第二十章 それぞれの再会

 ふたりが旅行から帰ったら、先輩の片桐探偵社からファックスが届いていた。

 どうやらシンガポールから帰ってから、すぐに優衣の母親の捜査をやってくれていたらしい。ファックスには辻本綾子の所在しょざいと、現在働いている職場の住所と電話番号、そして最近、母親が引っ越したという知人宅の住所などが書いてあった。さすが、人探しのオーソリティー仕事が早いと感心した。


 詳しい状況を聞くため片桐に電話をかけたが、一度目は張り込み中なのか、留守電話になっていた。二時間後に片桐の方からかかってきた。

『ああ、悪りい悪りい~。さっきまでラブホで張り込みやったんだ』

『先輩、忙しいところスミマセン。ファックス見ました。同じ沿線のわりと近い所に住んでいたんですね』

『そうなんだ。子どもを置いて家出した人は案外近くに居るもんさ。たぶん、何度かこっそり様子を見にきていたと思うよ』

『近々、娘と一緒に母親に会いにいきます』

『それがいい。母親も娘に会いたがってるはずだから』

『ところで知人宅より、職場を訪ねた方がいいでしょうか?』

『その知人というのは職場の同僚で、親子ほど年が違うし、たぶん男女のとは違うと思うけど……いきなり自宅よりは職場の方がいきやすいだろ? ただ、職場に聞いたことある名前があったんだが……まあ、今のおまえなら大丈夫だろう』

『えっ? 誰ですか』

『人違いかもしれない……』

『誰です?』

『いや、まあ、たぶんいってみたらわかる。じゃあ、俺は仕事に戻るから……』

 最後は曖昧に誤魔化すようにして、片桐が電話を切ってしまった。今は優衣のことしか興味がない圭祐には、それが誰であろうと別に構わない。

 片桐の読み通り、やはり老人介護施設の厨房で働いているみたいだった。

 調理師の資格を持っている母親は、たぶん食堂関係の仕事に就いているだろうと優衣も考えていたようで、この一年の間、優衣なりに母親を捜していたらしい。

 優衣と相談して、その知人宅の住所ではなく、母親との関係がよくわからないので……やっぱり職場を訪ねた方が無難だろうという結論になった。

 もうすぐ母に会えると、優衣はものすごく喜んでいる。少しづつでも、この子を幸せに出来れば、それは圭祐にとって満足なことだった。


 さっそく、明日にでも母親が勤めているデイサービスの施設に、ふたりで訪ねることに――。


「涼子さーん!」

 デイサービスの『ゆーとぴあ』の受付カウンターに座っていると、崎山がやってきた。

 受付業務は本来涼子の仕事ではないのだが、担当者がお昼の休憩を取っている間の一時間だけ、代わりに受付に入っている。

「あのさ、綾子さんが涼子さんの分のお弁当も作ってくれたから一緒に食べよう」

 手に持った大小二つの弁当箱を見せてくれた。大きい方の崎山の弁当箱は涼子の弁当箱の三倍以上の大きさだった。

 崎山の家に住まわせてもらっている綾子は、家賃の替わりに食事を作っている。調理師の綾子は、料理が手早い上、ボリュームがあって美味しいので、食いしん坊の崎山は大喜びである。

 最近では崎山の弁当と一緒に涼子のも作ってくれている。恐縮きょうしゅくして断わったのだが、「ひとつ作るのも、ふたつ作るのも手間は同じだから」と、崎山とペアの弁当を作ってこられる。職場での手前、ペア弁当は恥かしいのだが……このふたりのノリにはあがなえない。

 崎山は涼子に合わせて、自分の休憩時間を取っているみたい、その人柄のせいか、崎山は『ゆーとぴあ』では、割りと自由にやらせてもらっているようだ。

 食べ物を目の前にすると、まるで子どもみたいに無邪気にはしゃぐ崎山のことを可愛いと思う。綾子も涼子も、この大きな男になぜかをくすぐられている。


 ――あれから、涼子は崎山に自分のことを話した。

 過去に婚約者に酷い仕打ちをしたことがあった。だから、自分は恋とか結婚とか考えてはいけない人間なのだと……。

 それに対して、崎山は「俺は涼子さんのことが好きだ。いつか、涼子さんが俺のことを好きになって必要だと思ってもえるまで、何年でも待つつもりなんだ!」と、そうキッパリと答えた。崎山の真摯しんしな気持ちは嬉しいが、涼子は元婚約者に許されるまでは……その先のステップはとても踏めないのだ。

 あと十五分ほどで担当者が休憩から帰ってくる、それまで崎山は受付カウンターで涼子を待っているつもりみたいだ。大きな弁当箱を抱えてわくわくしている。他のことは我慢できても、食べることに関しては、「待て!」が利かない男である。


