春④

「――うん、今の状態ならまあ、この二つの大学はほぼ確実に受かるだろうな」

 私と竹林先生の間にある机の上には、大学の資料や私の成績に関する資料などが置かれている。私は竹林先生の言葉に、ホッと胸を撫で下ろした。

「ありがとうございます」

「ところで長谷川さ。お前、この大学受ける気、本当にないのか」

 先生の言葉と共に机の上に置かれたのは、とある音楽系の大学の資料だった。去年進路指導が本格的に始まってから、ずっと勧めれている大学だ。

「……何度も言ってるように、私の家には音楽を学べるだけのお金はないですし、私自身、ピアノは人に聞かせられるレベルまで弾けません」

「そのことなんだけどな。鈴村すずむら先生が気が済むまで教えてやるからいつでも来いって言ってたぞ」

 それも、ずっと言われている。本当は、何度か教えてもらいに行こうかとも思った。だけど、そのたびにその道へ進むためにかかるお金を見ては、行くのを諦めていた。

「音楽を学ぶことは金銭的理由で出来ないんです。でも、サークルとかの活動なら出来るかもしれないから、この二つの大学を選んでるんです」

「やりたいこと出来るのなんて学生のうちだぞ?」

「……音楽の道はお金がかかるのに、お金をかけたところでその道でご飯を食べていけるかどうかは確実じゃないんです」

 何度目になるかわからない言葉を言うと、先生は諦めたようにため息を吐いた。

「まあ、こればっかりはやりたい、だけじゃどうにもできないことではあるからな。だけど、後悔はするなよ?」

「……はい」

 私は机の下で両手の指を絡めてぎゅっと握った。後悔、するんだろうか。今の私の選択を、数年後の私は。将来の夢の作文でフルート奏者と書いた小学生の私は、今の私の選択を、恨むだろうか。

「んじゃ、進路の話はこれでいいか。他に何かあるか?」

「あ、鳴海君のことなんですけど」

「鳴海? あいつなんかやらかしたか?」

 先生の言葉に、私は慌てて首を横に振る。どれだけ信用されてないんだ。

「いや、やらかしてはないです」

「じゃあなんだ」

「彼、部活ってどうしたらいいですか?」

 あー、と声を漏らしながら竹林先生は頷く。このリアクションは、確実に忘れていたというリアクションだ。

「入っても入らなくても、自由にしていい。入る場合だけ声かけてくれって伝えといてくれるか?」

「分かりました」

「んじゃな」

 私が返事をすると、先生はひらひらと手を振って出て行った。私も荷物をまとめて進路指導室を出て――驚いた。

「鳴海君?」

「あ、やっと出てきた」

 そう。進路指導室から近い壁にもたれ掛かるようにして、鳴海君がいたのだ。しかも言葉からして、おそらく私のことを待っていたようで。もちろん待ち合わせなんてしていない。

「なんで……」

「あ、嫌だった?」

「驚いただけ、だけど」

「よかった。このあとなんか予定ある?」

 なんでそんなことを訊かれるのか分からず、私は小さく首を傾げる。

「今日は部活休みだから、少しだけ自主練していこうかなって……」

「よし、オッケー。それって何時くらいまで?」

「六時半くらいまでだけど」

「ん、じゃあ一緒に帰らない? ちょっと寄りたいところがあって」

「わかったけど、だいぶ時間あるよ? 大丈夫?」

 通常授業が始まり、七限目まであった今日は既に四時を少し過ぎている。そこから六時半までだと、二時間半は暇なわけだ。そんなに待つのなら、自分ならまた後日改めて、という形を取る。だけど鳴海君はヘラリと笑って、自分の顔の前で右手をひらひらと振る。

「大丈夫、大丈夫。俺、待つのは慣れてるんだ」

「そう……?」

「うん。じゃあ、俺校門で待ってるから」

 そう言うと、鳴海君はそのままどこかへと行ってしまった。とりあえず、校門の方向ではないことは確かだ。なんだかよく分からない人だ。

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