第十八章 雪景色が彩られていく

 翌日、圭祐は優衣を連れて知り合いのやっている美容室『マドンナ』へいくことにした。

 高校時代のクラスメイトだった、速水早苗はやみ さなえと圭祐は昔馴染みで、時々は圭祐もカットをして貰いに早苗の店に行くことがある。高校時代に早苗とは短い間だったが付き合っていたこともあった、だが、ふたりの関係は友情以上には発展することはなかった。

 今でも早苗とは会えば、冗談ばかりをいい合う間柄である。圭祐にとって数少ない気の置けない友人のひとりなのだ。

 美容室『マドンナ』のドアを開けると、早苗が人懐っこい笑顔で迎えてくれた。

「あらっ! 圭祐くん、いらっしゃーい」

 高校時代と同じように、今でも“圭祐けいすけくん”と呼ぶ早苗は、パッと見は派手だがしっかり者の主婦である。彼女は五歳と三歳の二児の母親なのだ。

 圭祐の後ろに隠れている優衣を見つけた早苗は驚いたように、

「おや? 圭祐くんって、妹さんがいたんだっけ?」

「あははっ、妹じゃないさ。ちょっと事情があって面倒みている子なんだ」

「そう、じゃあ今日は彼女のヘアーをしにきたのかな?」

「とびっきり可愛くしてくれよ!」

「この自称カリスマ美容師の早苗さんに、お任せくださいませ!」

「あははっ」

 ふたりのやり取りを、キョトンとした顔で優衣が見ている。


「……うーん。ずいぶん不揃ふぞろいに切られてるわねぇ……自分で切ったの?」

 父親にハサミでザクザクに髪を切られた後、圭祐が外に出れる程度に切り揃えた髪形である。

「あ、そのう……です」

 困ったような顔で優衣が答えている。

 圭祐はソファーに座って雑誌を読みながら、ヘアーが仕上がるのを待っている。

「きれいに揃えるのには少し短くなるけど、いいかしら?」

「……お任せします」

「それと、黒くてきれい髪なんだけど、ふんわり軽く見えるように、明るくヘアーカラーしてみる?」

「毛染めですか?」

「そう、少し明るくすると顔が優しく見えるわよ」

「……ヘアーカラーやってみます」

「アッシュベージュのきれいなカラーがあるのよ」

「はい」

「それから、毛先の方だけパーマかけてみようか?」

「パーマもですか?」

「うん。大きい目のロットで巻いて、ふんわりしたシルエットに仕上げるの」

「ブローとか、やり方が分からないから……」

「大丈夫! ブローなしで手ぐしだけの楽ちんヘアだよ」

「それならお願いします」

「よっしゃー! この早苗さんにお任せあれ」

 早苗の言葉に、緊張が解れてくすくす笑っている。

 そんな様子をソファーから見ていた圭祐は、リラックスした優衣の顔を久しぶりに見たような気がして、早苗の店に連れてきて良かったと思っていた。

 その後、美容師の顔になった早苗はハサミさばきも見事に優衣の髪をカットしていった。


「パーマとカラーもしたから時間がかかるわよ」

 インターンの女の子がシャンプー台で優衣の髪を洗っている間に、コーヒーをお盆に乗せて圭祐のいるソファーに早苗がやって来た。

「コーヒーどうぞ」

「ありがとう。時間かかっても構わないよ」

「圭祐くん、今日は平日だけど会社を休んでるの?」

「ああ、しばらく休職しようかと思っている」

「何があったの? 去年、あんな目に合った時でも会社は休まずにいってたくせに……」

「うん。自分のためなら休まないさ」

「……もしかして? あの子のために?」

 早苗はシャンプー台の優衣の方を目で差し示した。

「――そうだよ」

「そっか、素直な子だね」

「うん」

「あたしや涼子さんは、圭祐くんの優しさを傷つけてしまうタイプだけど。――あの子は一途でいいよ。きっと一生ひとりの男の人だけを想い続けるタイプだよ」

「……なぜ、そんなことが分かるんだ?」

「長年、美容師やってると髪の感触で分かるんだよ!」

「それじゃあ、だなぁー」

 そういって、ふたりで笑い合った。

 一年前のことは早苗もよく知っていて、渦中かちゅうの人だった圭祐が愚痴をこぼした、たったひとりの友人だった。時々電話をして、安否を心配してくれる早苗は友人というよりも姉のような存在なのである。

