第10話・中 二千条しぐれは強敵である

『大留志文と東原さんが急に消えたのです。まるで神隠しなのです!』

『何が起きたのかわかんねーけどよォ! どーもただ事じゃあなさそうだぜ!』

 

 いつもの三人組で京都タワーを観光していた寅丸の携帯は、通話開始と同時に獅王と馮河の声でスピーカーを震わせた。

 ひどい音割れに思わず耳を離した寅丸だったが、辛うじて聞き取れた言葉を咀嚼するのに十秒ほどかかって、ようやく事態の深刻さに気付く。

 

「ニャンですとぉー!!?」

『瞬間移動、結界、幻惑、いずれの手段かは解らないのですが、少なくとも妖術の類いと見て間違いはないのです』

「ニャるほど。つまり大鳳の出番だニャ!!」


 そういうことだ、と獅王の素早い相槌。聞き耳を立てていた亀梨と大鳳も頷いている。

 寅丸は迷わず大鳳に携帯を手渡す。いま指揮を執るべきは妖術に精通する彼女だ。

 

「話は聞いたぞぅ!! 我は京都タワーから術者の探知を頑張る!」

『流々たちはひとまず近辺を捜索するのです』

「わはははは! お互い頑張るぞぅ!!」




 異界の千本鳥居を貫いていくふたつの流星。

 その一方――VMAXの轟音を放つ二千条しぐれからは槍による連撃が繰り出される。その速さたるや、蜂の大群さえ一息の間に抹消しうるほど。

 もう一方――身一つで宙を駆ける大留志文はそのことごとくを打ち払う。

 軽功、瞬発力、精度、膂力、いずれもほぼ互角。二千条に利する作用がこの異界全体に働いていることを加味すれば、素の戦闘力は志文のほうが上であろう。


 ならば、と空中に急停止する。

 敵に優位性が付与されているのであれば、まずそれを攻略する。すなわち、現実世界との境界を叩き割るのが手っ取り早い。

 二千条はこの異界から逃れた者はいないと言った。しかし、破ることができないとは言っていない。


 あわてて二千条もブレーキをかけるが、制動距離は開くばかり。すでに妨害できる間合いではない。

 無限に続くアーチの中から僅かなほつれを見つけていた志文は、一見すると何もない空間へと拳を突き入れた。

 光に亀裂が走り、ガラス片のように砕け散る。

 剥がれ落ちる世界のメッキから露わになった景観は――――薄暗い寺の軒下であった。


「……異界の外に更なる異界を用意しているなんて、まるで重箱ね」

「中々の敏さやなぁ。千本鳥居せんぼんとりい逢神暮おうがみがくれを破ったんはあんたはんが三人目どす」


 二千条と志文はそれぞれ軒下の両端に配置されている。

 柱間の数は三十三、そして無数に並び立つ千手観音。どうやらここは三十三間堂として知られる蓮華王院本堂のようだ。

 

「自由時間では回りきれないと思っていたところよ。丁度いいわ」

「ほんなら、異界の京都デスツアーといきましょか」


 二千条がやおら手を掲げると、そこかしこから夥しいほどの足音が鳴りだす。

 安置されているはずの千手観音、総数一千一体が自律し動き出したのだ。


「〝三十三間・武髄曼陀羅ぶずいのまんだら〟……それぞれ三十三の奥義を修めはった観音さまが千と一。つまりは三万三千三十三の武術の粋。あんたはんと同門の観音さまもおらっしゃるやろなぁ」

