第10話・上 京は神秘の都である


 清水の舞台から眺める京都は、存外ふつうな山と街並みだった。

 そして清水寺そのものも、老若男女から外国人まで様々な観光客でごった返していて、荘厳な趣などさっぱりない。観光地というのは得てしてそういうものである。


「なんかイメージと違うニャ」

「孤高を失った美とは即ち俗世の娯楽さ。それはそれで尊いものだけどね」

「ぬはははは、我にはちと難しい話だな! ぬははははは!」

「あ、あまりディスるのはよくないですよ……お寺ですし……!」


 2年A組の生徒はカメラを手に、思い思いの画角から思い出を切り取る。

 修学旅行一日目、京都観光といえば外せないスポット・清水寺。その〝まあこんなもんか〟感は、普段から動物園の如く騒乱している彼女らを良い具合にまったりさせる程には、〝まあこんなもんか〟であった。

 やがてB組の甲斐かいやD組の獅王しおうも合流してくる。


「A組の皆はどうしたんだ? 妙にテンションが低いけど」

「期待してたのとなんか違うニャ。って話をしてたニャ」

「わかってねーなッ! 清水の舞台ってのはよォ~……〝覚悟きあい〟を試すための場所なんだよなァ~~!」


 おもむろに獅王が柵を乗り越え、舞台から飛び降りる。一同の前から彼女の姿が消えて二秒ほど後、下方からどすんと重々しい着地音。この程度の高さなら確かめるまでもなく無事だろう。

 これに荒くれ者どもが追随しないわけもなく。


「それを忘れてたニャ! 高い所は得意だぞー!」

「あっそれ美しい! 美は僕の専売特許だよ!!」

「ふーっはっはっはっは! 下にいる人に気をつけるのだぞぅ!」

「こんなこともあろうかとパラシュート持ってきた!」


 寅丸とらまるたちのみならず、触発された境鴻きどきの2年生たちが次々に清水の舞台から飛び降りる。あまつさえ落下しながら壮絶な空中戦を始める始末だ。

 東原ひがしばらはもう青ざめた顔で見送るしかない。その隣には呆れて腕を組む志文。

「……もう少し風情を汲み取ろうとしても良いと思います……」

「いつか夜間のライトアップも見てみたいものね」


 案の定、飛び降りた生徒たちは教師陣からこっぴどく説教された。




 次の観光地へ向かうバスの中から、紅葉に染まる山々が見える。それを横目に抹茶を啜る志文と東原。揺れる車内で茶を点てるなど朝飯前だ。

 バスの席の割り振りは、志文の操作が入っては本末転倒なことに気付いた彼らにより、ごく普通のくじ引きで決定された。その末、またしても東原が志文の隣を勝ち取るという数奇な結果と相成ったのだが。

