第4話 試験前の日々は忙殺である


 期末試験が近い。

 日頃は飛んで跳ねて殴り合ってばかりいる境鴻きどき高の生徒たちも、この時期ばかりは静まり復習に勤しむ。

 そんな中で文武両道の呼び声通り、強さのみならず勉学においても明晰無比な頭脳を持つ大留志文は、聊かも焦りを窺わせない。

 いつも通り授業を受け、いつも通り宿題をこなし、いつも通り挑戦者をいなす。

 これで全教科の学年上位を掻っ攫うのだから、つくづく隙が無い。


 常の武技は想像を絶する修練の積み重ねによって維持されているものだろう、と誰もが考える。しかし成績はどのようにして維持しているのだろうか。

 学内で見かける彼女の勉強風景は、精々が少し真面目な優等生といったところ。暇な時間は談笑もするし、何より数時間置きに申し込まれる決闘に律儀に応えている。

 自宅で綿密に復習する、そんな余暇が果たして彼女にあるのか。


「――っつーワケで大留のよォ~」

「先輩独自の勉強法を!」

「教えて欲しいニャ!」


 そんな疑問の解消と、あわよくば自身の成績向上も目論み、三人の猛者が志文の前に集った。

 獅王しおうたけり仲井掌子なかいしょうこ寅丸とらまる代那しろな

 なるほど志文が出逢ってきた中でも特に勉強が苦手そうな三人だ。

 仲井掌子に至っては一つ下の学年。つまり試験前に師事するにしても筋違いなのだが、これによってあまり利口ではないことが証明された。


「……あのね。あなた達は私に挑みかかっている暇があれば、勉強に充てられるはずでしょう」


 志文は珍しく憮然も露わに面持ちを固くする。全くのド正論だ。


「フガッ! それは完全に盲点だったニャ! もう遅いけどニャ!」

「先輩が〝片膝突かせたら付き合う〟って言うから!」

「アンタがクソ強ぇ~のが悪ィ。自然の成り行きってな具合でよ」


 返ってくる弁解は三者三様に身勝手なものばかり。この時点で説教などするだけ無駄ということが解った。

 早々に観念した志文は、もはや勉強法の指南をせずに済む道はない、と決意する。


「私の家で勉強会を開けと……そう言いたいのかしら」




 放課後、三人を招く志文は学校から遠く離れ、夏を目前にしても白々と輝く高山へと辿り着いた。

 高度数千キロをものの半刻で登りきり、頂きにぽつんと建つ一軒家へと足を踏み入れる。

 中は空っぽの箱のように殺風景で、窓一つ、隙間一つすらない完全なる暗闇。

 部屋という概念がなく、内部は敷地面積とそのまま一体になっている。ガスなし、水道なし、棚も机も寝床も何一つない。これが人の住まう場所なのか。


「貧乏だからもてなしに期待はしないで欲しいわ」


「先輩……本当にこんな所住んでるんすか……」


「アタシのウチのがまだ〝巣〟ってェ感じあるぜ……」


「暗いのはちょっと落ち着くニャ」


 ひとまず入口周りに荷物を置き、導かれるまま三人は暗闇の中央に座り込む。

 来客らが約一名を除いてそわそわしていると、ふっと志文の気配が消え失せる。

 足音も吐息も全く感じ取れない。


「先輩……? どこですか! あれっ! いない!」


「まさかだけどよォ~~! 適当なトコにほっぽって逃げたンじゃねーよなァ~~!?」


「落ち着きなさい。私はちゃんとあなた達を見ているわ」


 どこからともなく志文の声だけが響いてくる。どれだけ感覚を研ぎ澄まそうとも出所は掴めない。

 言われた通り二人ともすぐに平常心を取り戻したが、内心に渦巻く不安は偽れそうになかった。

 大留志文がいったい何を考えているのか。いつにも増して見当がつかない。


 成す術もなくただひたすらに精神を統一していると、突如、フッと微かに風を切る音が聞こえる。

 材質、おそらくは鉄。

 大きさ、腕よりは少々細長い。

 速度、銃弾ほど。

 行先、己の眉間。

 五感から拾い上げた情報を基に想定――投擲された刀剣だ。


