第6話 墓参りは欠かせぬ行事である


「実は……大留さんに手伝って頂きたいことが……あるんです」


 夏休みの課題を全て片付けた大留志文おおとめしふみのもとに、一通の電話がかかってきた。

 東原聡未ひがしばらさとみの震える声。夏休み前と比べてもより酷い消耗が容易に聴いて取れた。

 何事かと焦燥を懐いて東原宅に駆けつけたものの、いざ頼み事を聞いてみると面食らう。


「イベントで同人誌を売るんですけど……その、売り子さんをやって欲しいんです……」


 なんでも、東京の大規模な同人誌即売会に参加するのだが、事前に売り子役を頼んでいた子が夏風邪でドタキャンしたらしい。

 そこで夏風邪などとは確実に無縁である志文に白羽の矢が立ったのだ。なんたって最強である。病原菌のほうが逃げ出す。


「頼み事自体は構わないけれど、私、漫画についてはまるで無知よ。良いの?」


「大丈夫です。むしろ大留さんくらい綺麗な方がいないと……私の漫画……注目されませんし……」


 そう言って薄い漫画冊子を差し出す東原。表紙には、赤い髪の少女二人が今にも唇を重ねんばかりの距離で見つめ合っている様が描かれている。

 タイトルはずばり〝上腕二頭筋×大腿四頭筋 擬人化百合〟。志文には何が何やらさっぱりだ。

 続いて、黒髪の少女が白髪交じりの少女を押し倒している表紙。タイトルは〝ドニー×サモハン百合〟。輪をかけて意味が分からない。


「とりあえずコスプレして私のブースに居て下さるだけで構いませんから!」




 会場近辺のホテルに前乗りすることにした二人は、それぞれ宿泊用・展示物用のキャリーバッグを引いて電車に乗り込む。

 蝉の鳴き声が飛び交う灼熱地獄から一転、強めの冷房が効いた静かな車内に入る。細身な東原には少し寒いほどだ。

 東原がきゅっと肩を縮めたのを見逃さず、志文はすかさずカーディガンをかけてやる。

 青白い頬がほんのり赤く染まった。


「あっ……ありがとうございます……大留さんは大丈夫ですか?」


「ええ。それは東原さんの為に用意したものだから。こっちこそ、本当に寄り道していって大丈夫かしら?」


「それはもう、はいっ。お付き合い致します……!」


「そんなに気負う必要はないわ。何の変哲もない墓地よ」


 電車で現地へ向かうことが決まった時、路線図を見た志文からついでの寄り道を頼まれた。時間に余裕のある東原に断る理由もなく、墓の立地も常識的な徒歩圏内だったため、これを快諾した。

