春②

「ねえ、長谷川さん」

 名前を呼ばれて横を振り向くと、鳴海君がこちらを見てにっこりと笑っている。

「よかったら、学校案内してもらってもいいかな」

「別に大丈夫だけど……」

 周りをそっと見回す。鳴海君は服装はともかく、そこそこ顔が整っている。それこそ、他に彼を案内したい人がいるのではないか、と思うほど。だが、目が合った瞬間にみんなすっと目をそらしていく。どうしてなのだろうと首を傾げると、鳴海君がいる方向とは逆の方向からトン、と肩を叩かれた。振り向くと、まっすぐに伸びた黒髪に眼鏡、そして学生手帳通りのきちんとした制服の着こなし、という見るからに真面目な男子、佐々木ささき君が立っていた。

「長谷川。もしアレだったら、俺が案内しようか?」

「ううん、私が案内するよ」

 なんで佐々木君にそういう気配りをされたのかも分からず、首を横に振る。彼は意味もなくこういうことを言う人じゃない。みんなの行動といい、佐々木君の言動といい、よく分からない。私は鳴海君の方を向く。

「じゃあ、行こうか」

「うん」

 にこにこと笑いながらついてくる鳴海君を背後に感じながら、私たちは教室を出る。瞬間、ちらちらといろんな方向から視線を投げられる。私は内心、首を傾げた。

「あ、灯香とうか先輩!」

 ふんわりとした声に名前を呼ばれて、私は後ろを振り向く。そこにはふわふわとした天然パーマをハーフアップにした女の子、神崎かんざきちゃんが立っていた。神崎ちゃんは嬉しそうに駆け寄ってくる。

「すぐに見つけられて良かったです。先輩何組になったか分からなかったから、三年生の教室片っ端から覗こうと思ったんですよ」

 でも勇気が出なくて悩んでたんです、と神崎ちゃんは柔らかく笑う。つられて私も微笑みを浮かべる。彼女が私を探していた理由は、彼女のうっすらと紅潮した頬を見た時点で分かっていた。だからそっと彼女の耳元に口を寄せる。

「佐々木君は今年も文化祭実行委員会よ」

 私の言葉にボンッと音がしそうな勢いで彼女の顔が真っ赤に染まった。それがとても可愛らしい。

「その子は?」

 後ろから声をかけられて、ハッとする。うっかり忘れていたが私は鳴海君に学校の案内をしようとしていたのだ。

 鳴海君が私に声をかけたことで、彼女も彼に気がついたのだろう。顔を上げ――彼女は笑顔のまま凍り付いた。

「おーい?」

 私が声をかけると、彼女はがたがたと震え始める。

「あ、もしかして俺のこと怖い?」

 ビクッと彼女の肩が震える。必死で首を横にぶんぶん振るが、もうその動作自体が、既に彼の言葉を肯定しているようなものだ。

 そこでようやく周りの視線の意味が分かった。みんな彼が怖いのだ。だからいくら顔が整っていても誰も彼を案内しようとしなかったし、佐々木君は、迷う私を見て私が怯えていると思って気を配ってくれたんだ。

 私は改めて彼を見る。派手な髪色も瞳の色も、クォーターだという彼の話が本当なら、生まれ持ったもの。本人の意思ではどうにも出来ないものだ。教師への言動は……ほめられるようなものではないけれど、でも荒くはない。その人のことを全く知らないのに、見た目の怖さだけで避けてしまうのは勿体無い気がする。それならば見た目だけでもどうにかするしかない。

「鳴海君」

「ん?」

「ワイシャツのボタンを閉めて」

 私の言葉に、鳴海君は首を傾げる。

「さっき竹林先生に、制服の着方知らないのかって言われてたでしょ? 教えるから。まずワイシャツのボタンだけど、開けていいのは第一まで。ネクタイは第二ボタン付近までちゃんと絞めて。ブレザーとカーディガンのボタンは全部閉める」

 言いながら、私は彼のシャツのボタンを閉めて、ネクタイも絞める。ついでにカーディガンとブレザーもボタンをすべて閉める。これで上半身はなんとかなった。一つ頷くと、頭上から笑い声が降ってくる。どうしたんだろうと思って見上げると、思いの外近いところに彼の笑顔があった。驚きで、小さく悲鳴を上げて後退る。

「あ、赤くなった」

 その言葉に思わず頬に手をやる。両手で触れた頬は、ほのかに熱い。それが恥ずかしくて、私は彼を睨みつける。

「……なんで笑ってるの?」

「あれ、スルー?」

 明らかに楽しんでいる感じの声色。私はからかわれるのが嫌で、話を逸らす。それが分かったようで、鳴海君は軽く笑う。

「いや、なんか手際がいいなと思って」

「弟がいるからね」

 私には今年中学二年生になる弟がいる。これがまた制服をまともに着ようとしないのだ。だから家を出るタイミングが合うと、ついついいつも正してしまう。それが嫌なようで、最近は私が出るよりも先に家を出るようになってしまった。少し寂しい。

 そこまで考えて、もしかしたら結構失礼なことを言ってしまったのではないか、と不安に思ったとき、また彼が笑った。

「俺今そういうポジジョン?」

 まるで太陽のような無邪気な明るい笑みを、じっと見つめてしまう。

「なに?」

「いや、遠回しに弟みたいって無意識に言っちゃったから、怒るかなあ、と思ったんだけど」

「別に嫌じゃなーいよ」

 笑みを浮かべながら、彼はすっと後ろに下がる。

「で、あとは?」

「シャツの裾は全部ズボンに入れて。ズボンはちゃんと腰より上まであげて、指定の黒ベルトをして。それは流石に私には出来ないから、あとでトイレとかに行ってやってもらえるといいかな」

「ん、わかった。で、そこで顔を真っ赤にしてる女の子は誰?」

 鳴海君の言葉に、私は隣を見る。そこでは、小動物のようにフルフルと柔らかな天然パーマを震わせている神崎ちゃんがいた。気のせいか、顔がさっきよりもさらに赤くなっている気がする。

「だ、大丈夫?」

「せ、先輩、いつの間に彼氏が……」

「は?」

「あ、いえ、これ以上は野暮って奴ですよね! 佐々木先輩のこと、ありがとうございます、失礼します!」

「あ……」

 彼女は勢いよくお辞儀をすると、声をかけるまもなく全力疾走していった。途中で転びかけたが、大丈夫だろうか。

「すごく速い子だね。陸上部かな」

「短距離走の大会で何度も優勝してるみたい」

「そうなんだ。すごい子なんだね」

 どことなく楽しそうな鳴海君に首を傾げながらも、私はそのまま学校案内を続けた。

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