幕間2 椎踏乙女はご立腹である


「サシタル計算事項モナイノニ私ノCPUハ不必要ニ発熱シテイル。マスター、コノ感情ハ一体何ダ」


「それは恐らく苛立ちネ……申し訳ないネ……」


 体育祭後日、クリスティーヌ・芽魁尻めかいじり・クリスティアンネの自宅ラボ。

 振替休日となったこの日、芽魁尻は椎踏しいぶみ乙女おとめのボディパーツ換装作業に努めていた。


「季節外レノ真夏日ニ、体表面ヲ覆ウ装備。放熱不全ナド自明ノ理ダ。アア、CPUの過熱ガ止マラナイ」


「うぅ……本当に悪いと思ってるネ。華々しくディレクションしたかっただけなのネ……」


 椎踏の首筋にケーブルを接続し、記録をもとにパーツの改修案を設計。

 実際に手足や装甲を取り外して改修している間、自力で身動きすることすらままならない椎踏は、退屈を持て余して延々と愚痴を垂れていた。

 生みの親のはずがどういうわけか説教を喰らっている。これほどまでにAIを強化した覚えはないのだが、と少々恐ろしく思う一方で、芽魁尻は内心ときめいてもいた。なにせ自身の最高傑作なのだ、想定を越えてくれるなら率直に喜んでやりたい。


「マスターニ質問スル。人間モ同様ニ、苛立チヲ覚エルト発熱スルノカ」


「そういうこともあるネ。他にも喜びや恋愛や感動なんかも人を熱くするネ。そんな時に人は〝燃える〟って言うネ」


「人間ガ発火スルノカ。ソレヲ想定スルト、ムシロCPUノ熱ガ急ニ下ガル。マスターモ放熱対策ヲ講ジルベキ」


「リアルには燃えないからネ。比喩表現だからネ。ユー、教えてもないのに妙に人間臭い反応するネ……」


 もしかすると今のはアンドロイドなりのジョークというやつだろうか。

 そんな風に邪推して顔を覗き見てみるが、椎踏は相変わらず小難しそうな表情を浮かべている。どうやら本気の疑問だったらしい。


「私ハ格闘アンドロイド。対人戦ニ備エ、人間的思考ノ解析・学習ヲ図リ進化スル。――質問ヲ追加。私ハ何故、強クナラネバナラナイ?」


「決まってるネ。大留志文に勝つためネ。最強の人間に匹敵することは、アンドロイドの戦闘能力として一つの到達点ネ」


「更ニ質問ヲ追加。打倒スベキ標的ト同ジ容姿ニ設計シタノハ何故カ?」


 思いがけない問いかけに芽魁尻は口を噤む。指摘されてみると変な話だった。確かに、大留志文と同じ顔に造る理由などない。

 そうしてすっかり考え込んでしまった彼女の様子を観察して、椎踏は淡々と解析結果を口に出す。


「発汗ヲ伴ウ体温上昇、加エテ視線ガ安定シテイナイ。マスターハ動揺シテイル。コレハ先述シタ〝恋愛〟ニヨッテ〝燃エル〟トイウ状態ナノカ」


「ち、違うネ! 絶対違うネ! 大留志文なんか嫌いネ! いっつもすまし顔で余裕ぶってて、皆に優しい八方ビューティーな感じがいけ好かないネ! アイヘイト大留志文ネ!」


「不自然ニ言葉数ガ増エ、早口ニナッテイル。体温モ更ニ上昇。図星ダト推測サレル」


「違うったら違うネ! もう、しばらくユーは黙ってるネ! マスター命令ネ!」


 強制的な指示を受け、止むを得ず沈黙。芽魁尻が顔を真っ赤にして作業を再開する。しかしその間も椎踏の思考は続いていた。

 マスター・芽魁尻が大留志文に潜在的な好意を懐いていることは間違いない。否定しようとする態度は、より表層的な――おそらくプライドや意地といった感情のためだろう。

 そんな彼女が志文を模した造形について返答に窮した。それは何故か。


(私ハマスターノ恋愛感情、憧憬ノ発露ニヨル産物……ナノカ)


 未だ人間の感情を完璧には理解しきっていない椎踏でも、恋愛感情とはどういうものか、およその概要は把握していた。

 恋愛感情を持つ人間は、対象を身近に感じたがる傾向にあるという。

 すなわち自分は大留志文の代替物に過ぎない、と考えてしまうのも無理はない。


(私ハ人ナラザル機械。大留志文ナラザル紛イ物。私ヲ私タラシメル意義ハ、私自身ニナイ……)


 起動当初、椎踏は何よりも初めに「私は何者だ」と呟いた。

 Ringonetの残滓を宿し尋常ならざる性能を獲得した彼女のAIは、いつしか自分自身の存在意義を疑うようになっていた。

 大留志文を模して椎踏は造られた。だが大留志文がこの世に在る限り、椎踏は永遠に偽物のまま。

 ならばどうやって自己を自己たらしめるか。解答の算出は容易であった。


(大留志文ヲ完全抹消シナケレバ……私ハ私デ在レナイ)

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