 いつにない志文との距離感に、東原はやや緊張している。


「縮こまらくていいのよ。この席、意外とゆったりしてるから」

「す、すみません……。あ、美味しかったです。ようやく京都って感じがしました」

「それは良かった」


 志文は慣れた手つきで道具を拭き取り、片付けていく。続いて旅行の日程表へ目を落とす。

 主だった観光地は今日で回りきり、明日は自由行動の時間が長めに取られている。珍しく志文の予定は空いていた。


「明日の自由時間、東原さんはどうするの?」

「えっと……伏見稲荷大社とか、気になります」

「気が合うわね。私も一緒に行っていいかしら」

「い、良いんですか!?」

「ええ。東原さんが構わないのであれば」

「そんな、こちらこそ、なんというか、よろしくお願いします!」


 紅潮した顔を隠すように、しばらく頭を下げたままでいる。東原のこういった反応を、志文は少なからず好ましく思っていた。

 A組生徒の多くは直情的で活発。賑やかなのも決して悪いわけではないが、東原の隣のほうが心安らかでいれるというもの。

 照れ隠しのつもりだろうか、東原は唐突に今日撮った写真を披露し始める。すると前後の席にいた寅丸や大鳳、亀梨らも身を乗り出して乱入してくる。


「金閣寺だニャ! 真っキンキンで目が痛かったニャ!」

「わはははは!! 通常の五倍厚い金箔を二十万枚使っているらしいぞぅ! 調べてきた!!!」

「さすが大鳳さん、下調べが入念ですね」

「フッ。華美な金閣も良いけど、粛然とした銀閣もまた美、だと僕は思うよ」

「そういえば清水寺の土産屋でアイドルの画質粗めな下敷きを買ったぞぅ! きっと京都出身アイドルなのであろうな!」

「あ……たぶんそれ、ちょっと悪質な土産屋さんです」

「嵐山の食堂のメシは美味しかったニャ」


 あっという間に会話の輪は広がり、しまいにはバス全体を巻き込んで記念写真をメールで送り合う始末。相変わらずA組は賑やかなことこの上ない。

 一歩退いて微笑ましく見守る志文は、ふと二条城が近付いてきた頃合いだろうかと思い、窓へ視線をやる。

 その時だった。隣の車線を走る奇妙なライダーを目にしたのは。


「…………京都にも変わった人がいるものね」


 重々しい桃色の着物をはためかせ、舞妓の顔を模したフルフェイスを被る女性。搭乗しているバイクは、両サイドに伸びるダクトが印象的な、重厚なフォルムのアメリカンタイプ。騒がしいバス内にまでも爆ぜるようなエンジン音が届いている。

 そんな力強い大型バイクに対しても全く見劣りしない、乗り手の見事なスタイルは否が応にも目を惹く。

 オートバイの知識が全くない志文でも、相当に高価な、そして乗り手を選ぶ車種であろうことは分かる。


「わぁ、VMAXですか!? すごい……かっこいいです……!」

「東原さん、バイクがお好きなの?」

「は、はい。特にVMAXは映画で見てから惚れ込んじゃいまして! 私には一生縁がないと思いますけど……!」


 普段の東原からは想像もできない趣味だった。誰しも意外な一面を持っているものだな、と勝手に納得して再び窓へ目をやると、すでにライダーはバスを追い抜いてしまっていた。

 堂々たる後ろ姿を見送りながら、志文はほんの一瞬だけ胸騒ぎを覚える。隣同士の車線に並んだあの瞬間、メット越しに目が合ったような気がした。

 たんに目立つ相手だから意識しすぎただけと、そう切って捨てるのは容易い。しかしそれにしては異常なほどの敵意を感じたのもまた事実である。




 翌日、自由行動の時間。旅館を発った志文と東原は、予定通り伏見稲荷大社の前でタクシーを降りる。

 ほぼ同じタイミングで獅王嶽しおうたけり馮河ひょうが流々るるペアも降りていた。


「そっちの二人も千本鳥居を?」

「おう。馮河のヤツが行ってみたいって言うんでなァ~」

「このシーズンに訪れるべき場所といえばここなのです。写真撮りまくりなのです」


 参拝を済ませた後、四人揃って坂を登りだす。無数の鳥居が列を成して立ち並ぶ光景は噂に違わず、いや想像以上に圧巻であった。

 紅葉と相まって視界の殆どが朱色に覆われ、いよいよ非日常的な趣が強くなる。無限に続くかと思わせる鳥居のトンネルはさながら異界への入口のようだ。

 先陣を切ってカメラのシャッターを乱打する馮河に続き、一メートル進むのに五百歩ほど多く足踏みして鍛錬を欠かさない獅王、静かに見物する志文、最後尾で同様にシャッターを乱打する東原。各人ともそれぞれに満喫している。


「すごい……ちょっと怖いくらい幻想的ですね」

「パワースポットみてェ~なモンなだろーが、土地全体からすんげーエネルギーを感じるぜ」

「わかります。肌にヒリヒリ来る感じ、みたいな……」


 生粋の武闘派である獅王はともかくとして、全くの素人である東原までもが微かに神気のようなものを感知している。彼女らの発言を受けて、志文と馮河はふいに浮上した違和感を禁じ得ずにいた。