 受付カウンターから、正面ドアのガラス越しに『ゆーとぴあ』の駐車場に一台の車が停まるのが見えた。それはシルバーグレーのビートルで、涼子は来客かしらと見ていた。

 シルバーグレーのビートルは元婚約者だったあの人が乗っていた車種と同じだと、ぼんやり考えていたら、車のドアが開いて若い女の子が降りて、こちらに向かって小走りでやってきた。

 ショートヘアーのスレンダーな可愛い娘だった。正面ドアを開けて、真っすぐに涼子の元へきた。

「……あのう。ここに辻本綾子つじもと あやこって人が働いていますか?」

「はい。辻本ならおりますが……どちら様ですか?」

「わたし娘です。辻本優衣つじもと ゆういと言います」

「ええー!」

 その返答に驚いた。隣に座っていた崎山も驚いて、手に持っていた弁当箱を床に落としまった。

「あなたが綾子さんの娘さん?」

「はい!」

 ベージュのコートの中に着ている若草色のセーターには見覚えがある。あれは綾子の手編みのセーターに違いない。

 それにしても綾子に聞いていた容貌と全然違う。優衣は地味でオタクっぽくて、冴えない娘だと確かそう聞いていたが……目の前にいる女の子は、とてもチャーミングで垢ぬけているではないか。

「ちょ、ちょっと、待っててくださいね」

「ええ……」

「崎山くん、綾子さんを大至急で呼んできて……」

 隣にいる崎山に小声で頼んだ。

「よっしゃ! すぐに綾子さんを連れてくるから待っててね」

 慌てて取り落とした弁当箱を拾い上げ、それを持ったまま、綾子が居る厨房へ走って行った。ほほ同時に正面玄関が開いて、優衣の連れと思われる男性が入ってきた。

 優衣はそっちに振り向いて――。

「おにいちゃん! お母さん、ここに居たよ」

 その男性の顔を見た瞬間、涼子は全身の血が凍りついた。――いつかは謝らなくてはいけないのに……どうしても、怖くて……とても会いにいけない人物だった。

圭祐けいすけ……」

「君は……涼子りょうこ?」

 圭祐も茫然と立ちすくんでいた。

「ここで働いていたんだ」

「ええ……そう」

 何から話せばいいのか言葉が見つからず、涼子はうつむいてしまった。

「あ、おにいちゃんの知り合いなの?」

 優衣が無邪気な声で訊いた。

「うん。昔の知り合い」

「……じゃあ、綾子さんの娘さんを圭祐が保護していたの? わたしたち家まで彼女を迎えにいったんです」

「そう、今は一緒に暮らしている」

「えっ! そ、そうなの?」

 その返答に涼子は、なぜかひどく動揺してしまった。

 心のどこかで圭祐は今でも自分を想っているかもしれないと、女性特有の思い込みでそう信じていただけに、何だか心をはぐらかされた気分だった。なんとも身勝手なことだが……。


 受付カウンターに崎山が綾子を連れて帰ってきた。調理服を着たままで慌ててきた様子で、崎山に引っ張られて息を切らせていた。周りをキョロキョロ見渡して……どこに娘がいるのか探しているようだった。

「お母さん……」

 娘の方から声をかけた。

 目の前にいるチャーミングな娘が、我が子だと気づいた時の綾子の顔と言ったら――。あんぐりと口を開いて、信じられないという顔で優衣を凝視ぎょうししていた。

 自分の頭の中の記憶とはあまりにかけ離れていたせいのだろう。その娘が優衣だと認識するまで綾子の頭脳あたまはしばらく時間がかかった。

「お、おまえが優衣かい……?」

「そうよ! お母さん」

「すごく、きれいになって……」

「セーターありがとう」

 優衣が着ているセーターを見た瞬間、綾子の目から涙がぽろぽろ零れた。そして娘も母親に抱きついて、わぁーわぁー泣き出した。離れ離れになっていた母娘の再会は感激の涙だった。

 涼子も思わず貰い泣きをしてしまった。崎山もうるうるしていたみたいで目が赤い。圭祐だけが満足そうに微笑ほほえんでいた。

 そこへ、事情も分からず休憩から戻ってきた受付の女性は、ただ驚いて何事かとおろおろしていた。軽く事情を説明して、その女性と交代で涼子は休憩に行くことになったが……。

 崎山に、優衣の連れの男性は知り合いだったので少し話があるから……先に休憩を取るよう話した。崎山は圭祐の方を一瞥いちべつすると「分かった」とうなずいた。圭祐と涼子に何らかの因縁いんねんを感じていたようだ。――あれで崎山は勘の鋭いところがある。


 少し話がしたいと涼子の方から誘った。圭祐は別にこだわる風もなく「いいよ」と『ゆーとぴあ』の建物から出て、駐車場までついてくる。

 そして「ここなら優衣の様子が見えるから……」と圭祐がいうので、彼のビートルの前で立ち話をした。

「ご無沙汰しました」

「君も元気そうで良かった」

「ありがとう」

 あの時のことを謝りたいと思っているが……あまりに圭祐が平然としているので、返って話を切り出し難くなった涼子である。

「……あのう、あの時は、いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 涼子は胸のつかえを取り除くためにも、圭祐には頭を下げて謝った。

