春⑥

 待ち合わせ場所に着くと、門にもたれ掛かるようにしてスマホをいじっている鳴海君がいた。

「お待たせ……?」

 私が声をかけると鳴海君は顔を上げる。そして目が合うと、目尻を下げて微笑んだ。

「待ってないよ。行こっか」

 すっと鳴海君が歩き始める。私もそのあとを追うようにして歩き始める。

「どこに行くの?」

「クレープ屋さん」

「クレープ?」

 確かにこの近所にはクレープ屋さんがある。学校の近くにあることもあってか、部活帰りの生徒や家族連れ、そして夕方から夜にかけては帰宅途中のサラリーマンやOLも立ち寄る人気のお店だ。私も小さい頃、何度か行ったことがある。

 だけど。

「なに? 俺がクレープ食べに行くの、不思議?」

 不意に顔を覗き込まれる。私は驚いて後退ってしまう。そのときになって初めて、前を歩いていたはずの鳴海君が、隣に立っていることに気が付いた。

「顔、赤いんだけど?」

「きゅ、急に顔を覗き込むから!」

 両手でしっしっとすると、鳴海君はくすくすと笑う。

「それくらいで赤くなるんだ? 純粋だねえ」

「……」

 それくらいってなんだ。異性と顔が近くなったら誰が相手でも赤くなるに決まっている。ムッとして、そのまま鳴海君のほうを見ずに歩き始める。が、すぐに視界の端に彼の姿が入ってきた。

「で、俺がクレープ食べに行くの、不思議?」

 しつこい。本人はとても気になるらしい。

「不思議、と言うか、なんだろう……。わざわざ私を待って行くよりも、クラスの子と一緒に行ったほうがいいんじゃないかなと思うんだけど」

「ああ、なるほどねえ」

 うんうん、と鳴海君は前を見ながら頷く。そして私を見下ろす。

「俺はね、効率は考えない人間だから」

「どういう……?」

 鳴海君はニッコリと笑うと、また前を向いた。グレーの瞳はどこか遠くを見ている気がする。

「初日にも言ったんだけど、俺の親は転勤族だからさ。いつ引っ越すかわからないんだよ。引っ越したあとももちろん連絡を取り合ってる友人はいるけど、やっぱりそこにいたときほど会えるわけじゃない。行きたい場所に行けるわけじゃない。だから俺は基本的に、誰々と行ったほうが早いとか、そういうのは考えないの」

「と言うと?」

 話が見えずに首を傾げると、鳴海君は片目をつむってみせる。

「つまり、俺は言いたいことは言うし、どこかに行きたいときは一緒に行きたい人と行くってこと」

「要するに、鳴海君は私と一緒にクレープ屋さんに行きたいって思ってたってこと?」

 自分の言葉に、なんだこれ、と思う。なんだか私がナルシストみたいじゃないか。自意識過剰。そんな熟語が頭の中に浮かんだ。

「自分で言って、また赤くなってる」

 笑いを含んだ声に、慌てて自分の頬を触ると、微かに熱を持っている。私は思いっきり鳴海君から顔をそらす。

「赤くなんてなってない」

「頑なだなあ……。あ、あれだよね。クレープ屋さん」

 顔を上げると、よく見知ったピンクをメインとした装飾のクレープ屋さんがあった。それなりの人数のお客さんが並んでいる。最後尾に私たちは並んだ。

「結構並んでるんだね」

 意外だったらしい声に、私は頷く。人数自体は確かに多い……のだが、店員さんの手際が良いようで、二人で回している割には列の動きが速い。列はパーテーションで整理されていて、その空間は少し狭い。つまり、近くに鳴海君の体温を感じる、気がする。胸が音を立て始める。私はその音がばれないように、慌てて口を開いた。

「あ、そういえば部活のことなんだけど。入っても入らなくても自由だって。入る場合は声をかけてって竹林先生が言ってた」

「わかった。ありがとう」

「部活、入るの?」

 少しだけ気になって問いかけると、うーん、と鳴海君は腕を組む。

「迷い中かな」

「そうなんだ」

「あ、そう言えば」

 鳴海君が私のフルートケースを指差す。

「長谷川さん、吹奏楽部?」

「そうだけど……よくわかったね」

 ケースを指差して、それは何? という質問をされたことはあっても、部活を言い当てられたのは初めてで、思わず目を丸くして鳴海君を見つめる。

「うん。なんかフルートとか、クラリネットの子とかって、よく持ち帰ってるよね。だからかな」

「ああ、なるほど」

 だから私が吹奏楽部だってすぐわかったのか。でもそういうことって、普通は知っているものなんだろうか。

「吹奏楽に興味あるの?」

「なんで?」

 私の問いかけに、鳴海君は首を傾げる。

「だって、私のこのケース見て楽器のケースだってわかったみたいだから」

「ああ。それはね、前付き合ってた子が吹奏楽部でフルート吹いてたからかな」

 胸に痛みが走る。きっと、どこかでなにかを期待していたのかもしれない、なんて思ってる自分に気が付く。でも、なにに期待してた……?

