第七章 しゃぼん玉とんだ
【 しゃぼん玉 】
ピューと
赤いストローから
とびだす
しゃぼん玉たち
ふわふわと
ただよいながら
ごっつんこして
はじけた
木の枝にぶつかって
はじけた
カラスにつつかれた
ピューと
元気いっぱい
とびだす
しゃぼん玉たち
風にだって
負けないんだから
あの子の家まで
とんでけ
学校の屋根まで
とんでけ
しゃぼん玉とんだ
あたしの夢ものせてって
優衣
毎朝、優衣の小さな詩から『元気』を貰ったと圭祐は思っている。
子どものような心で書かれた優衣の詩は、無邪気で素直に心に響く。だからお礼をしたい気持ちになって、優衣に何かプレゼントを考えていた。
今日、久しぶりに雑貨屋を覗いて、女の子の喜びそうな可愛い小物を買った。こんなものを買うなんて……一年前の圭祐には考えられないことだったが、是非、これを優衣に付けて貰いたいと思ったのだ。
優衣は自分のことをとても
そうなるために、優衣の力になってあげたいと圭祐は思っていた。
早朝、圭祐はベッドに置いた携帯のアラームで目を覚ました。
――三時四十五分、通常、こんな早い時間に起きることはないが、朝刊を配っている優衣に会うため早起きだった。
眠い顔を冷たい水で洗い、コーヒーメーカーをセットして、好きな音楽をかける。
二杯目のコーヒーを飲んでいる最中に、ガタンと何かがドアポストに挿し込まれる音がした。優衣が朝刊を配っていったようだ。慌てて、圭祐は部屋から飛び出した。
「優衣!」
ドアを開けて呼びかけると、驚いたように振り返った。
「お、おはようございます」
「おはよう。ねえ、配達の仕事は何時に終わる?」
「えっと……五時過ぎには終わると思います」
「そっか。じゃあ、こないだ行った駅前のハンバーガーショップで、五時過ぎに待ってるから、これる?」
「はあ? はい……」
困ったような顔で優衣が返事をした。
「優衣にプレゼントを渡したいんだ。待ってるから必ずきてくれよ」
「はい!」
今度は嬉しそうな声での返事だった。「じゃあ、頑張れ!」圭祐の励ましの声に、再び優衣は新聞を配り始めた。
携帯を持っていない優衣との連絡手段は直接話す、この方法しかなかったのだ。
駅前のハンバーガーショップで優衣を待っていたら、五時半頃に彼女が走り込んできた。きょろきょろ店内を見回して圭祐を探している。カウンター近くの四人掛けのテーブルに座っていた圭祐は、軽く手を上げて優衣に合図を送ると、すぐに気が付いて彼女は息を切らせながらやってきた。
「遅くなってごめんなさい」
謝りながら席に着いた。
「忙しいのにきてくれて、ありがとう」
「いいえ」
優衣は恥ずかしそうに俯いて笑った。そんな彼女の表情を黒い髪が覆い隠す。
「あ、何か食べる? 朝早いからお腹空いただろう」
「うん……」
立ち上がって、カウンターへ行こうとする優衣の肩に軽く手をのせ席に押し戻した。
「――いいから座ってなよ、僕が買ってきてあげるから」
優衣に注文を聞いて、圭祐が代わりに買いにいく。
ようやく優衣が食べ終わるのを待って、圭祐は持って来たプレゼントを渡した。
若者向けの雑貨店で買ったので、ピンクのリボンで可愛らしくラッピングがされていた。受け取った瞬間「わあー!」と優衣は歓喜の声を発した。「開けて見てごらん」と圭祐に促されて、ラッピングを丁重にはがしながらプレゼントを開けていく優衣。
中から出て来たものは――。
「イヤーマフ?」
「うん。耳が冷たいだろうと思って……」
そのイヤーマフはブルーフォックスの青みがかった白い毛皮が耳あてに付いていた。ふわふわと柔らかく、ゴム紐タイプなので軽くて、しかもドーナツ状の構造で耳が塞がらないので、ちゃんと外部の音も聴こえるようになっている。
新聞を配達する優衣が長時間付けていても頭が痛くならないように、圭祐が考えた末に選んだプレゼントだった。
「ありがとう。だけど、こんな高価なものは……」
「優衣が気に入ったなら使って欲しいんだ。いつも詩をプレゼントして貰ってる、それに対する、ささやかなお礼だから……気にしないで」
「すごくきれいなイヤーマフで嬉しいです。この青白い毛皮の色が好き!」
「気に入って貰えて良かったぁー。あ、それと、袋の中にもう一つプレゼントが入っているはずだよ」
「えっ?」
袋の中を探って、優衣は小さな袋を見つけた。
「これは?」
「開けてみなよ」
薄い水色のフリルのシフォンシュシュ。
「これって、髪留めですか?」
「イヤーマフを付ける時に、長い髪をそれで束ねればいいと思ってさ」
「ええ……」
「髪の毛、すごく長いね。いつから伸ばしているんだい?」
優衣の髪は背中から腰近くまである。それを束ねないで無造作に伸ばしているので、顔が隠れて陰気な感じがする。
「三年前くらい……お兄ちゃんが死んでから、ずっと髪を切っていない」
「どうして?」
「お兄ちゃんが撫でてくれた、この髪を切り落としたくないから……」
「そっか……」
優衣の心の中で『兄の存在』を、少しでも形として留めて置きたいと思っているのだろうか。……その健気さが
「だけど、視界が悪いから髪は束ねた方がいいよ」
「……でも、あたし不細工だから顔も髪の毛で隠したい」
「そんなことない! 優衣は顔も心もきれいだよ」
圭祐の発したその言葉に驚いたように目を見張った優衣だが、その後、俯いて沈黙してしまった。――たぶん、からかっていると思ったのだろう。
「あっ! もう帰らないとお父さんに叱られる」
急に慌てて、優衣が立ち上がった。
「ごめんよ。引き留めて……」
「今日はありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて、来た時と同じようにバタバタと小走りで去っていく。
余程、父親が怖いのだろうか。どうも複雑な家庭の事情がありそうだと圭祐は感じていた。
優衣が家の鍵を開けて、中に入ると父の義男が玄関に立っていた。
「遅い! なにやってたんだ!」
いきなり大声で怒鳴られた。
「ご、ごめんなさい……新聞が一部余って、それで入れ忘れた家を探してたから……」
「この愚図が! さっさと朝飯の支度をしろ」
「は、はい」
慌てて、優衣は台所へと走っていく。
「新聞配達なんか、いつまでやってるつもりだ! もっと金になる仕事を探せ。駅前のキャバクラで募集してたぞ、おまえは来月で十九だから、もう働けるだろう?」
優衣の背中に義男の言葉が続く。――キャバクラなんかで働くくらいなら、死んだ方がマシだと優衣は強く思った。
今、アルバイトで稼いでいるお金は全て父に渡している。
その中から五千円だけ小遣いとして優衣は貰っているが、自分の衣類、日用品、お菓子などをそれで買っている。そして、父からは十日に一万円だけ渡されて、それで二人分の食費を賄っている。お金に細かい父にはレシートや明細をきちんと見せなければならない。しかし、それっぽっちのお金では誤魔化しようもない。カツカツの生活である。
腰痛持ちの父は軽貨物の仕事が減って、最近では家でブラブラしている日も多い、さらに、働いていた母親が家出したので、現金収入が減ってしまった。義男は何んとか優衣を働かせて収入を得ようと考えているようだ。
辻本家では長男健人を喪って、そこから全ての歯車が狂い始めていた。
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