「――いいよ、そんなことは……もう終わったことだし、僕らはお互いえんがなかったんだ」

「だけど……」

 どう謝罪すれば良いのか困惑している涼子を見て、圭祐は微笑んでいた。《この人、すごく強くなっている》とそう感じた。

「それより仕事どう?」

 圭祐が訊ねた。――たぶん話題を変えるためだろう。

「うん。いろいろ勉強しながら頑張ってる」

「そうか、君には介護職が合っているかもしれない」

「まだまだ、なんだけど……」

「まあ頑張れよ」

「あれ? 圭祐、今日は仕事お休み?」

「……うん。優衣が父親に殴られてケガをして、僕の所へ逃げてきたんだ。――だから、彼女が元気になるまで会社は休職している」

 その返答に涼子は正直驚いた。

 圭祐は仕事に対しては真面目で熱心な性質たち、滅多なことでは仕事を休まないタイプの人間だった。その彼が優衣のために休職中だというのだから……まさか信じられない。本当にこの人は変わってしまったのだと、心底しんそこ納得させられた。


「彼女を大事に思っているのね」

「ああ、一生かけて守り抜きたい、唯一の女性なんだ」

 なんらのてらいも臆面おくめんもなく、そういい切った圭祐。その言葉に涼子は、女として優衣に軽く嫉妬してしまったほど……。

「わたしとは縁がなかったけど、優衣さんとは上手くいきそうね。良かったわ、圭祐が幸せそうで……」

「ありがとう。涼子も幸せになれよ!」

「相変わらず、優しいのね。圭祐って……」

「あははっ」

 曖昧あいまいに圭祐が笑った。この優しさが『諸刃もろはつるぎ』だと彼にはわかっている。


 どうやら綾子は仕事に戻ったみたいだ。優衣が『ゆーとぴあ』の正面ドアから出てきて、真っ直ぐ圭祐の方を見てにこにこ笑っている。その笑顔に圭祐も応えていた。――もう誰にも入り込めない、ふたりだけの愛の世界だった。

「おにいちゃんのこと、お母さんがすごく感謝してたよ!」

「そうかい」

「今度、挨拶にくるって」

「可愛くなった優衣を見て驚いてただろ?」

「うん! みんなおにいちゃんのお陰だっていっといた」

「違うよ、優衣が元々可愛いからさ」

「それから、おにいちゃんがゲーセンで取ってくれた白いクマのぬいぐるみを、お母さんがあたしの部屋から持ってきてくれた」

「良かったなぁー」

 ふたりの会話を聴きながら、圭祐は自分にぴったりな『運命の女性』と巡り会えたのだと涼子は安堵した。自分の我ままのせいで彼を不幸にしたという罪悪感に、いつも苛まれていた涼子だったが、やっと自分自身を解放できる。


 ふと、建物の中を見ると、まだ休憩にいかなかったのか、崎山が受付カウンターから、駐車場で立ち話をしている、涼子たち三人の様子を見ていた。――たぶん、圭祐のことを気にしているのだろう。


「じゃあ、帰るよ」

「ありがとうございました」

 ぴょこりと優衣が頭を下げた。素直そうで良い娘だと思った、この子を圭祐は自分の色に染めていくのだろうか。優衣なら、きっと圭祐を幸せにしてくれそうだと涼子は確信した。

 こんなに穏やかな包容力のある圭祐は、涼子が付き合っていた頃にはなかった。優衣を知って圭祐自身も大きく変わっていったのだろう。

 ――心から、このふたりを祝福したい。そう涼子は思っていた。


「僕ら、それぞれの幸せを見つけて生きていこう」

「そうね!」

「涼子、君に……」


『Good Luck』


 圭祐はそういって、照れ臭そうに笑った。その言葉が誰かの受け売りだったから……。

 そして、ビートルのドアを開けて優衣を乗せるとシートベルトを確認して、圭祐も運転席に乗り込んだ。

 涼子に向かって、ふたりは笑顔で手を振ってから、ゆっくりとシルバーグレーのビートルを発進させた。


 グットラック……その言葉に涼子は思わず涙が零れた。

 やっと罪をゆるされて心が軽くなっていくようだった。圭祐の優しさには深く感謝している。

 それぞれの幸せを見つけて生きていこう……そうだ! もう一度、恋ができるかも知れないと思った涼子の脳裏のうりに、崎山の顔がちらりと浮かんだ。


 いつの間にか、正面ドアの前に崎山が立っている。

 ――心配そうに、こちらを見ている崎山に手を振りながら、涼子は走っていった。


『あぁー、真っ青な空だ! もう冬は終わったみたい』 


 空を仰ぎ見て、大きく深呼吸したら、ふわりと心が青空に吸い込まれてしまいそう――。

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