めた。恐る恐る問いかける。

「ご存知でないのね? オルギュット王が何をなさっているか。王は、あちこちから年頃の娘を攫って……」

「オルギュット陛下、おでましでございます」

 中途のまま、ミザントリは言葉を止めて、いちるの隣に立ち、裾を摘んで頭を下げた。ヴェルタファレン式の礼だが、入室したオルギュットは鷹揚に頷き、いちるに向かって細く鋭い微笑みを向けた。

「小鳥はよく鳴いたかな」

「この者をヴェルタファレンへお帰しください。わたくしどもとは何ら関係のない娘です」

 第一声には抗議を選んだ。オルギュットは意に介さない。

「それは私が決める。部屋へ戻してやれ。今にも倒れそうだ」

 ミザントリは震える声を正し「御前を失礼させていただきます」と言って、女官に沿われて部屋を出て行った。監視役だ。常に二人はついているのだろう。

 だが、希望がないわけではない。ミザントリは内部の把握に務めているようだった。この程度なら、と一見重要でないように思える情報をくれる者がいるのだ。

 オルギュットは他の側付きも下がらせる。部屋の壁際に置いてある、火鉢らしき熱を発する大きな鉢から箸を持ち上げると、その火をかき混ぜた。香でも撒いたのか、煙いほどの花の香りが立ち上る。いちるはそっと息を殺した。薬でも混ぜられたらたまったものではない。

 いちるを見下ろしたオルギュットは、己の趣味に満足したらしかった。着せ替え人形の出来はまあまあ、という顔だ。

「君は美しいが、際で留まっているな。悪徳に落ちるか、清純であるべきか、惑っているように思える」

 美醜の評ほど意味のないものはない。いちるは黙っていた。喋らせるのが一番だと思ったのだ。先手を打つくらいなのだから膠着を嫌う可能性が高い。しかしもし強い忍耐を有していたら、いちるは更に分が悪いということになる。己の短気をいちるは知っている。

「何か言ったらどうだ」

[御神と比べれば十人並みじゃ]

 明確な敵意を伝えるべく念話を選ぶと、くすぐられたようにオルギュットは小さく笑った。

「そのように出来ている。神としても人としても半端ならば、生き残るために美を備って生まれるものだ。人ならば祝福、人にあらずは単なる装備。君はどちらかな。答えてごらん」

 考えたこともない問いに解を求められる。黙っているのを、オルギュットは楽しそうに見ていた。困惑しているのを面白がっているのだ。

 お前は人か、そうでないのかと尋ねられているのだとすれば、人ではないと答えることができる。だが、己が美しいとは思っていない。目の前にいる銀の巻き毛の男は、百人の娘が百人とも美しいと言って、視線を集めることになるだろう。それが例え、己の恋人や夫として想像できなくとも、美醜の判断は可能だ。

 オルギュットは美しく麗しい。

[……あなたは美しい。それ以外は何とも言えぬ]

「君は、権威や栄光で飾り立てた己しか知らない。素裸で出た時に人の目を惹くか否か。それが最も単純な方法だ。アンバーシュは君を綺麗だと言っただろう」

 ぎくりとし、次の瞬間、羞恥が頬に昇った。

 オルギュットが赤くなった頬を、うっすらと透ける胸元を見る。

「私も、君は綺麗だと思う」

[戯れ言のためにおいでになったわけではあるまい。御用をお聞かせ願いたい]

 あえて挑発に乗った。これ以上性的嫌がらせを聞いていられない。つれないなと笑って、オルギュットが椅子に腰掛ける。座っているというのに、大鴉が翼を広げたようだった。

「私の要求は単純だ。しばらくここに滞在してもらう。気が済んだら君をヴェルタファレンへ帰そう」

[何かすべきことがあるのではないか]

「それは君の思い通りにはできないから、告げる必要はないと考えている。滞在が無期限であることが不安なら、期限をつけてあげよう。一ヶ月。それで君は自由だ」

 めまぐるしく与えられた情報をまとめる。

 オルギュットはいちるに何かを要求している。だが、いちるの意志とは関係のない働きを求めている。一ヶ月ということは、長期ではない。だが、この季節に何か呪術祭礼的なものが関係しているのかもしれない。オルギュットが絶対に譲れぬのは、いちるに逃げられては困るということ。いちるにしか果たせぬ役割。考えても、思いつかぬ。無意識にやっていることと言えば、力の循環を果たしていることくらいだ。

 自身のことも解き明かせぬいちるに、この王の持つ答えを奪い取ることは容易ではない。まず拠点を据えてから本丸の攻略を進めるべきだろう。時間をかけず、なるべく素早く。

「いい国だよ、イバーマは。永遠の夜は君の心を慰めるだろう」

[御用がすぐに済むことを願う]

 オルギュットが近付いてきた。頬にかかる髪に指を絡められ、いちるは相手を煽らぬ程度に目を伏せる。指が頬に当たるのは、恐らくわざとだ。くるくると巻き付けるように、緩く指が回転する。

「私とカレンミーアの趣味は似ているんだよ。戦う女は好きだ。抗う女はもっといい。敗北した女には庇護欲を掻き立てられる。君は私の好みだよ、とても」

[アンバーシュに会わせてもらいたい]

「許さない」

 声へわずかに感情が混ざる。どんなものか判別する前にオルギュットは言葉を続けた。

「あれに出てこられるとややこしくなる。状況は伝えてやるから、それで手を打ちなさい。抵抗してもいい結果は出ないよ。私が喜ぶだけだ」

 交渉の余地ありとみる。だが今はここで引いておこう。言い張って、主張を繰り返せば、それが弱味に転じる可能性もある。譲れないものを増やせば、もっと身動きが取れなくなる。

 自分はなんとかして戻るから少し待て、とアンバーシュに伝えることができればいいが、そうなると、あの男はもっと躍起になって働きかけるかもしれなかった。

 とにかく、少し時間を置く。二日三日程度ならば、猶予はあるはずだ。

 オルギュットは優しい声色で、何もかも知っているという風に、黙り込むいちるに唱えかけた。


「大人しく従順であれば、痛い目に遭うこともない。状況は変えられないが、ね」

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