春⑧

「鳴海君、ちょっといいかな!」

「ああ、うん」

 授業が終わってすぐに、鳴海君はクラスの女の子に呼び出されて教室から出ていった。その後ろ姿をボーっと見送っていると、後ろからトントンと肩を叩かれる。誰だろうと思って振り向くと、たまに話すクラスの女の子、倉木くらきさんが心配そうな表情で私を見つめていた。さっきもこんな表情で佐々木君に見下ろされた気がする。

「長谷川さん、昨日鳴海君と公園でクレープ食べてたよね?」

「……もしかして、見てた?」

 倉木さんは力強く頷く。からかわれるのか、それともなにか嫌がらせめいたことを言われるのかと不安に思ったが、それにしてはとてもまじめな顔をしている。というか、よく考えれば、そういったことを言うのなら心配そうな表情で人を見つめるようなことはしない。と、すると、なんで私は倉木さんに話しかけられたのか。話が見えない。

「あのね、長谷川さん」

「う、うん?」

「あなたきっと、目をつけられてる」

「はい?」

 真剣な表情でなにを言い出すのかと思えば……。いったい何に目をつけられているのか。意味が分からず、間の抜けた返事が口からこぼれた。それを聞いて、倉木さんは驚いたように目を丸くする。

「え、もしかして、あの話聞いてない?」

「どの話?」

 倉木さんは、あっちゃーと声を漏らしながら両手で顔を覆って天井を見上げた。と思ったら、次は勢いよくその指で私の顔を差す。

「いい、長谷川さん。あの男、鳴海瞬君がこんな時期にここに引っ越してきたのは、前の学校での恋愛事情がきっかけらしいの」

 その言葉に、ふっと昨日の鳴海君を思い出す。同時にチクリと胸が痛む。

「彼ね、前の学校には高二の春から一年間いたみたいなんだけど。その期間で何人と付き合ったと思う?」

「な、何人?」

「三十人よ、三十人!」

 すさまじい数を聞いた気がする。三十人ってどのくらいだ。このクラス全員くらいじゃないか。一年って何か月あった。平均的に見て、一人一か月も付き合ってない。

「なんかね、告って来た人と片っ端から付き合ってたとか」

「そ、それはすごいね……」

 世の中にはすごくモテる人がいるもんなんだな、と感動した。そして、その中には人を選ばずに誰とでも恋人になれる人がいるのか、とも。

「でもね、それも半年くらいのことで」

「え、でも今一年の間にって――」

「うん、だから、その三十人目の彼女ができた瞬間、告られても断るようになったんだって」

 胸の痛みがズキズキとしたものに変わる。

「そ、そうなんだ?」

 続きを聞きたくない。だけどここで拒否したら、変な勘繰りをされる気がして、なにもできずに相槌を打つ。私の気持ちに気付いていないのか、それともあえて無視をしているのか。倉木さんは話しを続ける。

「どうやらその彼女、大本命だったみたいで。噂では鳴海君から告ったみたい」

 予想通りの言葉に、鋭くなった痛みが胸をえぐり始める。これは噂だ。本当じゃないかもしれない。縋るように自分に言い聞かせる。だけど、でも。それなら昨日の鳴海君の言葉は? 大本命だったからこそ、あんな顔を、あんな目を、していたんじゃないの?

「で、めでたしめでたしになるかと思ったら、鳴海君、他の女の子にも好きって言ってたみたいで彼女大激怒。運の悪いことに彼女、市長の孫娘だったみたいで大騒ぎになっちゃって。そこに住みづらくなったから引越したって話。で、そんなんだから、目をつけられて付き合っても、日替わり弁当の具材にされるだけじゃないかってことっ。それに彼、手が早いっていう話もあるから気を付けて」

 重みを増した痛みをこらえながら思い出す。

 元カノのことを話す彼の声は優しかった。私と似てると言った彼の声は温かかった。果たしてそんな声で語られるような彼女をがいる状態で、他の子に好きと言うだろうか。だけどわからない。彼は言いたいことは言うと言っていた。もしも元カノのことを好きなまま、他の子のことも好きになっていたのなら? 言うかもしれない。それがどんな結果になろうと。でも、その好きが、もしも恋愛ではなかったら? 元カノの誤解だったら?

「わからないよ……」

「え?」

 気付いていたら漏れていた呟きは、どうやら小さすぎて倉木さんには聞こえていなかったらしい。私は瞬時に笑顔を作ると、首を振った。

「なんでもない。心配してくれてありがとう」

 すると倉木さんはニッコリと笑ってくれる。

「ううん。長谷川さん、しっかりしてそうなのに男慣れ、あんまりしてなさそうで。悪い男にだまされてたらどうしようってみんなで話してて。だから、一応気を付けてって伝えるために、ちょっとだけ時間作ったんだ」

 じゃあさっき他の女の子が鳴海君を連れて行ったのは、倉木さんが私にこの話を伝える時間を作るためだったのか。

「まあ、言っといてなんだけど、鳴海君も悪い人じゃないんだと思う。人の輪に溶け込むのが上手いのも、あっという間に人に好かれるのも、こういううわさを聞いても誰も鳴海君から離れていかないのも、そういうことなんだと思う。恋愛対象としてじゃなくて、友達としてなら、全然いいやつだからさ」

 嫌いにならないでやってね、と倉木さんが言ったのと、鳴海君が教室に戻ってきたのは同時だった。それを見ると、倉木さんはひらひらと私に手を振って、鳴海君に駆け寄っていった。

 私はそっと、彼から目をそらした。

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