 掌子は即座に判断し、手刀を以って打ち払う。

 からんと高い音を立てて床に落とされたそれは、紛れもなく両刃の剣だった。

 刀身には銘とは明らかに異なる妙に長い文章が刻印されている。


〝一六一九年、天体の運行にまつわる法則を発見したドイツの天文学者〟


「………………なんですかコレ」


「ケプラーよ」


「いや、そうじゃなくて!」


 二の句を待たず、第二、第三の剣が射出される。

 今度はそれぞれ獅王と寅丸の眉間が標的。いずれも各人に打ち払われ、再び刀身を検められる。


〝哲学書簡などで知られる十八世紀フランスの哲学者〟

〝一七七六年、コモン・センスなどでアメリカ独立に貢献した哲学者〟


「よ、読んでるだけで頭痛くなるニャ……」


「ヴォルテールとトマス・ペインよ」


「まずこの『状況』がどうなってンのか、っつー説明を求めてんのよォー!」


 三人の絶叫をよそに、剣の射出は止まるどころか数と速度を増してくる。

 ひとつひとつを弾いては読み、答え合わせを聞いてなお頭に疑問符を浮かべ、そうこうする内に次の剣の対処に追われる。

 さっぱり意図を理解しかねている彼女らに向けて、どこにいるとも知れぬ志文が平然と言い放つ。


「これが私なりの勉強法……『鬼抹刺剣きまつしけん』だけど」


 能動的察知によって身を守り、強制的思考によって叩き込む。インプットとアウトプットの絶妙なバランス。志文が考える究極の暗記作業であり、勉強と修練を効率よく両立する手立てがこれだ。

 いわば暗記カードの発展形のようなもの。套路を反復練習するのと同じように、勉強内容を反復して肉体に覚え込ませるのだ。

 剣の雨が激しさを増す中、志文の指示もまた更に厳しくなる。


「準備運動の一段階目は終わりで良いわ。全員、膝を曲げて空気椅子のように構えなさい」


「「「キツぅーっ!!?」」」


 指示通り構えたところ、気配もなく水の汲まれた碗だけが膝の上に置かれる。


「それが今夜一晩、あなたたちが唯一飲むことを許される水よ」


「「「キッッツぅぅぅぅ――っ!!!!」」」


「剣は全部で四千本。正解したものから抜いていくけど、不正解なら逆に増やすわ。四千本全てが無くなった時に終わりとしましょう」


「「「ひえぇぇぇぇぇぇ――ッ!!!!??」」」


 下半身を固定したまま、四方八方より無数に飛び掛かる剣を徒手で叩き払い、巻き舌気味に設問に答える。背後から迫る剣については氣を発して払うより他ない。

 この地獄が一晩続くことを想うと、いっそ眉間を貫かれるのも悪くないかもしれない、と三人は思った。


「もし学年一位を取れたなら……そうね。……私のキスをあげても良いわ」


「「「あっ全然イケます! 余裕!」」」


「なら、少し段階を釣り上げましょう。次は小さな針も飛んでくるから、そのつもりで」


「「「鬼!!! 悪魔!!!」」」


 ほどなく宣言通りに針までもが射出され始める。暗記というより暗器だ。

 叩き払うのみでなく指で摘まみ捨てる動作も加わって、更なる正確性が要求される。

 加速度的に精神をすり減らしていく三人は、五時間を越える頃には何かの一線を越え、逆にハイテンションになっていった。


「デカルト!」


「(n√a)ⁿ=n√aⁿ=a!!」


「暮れかかりぬれど、おこらせ給はずなりぬ……ぬ?」


「正解、不正解、不正解」


 壮絶なる試験勉強に夜は更け、陽が昇り、十三時間を過ぎたころにようやく全ての剣が無くなった。

 勉強会の終わりと同時に登校する三人の目は、どこか決定的に壊れてしまったような、いびつな色を宿していた。


 なお、試験当日は三人とも居眠りで零点になったという。

 付け焼刃の末路など得てしてこういうものである。

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