第3話 席替えは戦争である


 学期の中間になると、教室内の雰囲気はそわそわし始める。

 皆、席替えを心待ちにしているのだ。

 狙い目は男子・女子を問わず一致している。大留志文の隣の席。

 学校中のアイドル。手を伸ばせど届かぬ高嶺の花。それを数ヶ月間、絶えず直近から見つめることができる。否が応にも期待が高まるというもの。


 そして遂にその日はやってきた。担任教師が厳粛な面持ちで告げる。


「これより……オーダー『席替え』を……発令する……!!」


 即座に全員が身構える。席替えは戦争である。

 さして興味もなさげな志文だけは、退屈そうに英語の暗記カードをめくっていた。

 きっと彼女は知らない。彼女を巡って血で血を洗う闘争が始まろうとしていることを。


 席決めにあたって取られる手段は、一般的に二つ挙げられる。ジャンケン、またはクジ。

 とりわけこの学校では、ジャンケンが多くのクラスで採用されていた。クジには不正を仕込む余地があるからだ。

 志文が在籍する2年A組もまた例外ではない。


 ジャンケンのルールは単純だ。

 『グー』『チョキ』『パー』――――すなわち『拳』『器』『術』の三勢力に別れての勢力戦となる。

 脱落者が出るごとに下位から序列が決定され、勝ち残った上位順に席を選択していく。

 至極明快にして王道。力こそが全て。

 境鴻きどき高等学校の生徒たちはこれを、ジーヤンケンと呼ぶ。

 なお、疑いようもなく最強である志文だけは勢力に属さず、不戦勝による一位獲得を許される。


「私、席はどこでも良いんですが……」


「東原さんは無欲なのね」


「そんな立派なものじゃないです。私は非力ですから……」


「そうね。誇ることではない。けど、恥じることでもないでしょう」


 志文は溜息交じりに肩をすくめ、相変わらず顔を青くしている東原ひがしばら聡未さとみに話しかける。

 東原のような何の得手も持たぬ一般生徒は、早々に降参することで不戦敗者同士の一般的なジャンケンに甘んじる。それを周りも理解しているため、不戦敗者が負傷することはほぼない。

 緊張で硬くなる背中をぽんと優しく叩き、志文はふたたび暗記カードによる復習に戻った。




 ほどなく勢力の割り振りが決まり、代表者三人が出揃う。


「フシャァァァァァ! 大留の隣は頂くニャ!」


 『拳』代表――寅丸とらまる代那しろな。出席番号十五番、女子。

 技法から言動に至るまで、心身共に野性味溢れるわんぱく娘。ネコ科寄り。

 毎朝の日課は自宅で飼育する百一匹の虎に組体操をさせ、それら全てを一人で担いでするスクワットと腕立て。

 小学生のころは〝絶対に零さない神速の給食当番〟として有名だった。


「醜い争い……。さりとて僕も引き下がれはしないさ!」


 『器』代表――亀梨かめなし九郎くろう。出席番号八番、男子。

 鉤を得物とする彼の戦いぶりはさながら天女の舞いと評されるほど流麗。

 実際に歌舞伎役者の家系で、女形の舞いは当人の意に反して多くの同性を恋に落としている。

 整った容貌に美肌も相まって、女子からは美容についての相談役といった位置付けにされている。がんばれ。


「ぬわぁーっはっはっは!! 我が前に敵は無し! 机を除けとくぞぅ!」


 『術』代表――大鳳おおとり魅朱みか。出席番号六番、女子。

 呪符を自在に操り、摩訶不思議を巻き起こして敵を惑わす妖術使い。

 得意とする式神の使役で右に出る者はなく、式神に運ばれて登校するため遅刻もしない。羨ましがる生徒多数。

 声もテンションも高くやかましいが、根は気遣いができる心配性なので親しまれている。


 三人とも気心の知れた旧友とはいえ、譲れないものを前にしては仇敵も同然。

 一触即発の空気のさなか、担任教師が静かに開戦を告げる。

「それでは……さーいしょーはグー……!」

 リーチの不利が予想される『拳』勢力は先んじて〝常識的な範囲の一歩〟だけ間合いを詰めることが認められる。

「じゃーんけーん…………ぽんっ……!」



 合図と同時に戦争がはじまった。

 『拳』勢力は定石通りの速攻、『術』勢側へと攻め込む。妖術の発動よりも早く殴れば勝ちの理論だ。

 しかし一流の術師たる大鳳おおとり魅朱みかがそれを見逃すはずもない。


「単純! 大味! 御しやすい! 脳筋……は言い過ぎた! そう易々はゆかぬが世の常ぇぇぇッ!!」


 大鳳はばら撒いた呪符から瞬く間に無数の式神を生み出し、拳士たちを襲わせる。

 多くが蜘蛛、ゴキブリ、芋虫など見た目に気色悪い昆虫を模っている。そのため大半の生徒は足を止めざるを得ない。

 唯一、生粋の野生児たる寅丸とらまる代那しろなだけが、淀みない足取りで式神たちを殴り抜いていく。


「ビビりすぎだニャ! 可愛いモンだぞ! 蜘蛛は案外美味しい!」


 士気高揚を狙って発言したようだが、むしろ味方はドン引きしていた。

 その隙を見逃さず、横から『器』勢が突撃を仕掛ける。


「俗世は等しく醜いものさ! たかが虫に怯えるなんて甘いね!」


「お前は直接触れないもんな!!」


 『器』勢の先陣を切る亀梨かめなし九郎くろうの高らかな訓告に、『拳』勢の数人から野次が返る。

 とはいえ彼の身のこなしも目を見張るものがあった。逃げ道を断つような複雑な鉤使いによって着実に拳士の数を減らしつつ、数にものを言わせ迫る式神も無駄なく一手で斬り捨てる。


