春⑦
あれから私たちは家に帰った。バス通学の私は、自転車通学だという鳴海君にバス停まで送ってもらった。それから家に無事に着いたんだけども、ずっとあの言葉について考えていた。それは一日経った今も変わらず……。
「あいつと似てる、か……」
あいつって誰だろう。誰と私が似てるんだろう。前に付き合ってたっていう、元カノだろうか。というか、なんでそんなこと考えてるんだろう。
「昨日から変だ、私……」
最初会ったときも思った。こんな人種、周りにいなかった、と。それに、今までこんなに近い位置で接してくる異性も初めてだ。恐らくは一番親しい佐々木君だって、可愛い後輩の加藤君だって、一定の距離以上に突っ込んできたりしない。それなのに、わざわざ待ち合わせして一緒にクレープを食べに行ったり、頬に付いたクリームを指でとってもらったり、からかわれたり、進路のことで応援されたり……。調子を狂わされてる。その挙句にあの言葉だから、きっとモヤモヤさせられてるんだ。こんなに胸が締め付けられてるんだ。
――たった一人、見つかるといいね。
きっと私は、鳴海君に惹かれ始めている。だけどあの言葉の言い方はまるで、鳴海君は私のたった一人の人にはなりたくない、みたいなニュアンスで。……いや、そもそも鳴海君の気持ちもわかってないのに、何を思ってるんだ。どうして勝手に傷ついているんだ。
「もうやだ……」
めんどくさい。なんでこんなに私が悩まなきゃいけないの……。
私はこんな調子なのに、目の前では女の子や男の子たちに囲まれて鳴海君は笑っている。それに無性に腹が立って、私は机に突っ伏した。勢いが良すぎたのか、そのまま額を机にぶつける。痛い。もう本当に嫌だ。
「長谷川?」
名前を呼ばれて顔を上げる。目の前には誰かさんとは違ってしっかりと着こなされた男子の制服。そのままさらに顔を上に向けると、心配そうに私を見つめる佐々木君の顔があった。
「おはよう、どうしたの?」
「おはよう、すごい音がしたから。大丈夫か?」
佐々木君は優しい。その優しさが嬉しい。
「ありがとう、大丈夫」
だけど、すごく申し訳ないけど私が求めている優しさは、佐々木君からのそれではなかった。
「……その、長谷川がそういう風になってるのって、もしかして昨日のあれが原因か?」
「昨日……?」
確かに昨日の鳴海君との出来事が原因でこうなってはいるけれど、でもそこに佐々木君はいなかったはずで……。
「お前、昨日鳴海と公園でクレープ食べてたろ」
「なんで!?」
ガタッと音を立てて私は立ち上がっていた。SHRが終わって賑やかになっていた教室が、一瞬になって静かになる。同時に何事かと約三十人分の視線が私に刺さる。
「あ……ごめん」
アハハ、と笑って、私は力なく座った。再び見上げた佐々木君の表情からうかがえる心配加減がさっきよりも深くなっているのはきっと、気のせいじゃない。
「俺、あそこの公園の隣に住んでるんだけど……」
そうだった。完全に、完璧に、きれいさっぱり忘れていた。あそこの公園を通り過ぎたところにバス停がある。だから何度か家に入っていく佐々木君の背中を見たことがあった。なんで忘れてたんだろう。答えはただ一つ。無意識のうちに私は、鳴海君の隣にいることに浮かれていたんだと思う。
「安心しろ。部屋からチラッと公園見たら二人が見えただけだから。何話してたか聞こえなかったし、一瞬だけしか見てないから」
「あ、うん」
佐々木君は人に嘘を吐くことはしない。だから今言ったことはきっと本当なんだろうけど、一瞬でも恥ずかしい。私はもう一度机に突っ伏する。次は額をぶつけることはしなかった。
「あのさ、長谷川」
「ん?」
「あれ、他の人も見たみたいで、噂になってるぞ」
「え」
私が顔を上げるのと、一限目のチャイムが鳴るのは同時だった。詳細を聞く前に佐々木君はこちらに背中を向けて自分の席に戻っていく。
噂って、どういう……。なんとなく予想はつくけど、そういうことに巻き込まれたことは今までなかったから、どういうことを言われているのかわからない。不安で、少しだけお腹が痛い気がする。
「ほらみんな席ついてー。授業始めるわよー」
先生が入ってくる。一時限目は倫理だ。私は大人しく机の上に用意してあった教科書の下から下敷きとノートを出す。すると、視界の端に指が入ってきた。その指は静かに私の机を叩く。少し骨ばった指には見覚えがある。もっと言うと、その感触も覚えてる。そこまで思い出して頬に熱が集まり始めた。私はそれを散らすように小さく首を振る。コツン、と音がする。え、と横を見ると、私の机に、少し離れていたはずの隣の人の机がくっついていた。
「赤くなって、何思い出してんの」
笑いを含んだ小声で囁かれる。せっかく収まりかけていた頬の紅潮が悪化する。バッと鳴海君を見ると、楽しそうに笑っている。
「……なに?」
「あのさ。教科書忘れたみたいだから、見せてもらってもいい?」
「……」
机を合わせてきたのはそういうことか。どこか肩透かしを食らったような気がしながらも、私は教科書を二つの机の間に置いた。
「ありがとう」
「ううん」
どうやら椅子もこちらに寄せてきたようで、彼が近い。肩が触れそうで触れない。そんな距離。自分の早い心臓の音が、耳元で聞こえる。
結局横にいる存在が気になりすぎて、まったく授業に集中できなかった。
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