 七駅ほどで目的地に到着。降りた先は田園広がる長閑のどかな田舎だった。

 そこからあぜ道を通り、ちょっとした林道を抜け、五分ほどで墓地が見えてくる。志文が足を止めたのは〝名無老師之墓〟と彫られた墓石の前だった。


「ななしろうし……?」


「十年前に亡くなった私の師匠よ。名前を捨てたから名無老師ななしのろうしと呼べ、とよく仰っていたわ。まあ、七百年も生きれば自分の名前なんて忘れるでしょうね」


 ぼんやりと鎌倉時代くらいだろうか、とまで考えたあたりで東原の思考は止まった。大留志文の師ともなればさして不思議でもない。

 志文が墓石と水鉢の拭き掃除を務め、東原は周りを竹箒で掃く。丁寧に隅々まで磨く志文を横目に、東原も念入りに掃除した。

 最後に線香を添えるとたっぷり五分ほどは拝み、ようやく志文が口を開く。


「ごめんなさいね。ちょっと長くなってしまったわ」


「いえ……むしろ自分の所の墓参りでもこれくらいしなきゃ、って思いました」


「ご先祖様を正しく拝んでるなら時間は関係ないのよ。私は師匠の教えを復唱して、きちんと守ってますよ、って伝えただけ」


「私なんかがご一緒して良かったんですか?」


「師匠なら歓迎して下さるに違いないわ。生前、『拳を握り、壊すばかりではいかん。創る者の手に習え』とよく仰っていたの。あなたは創る人だから……ね」


 微笑とともに東原の頭を優しく撫でる。

 東原は嬉しく思う反面、普段にない行動に志文の寂しげな胸中を垣間見たようで、複雑な気持ちだった。




 ――その時である。


「君が……君が大留志文なのか!?」


 突如として第三の声が上がり、林道からひとりの少女が飛び出した。

 短く切り揃えた髪と精悍な顔立ち、額にはまだ新しい浅い傷。ぼろぼろの軍服に身を包む姿は、田舎の墓地に、なにより同年代の少女の出で立ちとして似つかわしくない。


「ボクの名前はるりす……甲斐かい瑠璃栖るりす。突然のことで驚くかもしれないが聞いてほしい。ボクは十年後の未来から君を救いに来たんだ!」


「……大留さん……パトカー呼びますか? 救急車呼びますか?」


「とにかく落ち着いてくれ!」


 むしろこれ以上ないほどに冷静だ。七百年生きた師匠の話が出たかと思えば、今度は未来ときた。お人よしの東原でも流石にこれは正気を疑う。

 しかし志文は黙って手で制し、大人しく瑠璃栖なる狂人の言葉に耳を傾けている。


「近いうちに大企業の試験型ソーシャルAI〝Ringonet〟が暴走して人類を支配する。大留志文というリーダーの登場で人類軍は逆転するんだが、奴ら、最後に殺人アンドロイド部隊をこの時代に送り付けてきたんだ!」


「なるほど。それで?」


「君が強くなるほどに未来でパラドクスが起き〝Ringonet〟は不利になる! だから君を抹殺して全部なかったことにする気なんだ! 頼む、ボクと一緒に逃げてくれ! じき追いつかれる!」


 さらっと志文が時空の連続性を越えている件についてはスルーなのか、と東原が呆れていると、どこからか整然たる無数の足音が聞こえてくる。

 まさかと思ったのも束の間、瑠璃栖の来た林道から数十の人影。人影はさらに百、数百と増え続けている。下手をすると千近くはいるかもしれない。

 現れた連中はどれも漆黒の金属フレームで全身を構成された人型機械――アンドロイドだった。


「……あ、あわわわ…………何かのドッキリですか……!?」


「もう来たのか……仕方ない、ここはボクが足止めする! 君らは早く逃げてくれ!」


 勇ましく告げるなり、瑠璃栖はアンドロイド部隊の許へと走り出す。残り三メートルほどの地点からふっと姿が消え、気がつくと既にアンドロイドを殴りつけていた。縮地だ。

 体重の乗った重々しい突きにアンドロイドの胸部がへこみ、続けざまの手刀はさながら本物の刀剣の如く鉄腕を切り落とす。

 両翼から挟み込むかたちで別の個体が迫るも、抜かりなく片方の頭を掴んで支えにし、間近の樹を伝ってもう一方の頭を蹴り飛ばす。回転の軸にされた方の頭は首筋がひしゃげ、すぐに捩じ切られた。

