第5話 大留志文は双子である?


 期末試験も終わり、夏休みを目前にした境鴻きどき高校では今、大留志文おおとめしふみにまつわる噂が大論争を呼んでいた。


〝大留志文、二人いる説〟


 噂の概要は至ってシンプル。

 下駄箱での告白発勁騒動、購買での乱入縮地騒動、鬼抹刺剣きまつしけん暗器会――それら連日のトピックとほぼ同時刻、全く異なる地点からのテレビ中継に、大留志文の姿が映り込んでいたのだという。

 ファンクラブ会員同士の情報交換によって発覚したこの疑惑は、瞬く間に校内全域に広まった。

 ちなみにこの前日の中継内容は清水寺からの俯瞰ショット。観光客に紛れて志文が清水の舞台に立っていたらしい。

 目撃情報が一致しない。その時間帯は学校で告白の対応に追われていたはず。

 校内新聞にもでかでかと特集され、肯定派の記者による挑発ともとれる筆致が議論に一層の火を点けた。


 いつしか議論は物理的な闘争となり、大留志文ファンクラブ発足以来の内乱騒動へと発展。

 事態を重く見たファンクラブ運営委員会は、真偽を明らかにするため、中立の立場から一人の取材者を選んだ。


「大留志文のことなのです。双子、瞬間移動、分身、そっくりさん、見間違い……何にせよもはや驚きはしないのです」


 そう冷淡に言い放つは鉄扇の使い手・馮河ひょうが流々るる

 敗北からファンクラブ加入という経歴を経た生徒のなかでも、とりわけ彼女は一歩引いた立場を貫いていた。曰くそれこそが彼女なりの敬意の表し方らしい。

 さりとて学校全体を巻き込んでの騒動ともなれば静観しておくわけにもいくまい。

 誰よりも早く登校して校門の前に立ち、志文が表れるのを待った。




 徐々に空が明るくなり、門を潜る生徒も増えてきた七時半ごろ。

 黄色い声援が纏まって近付いてきた。ほどなく女子に囲まれながら登校する志文の姿が見える。


「お久しぶりなのです、大留志文。そろそろ件の噂に解答を頂こうと思うのです」


「ウーワサ……。ナニカシ、ラー。ミニオボエ、ナイ、ワー」


 立ちはだかる流々の問いに対して、志文がいつになくぎこちない語調で答える。

 しかし面持ちは平静にして清涼、いつも通りの美貌を保っている。一ミリたりとも変調を来すことなく。


「知らないとは言わせないのです。いま学校が貴女の二人いる疑惑のために大混乱しているのです」


「ソーレハ、タイヘン、ネー。シンソーハ、ヤミ、ノナカー」


「……少し様子がおかしいのです」


 二人の会話を聞いていた取り巻きもうんうんと頷く。

 渦中の本人がこれだけの大事を知らぬ道理がない。態度からしても明らかに異常が見える。大留志文という女は、ここまで嘘が下手ではなかったはずだ。

 内心苛立ち始めていたこともあって、とうとう流々は実力行使を決意した。


 予めはなっておいた鉄扇を密かに志文の背後へ回り込ませ、迷わず頭部を襲わせる。

 大木を瞬く間に伐採し、雷光すらも真っ二つに裂くほどの鋭利な一閃。相手が普段通りの志文ならば、涼しい顔をして避けるだろう。

 結果として、やはり鉄扇は後頭部にヒットしなかった。腕の一振りで叩き払われ、が響き渡る。


「篭手……ではないですね。反響音から推察するに、中身は人の筋肉じゃないのです。何者なのですか!」


 いよいよ不信が極に達し、その場の全員が怪訝の眼差しを向ける。

 志文は答えない。代わって名乗りを上げたのは、彼女を取り囲んでいた女子の内の一人だった。


「ウォーウ……存外早くバレたネ。イグザクトリー、これは大留志文ではないネ」


 白衣に身を包んだ、流々といい勝負の小柄な少女。やたら大きい眼鏡の奥には実に卑屈そうな眼差し。

 何人かの生徒が小さく声を上げる。知る人ぞ知る影の人、その名を――。


「ロボ研部長、クリスティーヌ・芽魁尻めかいじり・クリスティアンネ! そしてこれが自身作〝オートメタ・シフミロイド〟ネ!」


 口癖のために名前がクリスティアンなのかクリスティアンネなのか判然としないことで知られる、校内最凶のマッドサイエンティストだ。

 彼女は数少ない大留志文アンチの代表格で、打倒志文を掲げて日夜、秘密兵器の開発に取り組んでいる。

 学校中に勝手に監視カメラを設置して志文を観察していた時は、教頭先生に物凄く叱られた。


「性能テストがてら、ジャパン各地で道場破りをさせてたのが仇になったネ!」


「なるほど、スッキリしたのです。それで悪評を捏造するのが狙いだったのですね!」


「えっ……そこまでは考えてなかったネ……」


「姑息なその手口……断じて許せないのです。破壊するのです!」


 芽魁尻めかいじりの弁解などには聞く耳すら持たず、激昂した流々が新たに鉄扇を放つ。

 あれから更に内功を鍛え上げた流々は、平時でも六つの鉄扇を操ることが可能になっていた。しかも操作の精度も各段に向上している。

 大留志文を模したロボットめがけ、蜂の群れを思わせる滑らかな挙動で鉄扇が迫る。


「と、とにかく! ミーの開発したシフミロイドはそうイージーに倒せるものじゃないネ!」


「キョウイカクニン。キドウケイサン、ジョウジ、コウシン。セントーウ、ニ、ハイリマス」


