第二話 夏~神崎彩香と佐々木秀の場合~

夏①

佐々木ささき君は実行委員会よ」

 四月。灯香とうか先輩から聞いた、憧れの先輩が所属している委員会。無事に文化祭実行委員会、通称実行委員会に入った私にとって、委員会は月に二度の楽しみだった。

 それから三か月が経った七月。前回の委員会のときに言われいていた今日の議題はずばり、十月上旬に行われる文化祭について、だ。このためだけにあるような委員会なので、これからどんどん忙しくなるらしい。具体的には昼休みや放課後に集まることが増える、とのこと。つまり佐々木先輩を眺める回数が今までよりもさらに増える、ということだ。これを嬉しく思わないはずがない。今からドキドキとワクワクで胸が痛いくらいだ。

「ちょっと、顔が崩れてるわよ、彩香あやか

「えっ!?」

 黒くてまっすぐな髪の毛に、眼鏡をかけた少女、片桐遥香かたぎりはるかが呆れ顔で私を見ている。私は慌てて顔を両手でペタペタと触る。そんな私の様子を見て、遥香の呆れ顔はさらに深くなる。

「そんなに先輩に会えるのが、楽しみなの?」

「あたりまえ! もう楽しみすぎて、夜も寝れなかったもん」

 なるほど、という表情で頷く遥香。

「だから珍しく、あんたも睡眠学習してたのね」

「も?」

 私が首を傾げると、遥香は無言で窓際の角の席を指差した。その席で顔を伏せている男子生徒を見て私は、ああ、と納得する。両脇を刈り上げにしている頭の上のほう、ワックスでふんわりとまとめた焦げ茶色が、窓から入ってきた風でそよそよと揺れている。そこだけ見れば、風に揺れる草木のようでとても平和な光景だ。

「でも、相葉あいばが寝てるのはいつもじゃん」

「散々起こしたんだけど反応なし」

 それもいつものこと、だ。

「本当にもう。あいつはなんなの。授業中爆睡だし! 用事あるからって小テストの追試もサボるし!! 定期で赤点とらないのが不思議なくらい!!!」

「遥香ー、落ち着いて―、どう、どう」

 鼻息が荒くなっていく友人の両肩を抑えて、落ち着かせる。

「ほんっと腹立つぅっ!」

「遥香って本当に相葉のこと嫌いだよね」

「当たり前! なんであんなに堂々と爆睡できるの、わけわかんない」

 吐き捨てるように言うと、遥香は目を閉じて大きく深呼吸をした。恐らく、自分を落ち着けるためなのだろう。

 そして彼女は目を開くと、笑顔で私を見る。そこにはからかいの色が見えた。

「そういえば。委員会決めのとき、優柔不断の彩香が珍しく即座に実行委員に立候補したとき、びっくりしたわ。その理由が、ひとめぼれした先輩を追いかけてっていうのには笑ったけど」

 遥香とは去年は違うクラスだった。だけど同じ学級委員会に入っていて、それがきっかけで仲良くなったのだ。

「笑わないでってば。本気なんだから」

 去年の四月。たまたま廊下ですれ違った佐々木先輩に、私は心を奪われた。まっすぐの黒髪に眼鏡。細い眉毛に、切れ長で細めの黒目と白い肌。細いけどもブレザーから覗く白い手の甲は筋張っていて、なんというか、男の人の手って感じで……。ああ、今思い出してもたまらない……。

「彩香、顔」

「はわっ!?」

 ペタペタと両手で顔を触り始める私に、遥香がため息を吐く。あ、またさっきと同じことしてる。

「あとは体育が終われば、あこがれの先輩に会えるんだから、頑張んなよ。間違っても、寝ながら泳ぐ、なんてしないでね」

「しないしないーっ! 溺れる! 死ぬ!」

「イインチョー! 相葉起きないんだけど」

 椅子に座ったままスクールバッグの持ち手に絡まった水泳バッグの紐を取ろうともがいている私の真上で、舌打ちが聞こえた。視線を上げるのと、遥香の水泳バッグが綺麗な弧を描いて相葉へと飛んでいくのとが同時だった。ボフッと音がして相葉の頭に学校指定の赤いスクールバッグが直撃する。ムクッと上げた相葉の顔は、視線だけで人を殺せるんじゃないかというほど凶悪だった。

「……ってぇなおいっ!」

「次水泳! 早く更衣室に行きなさいアイバカッ!」

 右手に持ったゴーグルケースでビシッと相葉を指す遥香。どうやら水泳バッグの中から唯一硬いものであるゴーグルケースだけ取り除いていたらしい。せめてもの情け、というやつだろうか。

「てめ――っ」

「相葉落ち着けっ! 昼休みあと十五分で終わるから! ほらっ!」

 勢いよく立ち上がる相葉を隣にいた男子、田口たぐちが羽交い絞めにすると、そのまま引きずっていく。田口の肩には二人分の青い水泳バッグが下がっている。

「ちょっ、田口ぃっ!」

「はいはい、暴れないで。イインチョー、ありがとー」

 そのまま二人は教室から消えていった。相葉の席のすぐ近くに転がっている水泳バッグを取りに行く遥香。その後ろ姿はどことなくどす黒い何かを纏っているように見える。つまりは、とても機嫌が悪そうだ。

「すっかり保護者だね……」

「私はあいつの保護者じゃない」

 どこから出てるんだと突っ込みたくなるほど低い声だった。

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