 もしかして、自分が元カノと重ねられているかもしれない、ということが嫌なのかも。でもなんで? 別にこの人に元カノがいても、その元カノと重ねられても、関係ないじゃないか。

「どうしたの?」

 声をかけられて初めて自分が俯いていることに気が付いた。慌てて顔を上げると鳴海君がとても不思議そうに私を見ている。

「ううん、なんでもない」

「そう? ならいいけど。長谷川さんが吹いてるのって、フルート?」

「そうだけど、なんで?」

「いや? ぽいなあって」

「……ケースの形で当てたでしょ」

 元カノさんがフルート吹きだったなら、なんとなく形で分かるはずだ。

「ばれた?」

 アハハと鳴海君は軽やかに笑う。つられて私も笑った。だけど胸は痛いままだ。

「長谷川さんってもしかして、中学生から吹奏楽続けてるの?」

「え、なんで?」

 突然の問いかけに首を傾げる。

「いや、フルートって高いけど、だいたいは自前なんでしょ? ならきっと、次の部活も吹奏楽に入ろうって決められる中学からかなって思って」

 流石。よくわかっていらっしゃる。確かにこのフルートは、私が吹奏楽部に入ったときに買ってもらったものだ。もう随分と長く一緒にいる、相棒のような存在。

「ああ、なるほど。でも惜しい」

「あれ、高校から?」

「ううん。私の通ってた小学校、吹奏楽部あったから。小学四年生から続けてるの」

 すると驚いたように鳴海君は目を丸くした。

「え、じゃあもう四、五、六、一、二……今年で九年目ってこと?」

 指を降りながら数える鳴海君を見て、ああ、もうそんなになるのかと驚いた。そっとケースを撫でる。

「だね」

「ふーん、そんなに続けてるならさ、大学もそっちのほうなの?」

 ピクッとケースを撫でる指が強張るのがわかった。鳴海君には悪気がないんだと思うし、十年近く続けているのなら、そう思われても仕方がない話だ。私は小さく首を振る。

「ううん。大学は違うことを学びに行くの。音楽は、そういうサークルに入ろうと思ってる」

「……繊細な話だから、あんまり俺がどうこう言うものじゃないんだけどさ。長谷川さん、本当は音楽、学びたいんじゃないの」

「どうして――」

「声がね、すごく強張ってる」

 自分の喉元を指差す鳴海君の言葉に、私はキュッとケースの持ち手を握りしめる。出会ってから数日しか経っていない人間にそんな風に言われるくらい、私は分かりやすく音楽を求めていたのか。

「まあでもさ。芸事ってお金かかるし、その割に成功するか失敗するかは実力と運だもんね、立ち止まるよ」

「うん……」

「面倒だから言っちゃうと、実は俺、長谷川さんを待ってる間に竹林先生と鈴村先生に君を説得するように言われてたんだよね」

「え?」

 鳴海君を見上げると、ちょっと気まずそうに微笑みながら目をそらされた。

「ああ、でもなんだろ。君の声が強張ってたのは本当だし、先生にいろいろ言われてなくても、話し方とか、そのケースへの視線とかでなんとなく君がフルートを吹くことが好きなのは伝わってる」

 そう言うと、柔らかな微笑みを浮かべて、今度はまっすぐにグレーの瞳が私を見つめる。

「とりあえず、鈴村先生にピアノ教えてもらいなよ。それでも納得できるレベルまでできなければ、諦めればいい。納得できるレベルまでいけたら、そのときにもう一回お金とかそういうことに目を向けてみたらいいんじゃない? 俺は、応援するよ」

 そういう風に言われたのは初めてだった。応援すると言ってもらえたのも。もしかしたら今まで言われていたのかもしれないけど、ここまでするりと心に入って溶け込む応援は初めてだった。

「ありがとう」

 それしか言えなくて。でもたった一言言っただけなのに、どことなく恥ずかしくて。私は俯いてしまう。

「お次のお客様ー」

 タイミングよく店員さんに呼ばれて、私たちは順番に注文をする。お金を出すために財布を探そうとスクールバッグに手を入れたとき、すっと前に影ができた。

「はい。九百五十六円、ちょうどいただきます」

「え、鳴海君――」

「いいよ、俺が誘ったんだし。はい」

 店員さんから渡された苺カスタードのクレープをそのまま渡される。

「あ……ありがとう」

 両手でそれを受け取る。隣で鳴海君はチョコレートブラウニーカスタードのクレープを店員さんから受け取って歩き始める。

「そこの公園で食べない?」

「あ、うん……」

 私はその背中を追いかけた。

 公園の隅の方にあるベンチに、私たちは腰を下ろした。私と鳴海君の間にはリュックやスクールバッグがある。周りでは子供たちが賑やかにかくれんぼをして遊んでいた。その中で、クレープを黙々と食べる。時折風に吹かれて、桜の花びらがハラハラと舞い降りてくる。段々とその沈黙に耐えられなくなって私は口を開いた。