 前後左右、XYZ軸。あらゆる角度から不規則に飛び掛かる鉄扇の斬撃を、シフミロイドは目にも止まらぬ速さで叩き落としていく。

 装甲の堅牢ぶりも去ることながら、衝撃と切断力を削ぐ的確な打ち入れ方は見事なものだ。

 あっという間に五つの鉄扇を排除し、最後の一つを掴み取る。強引に畳み込まれたそれは即座に流々のもとへ投げ返された。

 流々も負けじと内力を研ぎ澄まし、眉間の寸前まできた鉄扇を制止。展開と同時に更に六つに分身させ、今度は敵の下半身を狙う。


「相手が本物ならいざ知らず、偽物などに負けはしないのです!」


 迎撃しようと構えるシフミロイドをよそに、分身は地面へ向かう。目標は先程落とされた鉄扇のほうだ。

 鉄扇が鉄扇を弾き、跳ね返らせ、初撃とは比較にならないほど複雑怪奇な挙動をみせる。

 シフミロイドは頭部を回転するのみで微動だにしない。当然だ。合計十二の鉄扇は球を描いて飛ぶギロチンの嵐。一歩でも動けば八つ裂きになる。


「フゥーン、まさか身動きを封じたつもりネ? ノンノン! この程度ならそれこそイージー、ネ」


 シフミロイドの眼球が、計算終了の合図とばかりに赤く発光。すると残像を生むほどの鋭利な手刀が、鉄扇の一つを砕いた。続いて蹴りで一つ、頂肘で一つ、突きで一つといった具合に次々排除していく。

 シフミロイドには円周率を一秒あたり五千万桁まで計算し得るほどの頭脳が搭載されている。無傷で切り抜ける手段の算出など容易い。

 七、八、九。包囲が薄くなるほどにペースも上がる。遂に十一個目の鉄扇までも砕かれたその直後、しかし仕上げの一手は空振りに終わる。

 残る一つは――――捕捉するより早く、シフミロイドの脇腹へ衝撃が走った。


「流々の取り得は、飛ばすことだけじゃないのです……〝胡蝶白刺こちょうびゃくし〟!!」


 最後の鉄扇を直に手にした流々が打ち込んでいたのだ。

 姿勢はそのままに全身の勁を練り、一点へ集約。畳まれた鉄扇の先から、然る後に爆裂的な衝撃が放出される。

 手応えあり。流々の思惑通り、不意打ちは完璧に決まった。

 シフミロイドの装甲にひびが入り、波及する音も聞こえる。――が、完全破壊までには至らなかった。


「ダメ……ェージジジ、カカカクィ゛ン。タイショ゛シアアァス」


 ぽろぽろと装甲が崩れ落ちるのも構わず、流々の頭めがけて裏拳が繰り出される。大技で消耗したために回避は取れそうにない。

 馮河流々、もはやこれまで。全員がそう思った。

 だが鋼鉄の拳が流々を殴り飛ばすことはなかった。


「……な、何事なので…………はっ!?」


「目覚ましい成長ぶりね。見ていて感心したわ」


 見ると、シフミロイドの拳をシフミロイドが阻んでいる。否、本物の大留志文だ。

 誰もが目を疑った。気がついた時には既にそこに志文が立っていたのだ。


「これ、結構悪くない出来よ。面白い」


 志文が少しだけ興味深そうにシフミロイドを評する。新たな敵を認識した相手の怒涛の連撃を難なく捌きながら。

 ものの数秒にして五十手ほど交わしただろうか。反撃を受けず攻め続けるばかりだったはずなのに、いつの間にかシフミロイドのほうが壁際へと追い込まれていた。


「見覚えのある動き……私の知り合いも何人かコピーされてるみたいね。全国各地を回るのは大変だったでしょう」


 やがて装甲の崩落が激しくなり、シフミロイドの限界が近いことが誰の目にも明らかになる。

 志文は僅かに表情を歪ませ、はじめて鋼鉄の拳を掴み取った。

 刹那、空間にぴりっとした何かが走り、観戦する女子たちの髪を逆立てる。勁を微弱な電流に変え、シフミロイドのシステムをハッキングしたのだ。


「なにも自分を壊すことはないわ……〝淀慈及漿でんじきゅうしょう〟」


 憐れむような志文の一言と同時に、シフミロイドがその場に膝を突く。どうやら電源を落とされたようだ。

 ぼろぼろになったシフミロイドの目元には亀裂が入り、涙を流しているように見えた。


「オーノー……ミーの自身作が……うぐっ……」


 いっぽう開発者たる芽魁尻めかいじりはといえば、子供のように目に涙を溜めている。シフミロイドの出来栄えによほどの自信があったのだろう。

 今にも泣き出しそうな面持ちとは裏腹に、台車を用意する手並みは淀みない。機能停止した重々しい肢体を乗せ、散らばったいくつかの部品を手に取り、すぐに退散する準備が完了した。


「大留志文、覚えておくのネ! 次はもっとアップグレードして絶対やっつけてやるネ!! うわーん!」


 とうとう堪えきれなくなり、嗚咽を隠そうともせず走り去る。その背中を優しい眼差しで見送ったあと、志文は流々に向き直った。

 流々は拗ねたような顔をしている。


「リベンジのために編み出した技……見られてしまったのです。どのみちこの程度ではまだまだ、なのですが」


「武の道に果てはない。進めさえすれば無限に拓ける。あなたとの再戦、楽しみにしているわ」


 志文から差し伸べられた手を取りながら、いつしか流々は不敵な笑みを浮かべていた。


「本当、敵わないのです…………でもいつか越えるのです」

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