夏②

「実行委員会、始めるわー。きりーつ」

 ガタガタっと音を立てて教室にいるみんなが立ち上がる。先生の号令に合わせて、お願いします、と礼をすると、再びみんな席に着く。

 文化祭実行委員の担当の先生はこの学校一の美人教師と言われる綾塚忍あやづかしのぶ先生だ。クルリと捻って後ろにまとめられた艶やかな栗毛色の髪。白い肌に赤い唇は良く映える。今日もお美しい。

「前回のときも言ったけど、今日から本格的に文化祭実行委員の活動は始まるから、覚悟するのよ。で、今からはどういった文化祭にするかってことと、それに伴って何かやりたいことがあれば、それも決めたいんだけど―……」

 先生はそこで一度言葉を区切ると、私たちを見回す。そして息を吐き出した。

「まあ大勢で話し合ってもまとまらないから、班ごとにまとまってから出してってほしいわ。班は、そうねぇ……。一年A組、二年A組、三年A組でA班ってな感じで、全部で七班かな。今二時二十分ちょっと過ぎだから……三十分まで」

 再びざわつき始める教室。だけど私の脳内はそれどころじゃなかった。先生の言ったとおりに班分けをすると、二年B組の私は三年B組の佐々木先輩と同じ班になる。これは神様のお導きってやつ? え、ちょっと待って、先輩を眺める準備はしてきたけど、先輩と話す心の準備はしてない!

神崎かんざきさん?」

 目の前で振られる筋張った白い手。耳に心地いい柔らかくて低い声。そっと顔を上げると、切れ長で細めの黒い瞳と目が合って――。ああ、幸せすぎてめまいが。

「え、ちょ、大丈夫?」

「だ、大丈夫、です、きっと!」

 大丈夫じゃないけど! 荒くなりそうな呼吸、必死で堪えてますけど!

「移動したほうがいいですよね、どこで話し合いますか」

「あ、ここでいいよ。俺来ちゃったし」

「え、でも一年生は――」

「今日は風邪で休みだって」

 つまり、今回は私と先輩の二人きりで話すということで……。ハードル高いっ!

 どうしよう、と考えていると隣に先輩が座る。え、近い、え。神様はどうやら私に一生分の幸運を今、使い果たさせる気のようだ。

「で、早速話し合いだけども、どういう文化祭にしたいとかってある?」

 ずっと憧れていた。いつか傍で笑いながら話せたら。あの瞳が私を見てくれたら。そんな風に思っていた。ええ、思っていましたとも。だけどこんなに早くそれが訪れるとは思ってもみなかった。……一年と三か月でそれが叶うのが、果たして早いのか遅いのか、ということは別にして!

「ど、どういう、ですか」

 心臓が今にも破裂するんじゃないかってくらい鼓動が大きく早くなっていく。落ち着け、私。落ち着け、心臓。

「ええっと、今年の文化祭のテーマって、一喜一遊、ですよね」

「そうそう。一喜一憂の憂を遊ぶ、の遊に変えたんだよね」

「字から見ても、楽しそうな文化祭っていう感じがするので、なにかこう、遊べる、というか、楽しめる、というか……。こう、参加した人たちが、楽しかったねーって笑って帰れるっていうか。そういう文化祭にできたらなって思うんですけど……」

 言っていて、段々声は尻すぼみになっていく。この考えは、今年の四月の朝礼でテーマが発表されたときから、ずっと考えていたものだ。だけど、いざ声に出して言ってみると、普通の文化祭とどこがどう違うのかわからなくなる。

「うーん……その、遊べる、楽しめるっていう要素は、文化祭全体として、何か一つの企画をするっていうこと?」

「え?」

「例えば、定番だけどスタンプラリーとか……」

「!」

 私の言葉を、先輩は先輩なりに噛み砕いてくれていた。それが嬉しくて、私は勢いよく何度も首を縦に振る。私の反応に、佐々木先輩はホッと息を吐いた。

「よかった。スタンプラリーは去年もやったの、覚えてる?」

「はい。確か、校内のいろんな場所にスタンプ台があって、全部集めるとジュースがもらえるってやつですよね」

「そうそう」

「私、去年あれ、無我夢中で探しちゃったんですよ! 巧く隠れてるっていうか、どんどんむきになっちゃって。一番最後なんて、本当にどこにあるのかわからなかったですもん。気が付いたら校内一周してました!」