「……もう、あんな辛そうな圭祐くんは二度と見たくないよ」

「早苗にも心配かけた」

「今度は幸せになってよね」

「ああ、今度こそ必要とされる男になるさ」

「応援してるから!」

「うん」

 あの頃の自分は、心配してくれてた友人のことを気づかう余裕さえなかった。今、あらためて早苗には感謝している。こんな風に心に余裕が出来てきたのは、きっと優衣の存在が大きい、やっと本来の自分を取り戻しつつあると圭祐は感じていた。


 ようやくパーマとカラーが終わった、優衣のヘヤースタイルを早苗が櫛で入念に仕上げをしてくれている。

「優衣ちゃん、どう感じ変わったでしょう?」

「自分じゃないみたい……」

 ――鏡に映った自分の姿を見て優衣は茫然ぼうぜんとなった。

 優衣のヘアーは、ショートボブにふんわりカールでフェミニンな感じがする。明るいカラーで顔全体が柔らかな印象になった。今までの、あの野暮ったさがなくなって……まさか、こんなに雰囲気が変わるとは、美容師の早苗自身すら思ってもみなかった。

 きっとこの子は、好きな男の色に染まっていく女なのだと思った。

「すっごく似合ってるわよ!」

「ありがとうございます」

「ねぇ、お化粧はしたことあるの?」

「化粧はやったことないです」

「そう、じゃあ、メイクもやってあげるからね」

「……はい」

「優衣ちゃんは色も白いし、肌理きめも細かいから、薄くメイクしただけで化粧映えすると思うわ」

 褒められて、優衣は嬉しそうに照れていた。早苗は慣れた手つきで、優衣の顔にメイクをほどこしていった。今まで自分の外観をあまり気にしていなかった優衣にとって、今日は劇的な変化の日になった。


「ジャーン! お姫さまの登場ですよ」

 早苗の後ろで、優衣が恥ずかしそうにもじもじしている。

「恥ずかしがってないで。ほらっ、もっと堂々として!」

 グイッと早苗に背中を押されて、圭祐の目の前に優衣が突き出された。

 見た瞬間、優衣のあまりの変身に圭祐は驚いた。まさか、ここまで可愛くなるとは思わなかった。顔の半分が、いつも長い髪に隠されていたが、実はこんなにチャーミングな顔が隠されていたのかとつくづく眺めた。薄く化粧もしていて、優衣は大人の女性の顔になっていた。

「驚いたなぁー、こんなに変わるなんて……」

「どうよ? 優衣ちゃん、とっても可愛いでしょう?」

「うん。すごく可愛いよ」

 素直に圭祐はそう思っていた。

 決して、優衣の容姿に惹かれて興味を持った訳ではなかったが……それでも、可愛くなると男としては嬉しいものである。

「恥ずかしい……」

 両手で顔をおおっった――。今まで、容姿で注目を浴びたことがない優衣にとって身の置き所がないようだ。

 自分のことを不細工だといつも卑下していた優衣だけど、きっと本当の姿を知らないで、自分を醜いアヒルの子だと思い込んでいたのかもしれない――しかし、その本当の姿は白鳥だったんだと、この時、圭祐にはハッキリと分かった。


 優衣のヘアーの出来に美容師として早苗も満足そうだった。

 帰るふたりを出口まで見送りにきて、ドアを出る寸前に、早苗は圭祐だけに聴こえるように耳元でそっと囁いた。

「素直で良い子だよ。ずっと守ってあげなよ」

「そう決めている」

「そっか。幸せになるんだよ」

「ありがとう」


『Good Luck』


 祝福の言葉と共に、ふたりの背中に満面の笑みで早苗は手を振った。


 ふたりは美容室からの帰り道、デパートに寄って買い物をした。優衣の新しいヘアースタイルに似合う洋服を、若い娘向けの少しカジュアルなショップでコーディネイトする。

 優衣は母の手編みの若草色のセーターを着たいというので、それに合わせて店員に選んで貰った服は、コットンワッシャーのすそが花びらみたいなカッティングのきなり色のスカートとベージュのファーフード付きダウンコートだった。そして、ブラウンのウエスタンブーツとキャメルのショルダーバックも一緒に購入した。

 試着室から出て来た優衣はシンデレラみたいに美しく変身していた。新しい洋服は彼女によく似合っていて、どこに連れて行っても恥ずかしくない容姿だった。

 コーディネイトして貰った服をその場で着替えて帰ることにした。あんまり可愛くなり過ぎたので……男として圭祐は、ちょっと心配になったほどである。

 ショップでは、それ以外にもついでに普段着を二、三着買った。何しろ着のみ着のままで逃げてきた優衣には着る服が全くない、これからは自分が買い与えていこうと圭祐は思っていた。

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