「術を弄して待つのは嫌い、と言ってなかったかしら」

「そやから――――全力で潰しにいかせて貰います」


 観音が千者千様に構えをとる。絶望的なまでの威圧感が迫る。だが志文は毛ほども身じろぎしない。むしろ彼女から放たれる怒気の圧力は、観音たちを呑むほどだった。

 そして本心では怒り狂いながらも、冷静さを欠くことはない。戦いの中から、二千条もまた同種の感情をこちらに向けているらしい事を密かに悟っていた。


 二人はどこか似通っている。憤怒。その奥の冷徹さ。そして焦燥と自責まで。槍から伝う感情が我がことのように共鳴する。

 もしかするとあちらも気付きはじめているのかもしれない。何かがおかしい、と。




 京都タワー展望台。市内の街並みを一望するこの場所にひとり残った大鳳は、右手に携帯を、左手には仰々しい図柄の札を持ち、床に置いた地図とにらめっこしていた。

 各地に放った式神を中継機として、街全体の霊氣の流れを監視しているのだ。


「ぬははははははは! 京都のすべてが! 手に取るように! わかるぞぉーー!!」

『で、実際どうなのニャ?』


 碁盤の目に例えられる通り、京都市の街並みは他に類を見ないほど整然に構築されている。

 あるいは澄んだ湖畔。そこに異常な淀みや波紋があれば、ある程度の腕を持つ妖術使いには筒抜けといえよう。

 そして大鳳が察知した異常は二通りあった。


「異なる次元との狭間に莫大な揺らぎがあーる! しかしこれは我々の手では干渉しきれないのだな! 決して皆の力が足りぬという意味でなく!」

『あー……要は違う次元でなんか派手なことが起きてるってェな具合か?』

『おおかた、大留志文が無双してるあたりなのです。東原さんも一緒と考えるべきなのですか』

「否! 東原は何者かに運ばれているみたいだぞぅ!! 紛れもない誘拐であるな!!」


 整然たる碁盤を跨ぎ、無視して急行する謎の存在。監視網のなかでも一際目立つその〝無秩序〟に東原が連れられていると気付くのに、そう時間はかからなかった。

 志文と東原が分断されていると知るや、携帯越しの仲間達の声音はいっそう緊張を濃くする。


『フガーーッ!! 今は何処にいるニャ!?』

「ぬ、ぬぬぬ……北? のほう……に向かっておるぞぉ!」

『道行きをナビゲートして欲しいのです』

「う、うむ! 馮河ひょうがは次の角を左だぞぅ!」

『アタシはどこ行きゃいいんだよォーッ!?』

獅王しおうはそこを真っ直ぐ行って三つ目の角を右だぞぅ! あ違う! すまああーーぬ!! 四つ目であるな!!」

『僕は!?』

『どっちニャ!?』

「あ、あぁぁあ!! ど、どどど!!」


 事ここに至って、整いすぎた京の街並みが仇となった。

 直線的な通りが多いために、指示が煩雑にならざるを得ず、散らばった複数人を同時にナビゲートするのは困難を極める。まして土地勘などあるはずもない観光客なら尚更、地図上の情報のみでは捌ききれない。

 加えて、指示するのがよりによって落ち着きのない大鳳だ。


 焦る皆の声が互いに被り合い、余計に混乱を招く。

 悪循環を纏め直す余裕もなく一人あたふたする大鳳。すっかり目を回した彼女の背後へ、聞き覚えのある声が投げ掛けられたのは、その時だった。


「んん……? もしかして大鳳先輩っすか?」




 千一体観音との攻防の最中、さらなる境界を砕いた志文は、今度は京都市中心の市街地を飛んでいた。

 これまでの異界と違って、街では一般市民たちが素知らぬ顔で闊歩している。が、空中戦を繰り広げる千手観音の群れとVMAXと女子高生に気付く様子はない。

 どうやら限りなく現世うつしよに肉薄してはいるようだ。


「ほんに粗見つけるんが達者どすなぁ」

「なら、何もかも真正面から力尽くで捩じ伏せてあげるべきだったかしら」

「減らず口も達者どすな」


 口先では挑発の応酬を続けてはいるものの、二千条の精神的余裕はもはや風前の灯だった。

 すでに千一体観音のうち五百体は撃破され、この間も頭数を減らされ続けている。

 二千条を強化する作用もここまで現世に近付けば薄れてくる。反して志文は一打ごとに調子を取り戻していく。


 何よりも目を見張ったのは観音たちとの戦い方。四方八方から襲い来る古今の奥義を、それぞれ全く同じ技で打ち返している。

 ある観音がカワセミに擬した一撃必中の鋭い刺突を試みようものなら、それを上回る速度と威力で正面衝突し、打ち破る。

 または小舟を揺らす荒波のように変幻自在の身のこなしで絶えず攻め続ける観音に対しても、鏡写しの完璧な模倣で返し、純粋な技の冴えのみで圧倒する。


 ――と、そこまで考察したところで二千条はかぶりを振った。


(あれは模倣やあらへん。すべての奥義を知っ……や、既に修めとる言うんか……?)


 観音たちを使役しているのは二千条だが、だからといって彼女に千もの武術の心得があるわけではない。

 京都という街そのものに刻まれた歴史から、かつて在った武術の記憶を投影、借用しているのだ。いわば巨大なデータベースとリンクしているだけ。

 それに対して志文はどう見ても、実際に体得した技として自分のものにしている。


 志文のる奥義こそが真であり、二千条こそが贋なのだから、真っ向から捩じ伏せられるのも必然である。


「ほな、奥の手どす……!」


 意を決した二千条の号令に従い、観音たちが一斉に集結、変身する。瞬く間に志文の前に、四百余の二千条しぐれが姿を現した。

 志文は不可解に思った。この期に及んで撹乱に意味があるなど、二千条は間違っても考えまい。そこまで勘の鈍い相手であるはずがない。

 いったい何を企む――――一瞬、刹那の思考が孕む僅かな空白。

 それこそが二千条の狙いだった。


 残る全観音が同時に、志文を圧殺せんとなだれ込む。このうち先頭一体の頭をもぎ取り、強烈な発勁によって射出。即席のレールガンと化した首が観音たちをまとめて焼き払い、視界が一気に開ける。


 その先に待ち受けていたのは――――京都タワーを根こそぎ引き抜く騎兵の姿であった。

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