 一気に話す私に、隣からふふっと笑い声。しゃべりすぎた自分に気がついて、私は慌てて口を閉じる。

「ご、ごめんなさい……」

「いえいえ。あれ、実は俺の提案なんだよね」

「え?」

「楽しんでもらえたみたいでよかった」

「――っ」

 にっこりと笑う佐々木先輩の笑顔。まるで太陽みたいな……、違う、太陽の光を浴びてキラキラ光る向日葵みたいな、そんな笑顔。それはせっかく落ち着いた私の動悸を再び早くするにはぴったりで。

「神崎さん、大丈夫?」

「だ、大丈夫です。時間あと少ししかないですし、あとはなにするか決めちゃいましょう」

 心配されて見つめられると、その事実に更に色んなことが悪化しそうだったので、慌てて話題を変える。

「そうだな。二年連続スタンプラリーってのも、ちょっとなあ」

 二人して腕を組んで頭をひねる。文化祭と言えば、飾り付けられた教室に、頑張って呼び込みをする生徒、そして笑顔の人々。中庭ではいろんな部活の発表会が行われる。そんな光景を思い出していて、ふっと私の中で何かが閃いた。

「先輩。今年も一年生が装飾で、二年生がレクリエーション、三年生が飲食ですよね」

「え、ああ、うん。そうだけど?」

「あの、そこでくじ引きとか、どうでしょう」

「くじ引き?」

 キョトン、と先輩が首を傾げる。私は必死に頭を回転させながら、話をまとめようとする。

「えっとその……文化祭って一日だけじゃないですか。せっかくみんな一生懸命時間と手間をかけて創り上げるのに、時間が限られているうえに、お客さんはたいてい興味のある所にだけ行ってそのまま帰っちゃいます。それが正しい形と言えばそうなんですけども……。それじゃもったいないので、なにかそういう、全部まではいかないけど、できるだけ多くを回ってもらえるような、そんな企画、どうでしょうか」

 結局、巧くまとめられた自信はないが、早い動悸を抑えながら話したにしては、我ながら上出来だ、と思うことにする。顎に指を当てて思案顔をする佐々木先輩を、上目遣いでじっと見つめてみる。じっと、そう、じっと……。……佐々木先輩って、意外とまつ毛長いんだなあ、とか、鼻高いんだなあ、とか、そんなこと、ちっとも考えてない、うん、ちっとも――。

「はい終了! じゃあ、A班から順番に発表してくれるかしら?」

 先生の言葉に私の肩はビクッと震える。その大きな声や、先生が同時に叩いた両手の音に驚いたわけではなく、もう時間が来てしまったのだという事実に驚いたのだ。まだ話がまとまってない。

「――A班の案は以上です」

「無難ね。次、B班」

「は――」

「はい」

 慌てて立ち上がろうとする私を片手で制して、佐々木先輩は立ち上がった。

「僕たちの班は時間が限られてる中で、各クラスの催し物をできるだけ多く回っていただけるような、遊んでいただけるようなそんな文化祭にしたいという意見になりました。せっかくテーマに遊ぶ、という文字が使われているので、そういう風に回っていただけるような企画を考えようとしたところで、時間切れになってしまいましたが……」

「……なるほどね。じゃあ次はC班」

「はい」

 そのまま次の班に順番が回る。

「あの」

「ん?」

 席に着く先輩に、小声で話しかける。すると、少しだけ耳を近づけられる。

「あ、ありがとうございます」

 その距離に驚いて、私は早口に言うと、逸らすように今発表を行っている班へと顔を向けた。そうじゃないとまた真っ赤になってる顔を見た先輩に心配されるような気がしたからだ。


 最後のG班の発表が終わると、様々な案が実行委員長の字で黒板に並んでいた。先生はその文字に見向きもせず、両手を合わせて満面の笑みで口を開く。

「よし、決めたわ。今年はB班の案で行きましょう!」

「なんで!?」

 B班は唯一意見がちゃんと出来上がっていなかったのだ。うっかり声が出てしまう。慌てて口を両手で塞ぐが、もう遅い。周り中の視線が私に向いている。恥ずかしい……。先生はそんな私を見てパチンとウィンクをする。