 想像以上に瑠璃栖は武芸に長けているようだった。

 だが相手はとにかく数が多く、しかも二、三部位が損壊した程度では動きを止めない。次第に瑠璃栖は囲まれ、劣勢になり始める。


「くっ……こうなったら……!」


 表情に苦渋の決意を滲ませながら、瑠璃栖がいったん距離を取る。仁王立ちのうえ合掌し、精神を統一している様子だ。

 やがて微風が吹き、瑠璃栖の手へと吸い込まれて徐々に風圧を増していく。地面にはばりばりと小さな稲妻がのたうち、近付く木の葉を瞬く間に焼き払う。

 内力の高まりが素人の東原にさえも見て取れた。そして不穏な予感をさせる。


「大留さ…………あれっ!?」


 何が何だか分からないが、とにかくあれだけは止めなければいけない。そう直感して呼びかけた時、もう東原の隣に志文の姿はない。

 瑠璃栖のほうへ視線を翻すと、合わせた掌を捻り強引に技を中断させていた。


「いたたたた!?」


「その技は淀慈でんじ及漿きゅうしょう……いえ、靭籟じんらい及漿きゅうしょうね。でも、それで自爆しようなんて考えは褒められたものじゃないわ」


 手を放されへたり込む瑠璃栖をよそに、志文はつかつかとアンドロイド部隊のほうへ進む。

 見守ることしかできない瑠璃栖はどっと冷や汗を流しながら叫ぶ。


「やめろ! 君がやられたら人類はおしまいだ! ボクはどうなってもいい、早く逃げて!」


「その技、誰から教わったの?」


「は? えーっと……師匠は大留志文の弟子で、ボクは孫弟子にあたるはずだが」


「つまり私に任せなさいってことよ」


 志文は地面を殴りつけ、その余波のみで襲いかかる数体のアンドロイドを粉々にする。

 亀裂を入れられた大地が震動の後小さく隆起する。志文の手が素早く不可思議な印を空に描くと、土は飛び散り、中から一本の薙刀が飛び出した。

 宇宙の深淵に似た漆黒の柄。煌々と散る彗星の如き紺碧の刃。

 銘は〝泥黎ないり縣守謄龍屠かたすとうろふ〟と彫られている。


「こ、こんな所に……どうして薙刀が……!?」


「素手で千人も相手するのは面倒だから、ちょっと冥界から引っ張ってみたわ。次の電車に遅れたら困るのでね」


 あっけらかんと言い放つや否や、手近な一体のアンドロイドを叩き斬る。すると切り口から闇色の粒子が溢れ出し、全身を蝕んでものの数秒の内にアンドロイドを完全消滅させた。

 それだけではない。溢れた闇色の粒子は空気中で爆発的に膨らみ、やがて幾万もの形なき刀へと変質。一瞬で数千のアンドロイド軍を貫き、新たにおびただしい量の闇色の粒子を生む。

 風が渦を巻いて粒子を攫い、刀身へと還ってゆく。闇を取り込んで不吉な輝きを放った薙刀は、ひとりでにまた地中へと潜っていった。

 あっという間に不死の機械兵団を殲滅した志文が溜息を吐く。


「よりによって師匠の墓前で破壊の刃を振るうなんて……皮肉だわ」


 目を剥き顎を外して顛末を見守った東原・瑠璃栖、両名とも絶句。それを尻目に志文はさっさと荷物を纏め、出立の準備完了を示した。


瑠璃栖るりす、といったかしら。はるばる遠くまで来てくれたことに感謝するわ。でも安心なさい。近いうちにAIの暴走とやらも、ちゃちゃっと片付けるから」


 唖然のあまり遂には吹き出してしまう。瑠璃栖の眼差しは恍惚として志文を見つめていた。

 ほどなくして瑠璃栖の手足が徐々に透け、実体を失い始める。


「ははは。どうやら君が強すぎるせいで、未来が変わったみたいだ。逢えて嬉しかったよ……ボクの救世主」


 タイムパラドクスにより〝現代に訪れる〟という因果を失った『今ここにいる瑠璃栖』は、存在の根本から消え失せる。歴史に介入しにやって来た以上は避けられない結末だが、それでも表情には心からの満足が窺えた。

 消滅を見届けた後、静かに二人が歩き出す。次の電車の到着は程近い。少々急がねば。

 あぜ道を小走りで抜け、駅に辿り着くと、息を整える東原がふいに笑う。


「大留さんの手も、『未来』を創る手……なんですね」


「買い被りすぎよ」


 苦笑で返しつつ電車に乗り込む。

 ふたりが腰を下ろした席の向かいでは、ついさっき見たような顔の幼い少女が眠り呆けていた。

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