秋⑥
やってきたのはいつかと同じ校舎裏。本当は文化祭の最中は立ち入り禁止の場所なので、周りに誰もいない。立ち止まると先輩が私を振り向く。
「ボタンを渡した理由……なんだけども」
さっそく話し始める先輩を、私はまっすぐに見つめる。
「だいぶ話は遡っちゃうんだけどさ。俺、実は神崎さんとちゃんと話すまで、別に好きな人がいたんだ」
先輩に好きな人がいた。初めて知った事実に、胸が痛い。それは当然、私じゃない人だ。
「それが誰か……訊いても大丈夫ですか?」
よせばいいのに、気になって訊いてしまう。先輩は驚いたような表情をしてから、どこか切なさを帯びたような笑みを浮かべる。その笑みですら、先の割れた果物スプーンのように私の胸をえぐっていく。
「
佐々木先輩の口から出てきたのは、私の恋を応援してくれていた、私のよく知る先輩の名前だった。灯香先輩は人を包み込むような太陽のように温かい優しさがある。私とは似ても似つかない。そう考えると振られるのも当たり前だ。
「でも、長谷川は
先輩の言葉に、思い出すのはあのとき初めて見た向日葵のような笑み。私の一目惚れが片思いに変わったのも、そのときだ。
「段々と神崎さんのことをそういう意味で好きになっていった。……告白されたときも、本当は嬉しくて、頷きたかった」
「なら……」
どうして頷いてくれなかったのか。謝ったのか。思わず縋るような表情を浮かべてしまう。でも、先輩のなんとも言えない笑みになにも言えなくなる。
「それでもやっぱり、まだ心の中に長谷川がいて。そんな状態でつきあったら駄目だと思ったから、振ったんだ」
頷いて欲しかった。そう思いつつも、そういう真面目なところがとても佐々木先輩らしくって、そんな先輩だから、私は好きになったんだと気が付いてしまえば、もうどうしてほしかったのか分からなくなる。
「だけどやっぱり、好きで。振ったくせに往生際が悪いとは思いつつも、ボタンを渡したんだ。……自分勝手だけど、忘れて欲しくなくて」
先輩の言葉に、胸が鳴る。好きだと言われて、忘れて欲しくないと言われて……。そんなの、顔が熱くならないはずがない。しかも、私にはそういう気持ちはないのだと思っていた反動で、もう今、ものすごく赤い。
「先輩は今は、私のこと、どう思っていますか……?」
気になって訊いてしまう。でもやっぱり不安になって俯く。
「今は――」
「やっぱりいいです!」
先輩の言葉を遮るように思わず両手を前に出す。先輩が無言なので顔を上げると、佐々木先輩は驚いたように目を丸くしていた。自分から訊いておいてその答えを自分で止めたのだから当たり前だ。
私は先輩の黒い目をまっすぐに見つめる。たった今、一つ決意した。やっぱり、先輩を見つめてるだけなんて嫌だ。もしも近くに行けたら、そのときは。
「私、先輩と同じX大を目指してるんです。だから、もし合格できたら、また告白します。そのときにその答えを、聞きたいです」
先輩は、柔らかく微笑んでくれた。そして近づいてきて、私の目の前で止まる。そして少し腰を曲げて、私に目線を合わせてくれる。お互いの息を感じるくらいの距離に、思わずドキドキしてしまう。でも逃げちゃいけない気がして、私はそのままじっと先輩を見つめ続ける。
「わかった。大学で会えるの、楽しみにしてる。でも……」
ポン、と頭に先輩の手が乗る。
「そのときは俺から告白させて」
心地のいい、柔らかくて低い声。そんな声にさらに甘さが加えられて、どうしたらいいのか分からなくなって、顔に熱が集まりすぎて、力が抜けてしまって座り込んでしまいかける。
「っと、大丈夫……?」
だけど私が倒れることはなく、代わりに温かい先輩の胸の中へ、先輩に抱きしめられる。
「さささささ佐々木先輩!?」
ああ、わかってる。倒れかけた私を支えた、くらいの感覚なんだろう。だけど、今の私には刺激が強すぎる。抱きしめられてるその感触も、耳元で聞こえるその声も。
「わ、わたた、私っ、立て、立てますっ!」
先輩の胸を叩くと、そっと先輩が離れていく。秋風がするりと私の制服を撫でていく。先輩の温もりが遠のいたせいで少しだけ寒くてぶるりと震えてしまう。そんな私を見て、先輩は小さく微笑んだ。
「校内に戻ろうか」
「はい」
「そういえば、委員会の時間は大丈夫?」
ちらりと左手首の腕時計を見る。長い針と短い針は午後二時三十分を示している。
「あと少し、大丈夫です」
「よかった。じゃあ、行こうか」
そう言って、先輩は歩き始める。私はその隣で足を進める。隣に立つ先輩は、やっぱり高くて。でも、ほんのり赤く染まっている耳元に、少しだけ笑みを浮かべた。
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