 形勢不利と判断した『拳』勢は、式神をいなしながら『術』勢の背部へと回り込んでいく。

 やがて『術』勢が二つの勢力から挟み込まれる形になり脱落者が出始める。

 『拳』勢の闘士たちも、寅丸に鼓舞されたわけではないが、徐々に式神の対処に慣れてきた。


「ふははは、まずいな! 止むを得まい! 術師各員、プランB『地道に頑張ろう』!!」


 ここで作戦変更を決断した大鳳が号令を下す。すると応戦する式神たち、それどころか術師たちまでもが突如として一斉に消滅し、『拳』勢力と『器』勢力が正面から鉢合わることになった。

 急激な戦局の変動に、『器』勢の多くが戸惑う。いっぽうでストレスから解放された『拳』勢は、理解するより先にとにかく突撃していた。

 一気に不利な間合いまで詰め寄られ、これまで優勢を誇っていた『器』の先鋒達があっという間に蹴散らされていく。

 激化の様相を見せる前線から打って変わって、『拳』『器』両勢力の後方では闘士たちが人知れず倒れていた。幻惑によって姿を眩ました『術』勢に、意識を掌握され次々と気絶しているのだ。


「気をつけるんだ皆! 術師は闇討ちに徹しているみたいだ! まったく醜い戦法だよ!」


「いいこと聞いたニャ! 気をつけるんだぞ~!」


「あっずるい!」


 号令を受けた闘士たちも幻惑を見破りだし、戦局は消耗戦へともつれ込む。


 不戦組の数人は教室を抜け、廊下から一様に驚嘆の顔で戦場を眺めていた。そこに東原の姿は見当たらない。

 どういうわけか東原は、降参する間もなく『拳』勢に押し流され、戦場の真っ只中に立たされている。


「ひぃっ! きゃっ! ……すごいなぁ……わわっ!?」


 武器が閃き、人が飛び、幻が踊る。混迷極まる戦場のなか、不幸中の幸いと言うべきか無傷でいる。

 運動能力など皆無に等しく、反射神経は祖母に劣るほど根っから貧弱なはずだが、不思議とこの時ばかりはあらゆる危機から逃げ遂せていた。


 しばらく経つと各勢力の人員は半数、その半数、更に半数と減っていき、遂にはそれぞれの代表と東原のみを残して全滅する。


「やっぱりこの三人が残ったかニャ……!」


「いつもの光景よな! 術師諸君の奮闘は無駄にせんぞ!」


「醜い争いの果て……せめて美しい最後を飾ろう」


「あ……あの……私、抜けたいんですが……」


 三人は激戦の末に残った猛勇を称え、決意を語る。決着の時はもう間もない。極限まで精神を研ぎ澄ませている彼らの耳に、蚊が飛ぶような東原の声など届くべくもなく。

 じり、と踏み締める音がどこともなく聞こえたその刹那――すべてを置き去りにして、三者はぶつかりあっていた。

 寅丸の拳は亀梨の頬に。

 亀梨の鉤の柄は大鳳の頭に。

 大鳳の式神は寅丸の顎に。

 それぞれが見事にクリーンヒットし、一拍を置いてほぼ同時に全員が倒れ伏す。

 死屍累々の教室で最後に立っていたのは、東原だった。


「…………ええと。この場合は……」


「勝ち残ったのは東原さんよ。素晴らしく冴えた回避だったわ」


 申し訳なさげに突っ立つ東原の許へ、不戦組と共に教室の外から観戦していた志文が歩み寄る。

 小さく品の良い拍手を捧げつつ、面持ちには微笑。


「もしかして……さっき……?」


 ふと思い至るところがあり、東原が開きかけた口を、志文はそっと人差し指で制する。

 東原自身、平素にない自身の回避能力に疑問を懐いていた。徹夜明けで登校したというのに全身には活力が漲り、黒板の辺りを舞う微細なチョークの粉すらも目で追える。これが尋常な状態であるわけがない。

 原因があるとすれば開戦直前、背中を触れられたこと以外にないだろう。

 志文から流し込まれた内息が一時的に東原の身体能力を高めたのだ。


「試しに私の肩に触れて、力を込めてみて」


 言われるままに手を当て、力んでみる。すると手の平から猛烈な氣が発され、志文の身体を軽々とはね飛ばす。

 一秒ほど垂直飛行した志文は直後、窓際に放置されていた席へと叩き付けられるように収まった。


「降参するわ。私、この席なんかが良いな……と思ったのだけど」


 いつの間に用意したのだろうか、鎮座する志文の手には次の授業の教科書が握られていた。


 後に、不戦組の生徒たちは実は降参を告げておらず、静観を決め込み決着を待っていたことが明らかになった。

 結果として普段は余り物に甘んじていた生徒らが優先的に席を選び、窓際の志文を囲むような配置で決定した。


「こんなズルみたいな勝ち方をして……良かったんでしょうか……?」


 意気消沈して次の授業の準備を進める武闘派たちを眺め、東原がおずおずと問う。

 その隣の席から志文は、いつになくいたずらな笑みを浮かべて答えた。


「たまにはこんな事があってもいいんじゃないかしら? 力だけが全てというのも虚しいから、ね」

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