「一番案が未完成だったからよ。どんなふうになるのか、楽しみじゃない?」

 いいのかそれで。

 だけど先生のそういうところは普段からのようで、二三年生の中ではため息を吐いている人が数名いる。

「じゃあB班の二人はその企画も含めて、今月末までに企画書書いて出してくれるかしら?」

「分かりました」

「は、はい!」

 先輩が返事をするのを見て、私も慌てて反応を返す。

 その様子を見て先生はクスッと笑う。

「んじゃ、残り時間で一年の装飾テーマと分担場所、二年のレクリエーションと三年の飲食の、決まり事の説明をしていくわよ」

 先生が言ってる傍から実行委員長がついさっき出た案を黒板消しで消して、校内の見取り図を描いていく。

 そうして長いようで実は一限分の時間しかなかった委員会が終わるころには、事前に配布されていたプリントが書き込みで真黒になっていた。これからのことを考えて、やることの多さに思わずため息をこぼす。委員会のある日は、その前の授業のあとにそのままSHRをやり、委員会が終わり次第そのまま帰宅していいことになっている。帰り支度をしようとしたとき、すっと目の前に黒い影ができた。

「神崎さ――」

「はい!」

 上から降ってきた声に急いで顔を上げると、驚いたように細い目を丸くした先輩が私を見ていた。

「佐々木先輩?」

 どうしたんだろうと首を傾げると、先輩は小さく笑う。

「いや、そんなに急いで返事をしなくても、名前を呼んだ以上俺は逃げないよ?」

「あ、そうですよね、何やってるんだろ、私」

 思わずうつむいてしまう。赤い顔を隠すためだったのだけど、先輩は違う風に解釈したようで慌てたように言葉を発する。

「違う違う。別に責めてるとかじゃなくて――」

「ああ違うんです! 別に責められたとか思ってないんで! 気にしないでください!」

 先輩につられて私も首を横に振る。お互いの慌てる姿を見ると、私たちは吹き出した。そしてふと疑問に思ったことがあり、私は口を開く。

「先輩、なんで私の苗字知ってるんですか?」

 私はその……去年同じ学級委員でお世話になった灯香先輩から色々と教えてもらっているので、佐々木先輩のことは知っている。だから、というかなんで先輩が私の苗字を知っているか気になったのだ。もしかしたら先輩も、なんて期待も少しあったりする。

「なんでって……」

 先輩はおかしそうに笑いながら、自分のワイシャツの胸ポケットをトントンと右手の人差指で軽く叩く。白地に佐々木という文字と、その下に三年生の学年色である紺色の一本線が掘られたプラスチックのネームプレート。自分のブラウスの胸ポケットにも同じように、白地に神崎という文字とオレンジの一本線が掘られたネームプレートを付けていることを思い出す。同時に変な期待をしてしまった自分に恥ずかしさが込み上げてくる。

「そ、そうですよね! ネームプレート見たらわかりますもんね!」

 バカバカバカ、なんて、恥ずかしさをかき消すために心の中で呟き続ける。ああ、穴があったら入りたい。

「まあ、長谷川はせがわから神崎さんの話、色々聞いてるから。ネームプレート見て、ああこの子か、と」

 それってもしかして、灯香先輩から話を聞かされているうちに私のこと意識して覚えててくれてるとか――。

「神崎さん、長谷川に可愛がられてるんだな」

 ああ、はい。そんなことなかったですよね。わかってましたよーだ。

 心の中で今度は唇を尖らせる。そこで灯香先輩のことは長谷川で、私のことは神崎さん、なんだということに気が付く。いやまあ、今日言葉を交わしたばかりだから当然と言えば当然なんだけども。

「とりあえず、これから頑張ろうな。それだけ言いたかっただけだから。じゃ」

 私が悶々としているうちに、先輩は背を向けて教室から出ていった。それが少しだけ寂しくて、でもわざわざ一言言うためだけに呼んでくれたのが嬉しくて。

「うん、頑張ろう」

 心地いいような、でもむず痒いような、そんな胸を押さえて、私は一人頷いた。

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