「鳴海君。クレープ、ありがとう」

「ううん。さっきも言ったけど、俺から誘ったし。それに、女の子にお金を払わせるのは俺の中ではありえないから」

「……そういうのって、本当に言う人いるんだ」

 いたとしても自分に向けて放たれることがあるとは思わなかった。鳴海君はキョトンとしたあとに、小さく吹き出した。

「いるよ、目の前に。俺のほうも言わせてもらうと……」

 彼の指が近づいてくる。何だろうと思ってその場で固まってしまう。ツッと何かを拭うように頬に指が触れる。離れた彼のその骨ばった指に乗っていたのは……。

「ほっぺたにクリーム付ける、なんてベタなことをする子がいると思ってなかったけどね」

 言って、ペロリと指のクリームを舐めとる。

「――っ!」

 素早く頬に手を当てて、もう付いてないかを確認する私を見て、鳴海君は大きく笑いだす。

「また赤くなってる」

「これは別にっ! 鳴海君に触れられてとかそういうのじゃなくてっ! 頬にクリーム付けてたのが恥ずかしかっただけでっ!」

 慌てて反論する私に、鳴海君は片方の口角だけ上げる。

「ふーん? じゃあ、触られるのとか慣れてるんだ?」

「さ、さわっ!?」

「金魚みたい」

 言われた言葉に口をパクパクさせる私を笑いながら、鳴海君はクレープを食べる。まるで意識しているのが私だけのようなその態度に、少し腹が立つ。

「鳴海君って、意外と甘いもの好きなんだね」

「んー?」

 完食したらしい鳴海君は、クシャクシャに丸めたクレープの包みを公園のくず入れに投げ入れたところだった。包みは見事にくず入れの中へ命中する。

「ちょっと、ごみ投げないの」

 私が注意すると、はいはい、と鳴海君は肩をすくめて見せた。

「で、俺は確かに甘い物好きだけども、その言葉はあれかな? 俺がからかったから、子供っぽいとか言って仕返ししようとしてる?」

 図星を指されて、私は何も言えずにクレープをかじり始める。

「近づいただけですぐに赤くなったり、笑われるとそっぽ向いたり、ちょっとからかうと仕返ししようとしたり……。長谷川さんのほうがよっぽど子供っぽいと思うんだけど?」

「……うるさい」

 ふふふっと笑われる。横から視線を感じるが、それを無視して私はクレープをかじることに集中する。

「……やっぱり、あいつと似てる」

「え?」

 ボソッと呟かれた言葉に訊き返すと、鳴海君は一瞬表情を固まらせたあと、私に笑いかけた。

「なーんにもない」

 なんにもないことないよね。

 そう訊き返したかったけど、その笑顔はそれ以上の追及を許してくれなかった。

「長谷川さんって、好きな人とかいるの?」

「――っ!?」

 そして強引に変えられた話題に、私はもっちりとした生地を飲み込んでしまい、むせてしまう。

「ちょっ、大丈夫?」

「けほっ、う、うん……」

 小さくかじりついていたことが幸いしてか、すぐにそれも治まる。

「え、なに突然」

「んーっとね。長谷川さんってあんまりにも純粋っていうか、子供っぽいから、白馬の王子さまとか信じてそうだなぁって思って」

「もしかしなくても馬鹿にしてるよね、それ」

「ふふ、どうだろ」

 楽しそうに笑う鳴海君に、少しムッとする。

「白馬の王子さまは、流石に信じてないよ。というか、馬に乗ってこられてもうちに馬を繋ぐ場所も何もないから困る」

 ブハッと横で盛大に吹き出す鳴海君。

「いや、そんな、まじめに答えないでよ。腹痛い」

「ちょっと、酷い」

 あまりの爆笑具合に唇を尖らせたけど、改めて自分の返答を思い返すと、確かに真面目に返しすぎたな、と思い私も笑ってしまう。ひとしきり笑うと、ふと小さいころからずっと信じていることを思い出して。私は口を開いた。

「でもね。白馬の王子さまは流石にいないとしても、運命の人は信じてるの。一人につきたった一人だけの大切な人を、神様は用意してくれてる。そう信じてる」

 言ってから急に恥ずかしさが込み上げてきて、私は慌てて鳴海君のほうを向いて両手を左右に振る。

「あ! 信じてるっていうか、そうだったらいいなぁ、みたいな! そんな感じかな! だから――」

「なに慌ててんの」

「へ?」

 振ってる両手を止めて鳴海君をちゃんと見ると、彼は笑っていなかった。いや、笑顔ではいるんだけど、その表情に馬鹿にするニュアンスは一切入っていなかった。

「ほら、あんまりのんびり食べてるから、カスタードクリーム溶けて生地から出てるよ」

「え? あ!」

 クレープに目をやると、鳴海君の言う通りカスタードクリームがつうっと流れ出ている。私は慌ててクレープにかじりついた。

「たった一人、見つかるといいね」

 その言葉は温かくて柔らかいのに、私の心をくすぐることなく、どこかほかの場所へと吹いていってしまう風のように感じた。

「……うん」

 カスタードクリームの付いた苺は、甘いのに少し酸っぱい気がした。

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