 神社とはその名の通り神を祀る社。とりわけ全国の稲荷神社の総本営たるこの伏見稲荷ともなれば、あらたかなる霊験も道理であろう。

 そこに人の氣が混在していなければ。


馮河ひょうがさんも気付いているようね」

「これほどの害意……気付くなと言うほうが無理なのです」

「何、〝害意〟ィ!? それを早く言えってのよォ――!!」

「え、え、ど、どうしたんですか!?」


 事態が掴めず混乱する東原をよそに全員身構える。

 害意を孕んだ氣はいっそう濃く、近くなってくる。境鴻きどき高校では味わったこともない規格外のプレッシャーだ。それも元々の土地に宿る神気と相まって指向が読めない。

 そんな中でいよいよ接敵が近いといち早く悟った志文は、前方を獅王と馮河に任せ、東原を守ろうと後方に向き直る。――だがそこに東原の姿はなかった。


「東原さん……!?」


 志文の視界の端に、ちらりと黒い影。あれこそが東原を攫った張本人と見て間違いないだろう。

 むせかえるほどの圧力に気をとられ、完全に見落としていた。氣を放つ者と隠密に長けた者。それぞれ別の敵だ。


「何なのです! 一体どうしたのです!?」

「おい馮河ァ……振り返ってみろよッ……!!」


 一向に返答を寄越さない志文に痺れを切らした馮河が振り返る。その視線の先に、東原と志文の姿はない。

 戦えない東原のみならずあの志文まで失踪するなど、そんな状況が予想できるはずもなく。

 気付いた時にはすっかり氣も消え失せ、た残された二人に焼けるような焦燥感のみが募る。




「まさに異界への入り口だった、ということね」


 一歩たりと身動きをしていないにも関わらず、志文の背後にはもう獅王と馮河の姿はない。

 立ち並ぶ鳥居の一つ一つがやにわに蠢きだし、千本鳥居の全体が巨大な蛇のようにゆらめく。一目瞭然だが、既にここは現世うつしよではないらしい。

 何らかの術によって開かれた結界、というよりは意図的に歪め、切り取られた異界の一部といったところか。

 やがてどこからか鈴の音が聞こえてくる。加えて重々しいエンジン音。

 現れた人物は果たして、昨日見かけた舞妓のメットのライダーであった。


「うちの〝千本鳥居せんぼんとりい逢神暮おうがみがくれ〟から逃れた方はおりまへん」

「直接お出ましとは、私も舐められたものね」

「術ぅ弄して弱るんを待つとか、そないなのは好きまへん。手ずからもてなすんが流儀やさかい」

「あらそう。なら私も相応の礼で返すとするわ」


 志文が横一文字に手刀を切る。すかさず空気が裂け、破裂し、不可視の刃となって舞妓のVMAXへと迫る。舞妓も同様に空を切る手刀によってこれを呆気なく打ち払った。

 ほんの一手に過ぎないがこの時、両者は相手が並々ならぬ強者であることを確信した。

 間合いはそのまま、互いに名乗る。


「……境鴻きどき高校2年、大留おおとめ志文しふみ。今は虫の居所が悪いの。早々に片付けさせて貰うわ」

宮絆鳴みやのはんなり高校2年、二千条しぐれ。奇遇どすなぁ、うちも腹の虫が収まらんくてしゃあない」


 次第にふたりの身体が宙に浮きはじめ、鳥居を越えたあたりで止まる。軽功の練度はほぼ同程度、どころか二千条と名乗る少女に至ってはバイクごと滞空している。

 かつてない強敵の予感に志文は内心で密かに昂る。そしてそれ以上に、東原が巻き込まれたことにかつてない憤りを覚えていた。

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