12:電車・妹
ズガンボン! という擬音が立ちそうなカバン・ブローが、居留守の顔面に炸裂した。
「……とにかく、新しく買った二台目を、早くも失くしちゃったってことか。母さんや父さんには言ったの?」
「うぅん、言ってない……すぐ失くすとか、ちょっと小学生みたいでバカにされるし」
るぅが「怒られるし……」とは言わないところが、樽内家の父母のおおらかさをよく表わしていた。
(けどまぁ、二回連続で失くしたりしたら、お咎めなしとは行かないだろうなぁ)
「良かったら、僕も一緒に謝るけど。どう? さすがに、彼氏じゃあ、こんな時にいっしょに謝るってのも何か違うしね」
「……うぅん、いい。私一人で謝る。もう子どもじゃないから」
「そう。うん、分かった」
子ども扱いされたことが不満なのか、るぅは腕を組んでぶすっとした。
「じゃ、それはいいとして、携帯はどうする? 僕の貸そうか」
「バカ兄貴のなんか借りてどうすんのよ? あんたに届いたメッセージとか、見られても良いわけ? あ、あんたにメッセージなんて来ないか」
「そんな軽い口ぶりで、急に弱点をえぐるのはやめて欲しいなぁ……いや、その、女の子のが、緊急事態とかのとき、携帯必要そうじゃない? だから、どうかなーと思って」
「……あっそ」
またそっぽを向いて――と、思いきや、るぅは逆の行為をした。居留守の目線より20センチも下から、じっと居留守の目をにらんでいる。
(るぅちゃんって、さいきん口ぶりが乱暴になったから勘違いしちゃうけど……ほんとにまだまだ、ちっちゃいんだよなぁ。はっきり言って小学六年生くらいでも通るよ、これじゃ)
中学の制服も、三年ほど着続けているはずだ。しかし、どちらかといえば制服に着られている。案外、超ミニスカートにしているのも、チビと見られるのを防ぐためなのかもしれない。
「……別に、ちょっとなくしただけなんだし、そこまでしていらない。緊急事態になったら……それこそ、彼氏いるしね。バカ兄貴なんかより、よっぽど頼りになるもん。それに、まだ探してないし。今日、学校で探してくる」
「うん、そのほうがいいね。……あ、そうだ! ていうか、スマホにGPS機能とかあるし、追跡してすぐ探せるんじゃないの?」
「そんなの、とっくに試したよ。でもダメ。GPS自体に、ぜんぜんひっかからなくって。落とした衝撃で壊れたのかも……」
「そっかぁ……じゃあ、とりあえず自分の足で探してみるしかないね。ファイト!」
るぅの肩に、居留守はぽんと手を置く。案の定、「触んないで!」と真っ赤な顔ですぐ弾かれたが。
「じゃあ次、田崎。この単語はどういう意味だ?」
「はい」
居留守のすぐ前に腰かけた男子生徒が、教師へ返事をした。
英語の時間である。小テストなどがあるわけでもなく、通常授業。なのに居留守は、不自然なくらいに汗をかき、教科書とにらめっこしていた。
(やばい……なんだこれ……"correct"ってどういう意味? わかんない……! 答えられなかったらどうしよう!)
もし、すぐ前の生徒が答えられなければ、こんどは居留守にお鉢が回ってくる。
しかし、居留守は英語が苦手だった。分からないものは分からない。ちなみに、授業中に英和辞書をひくことは禁じられている。本人の記憶勝負だ。その記憶がないのだから、お手上げだった。手は挙げないが。
「……すいません、分かりません」
「うーん、田崎は分からんか。じゃあ、次の生徒。えーっと――」
(や、やばい! 指される、指される!)
「チャン。分かるか?」
「は……はひぃっ……!」
居留守は指されず、代わりに後ろのリーファが指された。
(は、はああぁぁっ!? なんで僕が指されないで、すっ飛ばされてるんだよっ! いや指されても困るけどっ! 心臓に悪いなぁ、まったく……。影が薄いと、これだから困るよ)
居留守は深くため息をついた。
(なら、今度はそれを利用してやる……!)
次の時間は数学だった。幸か不幸か、居留守は数学も苦手科目である。というか基本的に、彼に得意科目はない。
奇跡的に、またも同じシチュエーション。前席に座る田崎が指される。次は、居留守の出番だった。
(ふっ……先生が僕に気づかないっていうなら、どうせ指されないはずだ! 問題なんか解かないし、腹いせに早弁してやるぞ! ざまーみろ!)
誰にざまーみろなのか、自分でも分かっていない。が、ともかく、彼はやる気だった。机の中から「中くらいのりんごデニッシュ」を召喚し、封を切る。先の休み時間中に、購買へ走って買ってきたものだった。
別に、居留守はまだ腹は空いていない。
ただ、「授業中に食べる」ために。校則を破るためだけに――それだけのために、彼は無駄な情熱と小銭を小悪魔へ捧げたのだった。
「えーっと、田崎くんは分からないか。じゃあ、次の席の――」
(田崎君も、僕と同じくらいバカなんだなぁ……英語も数学もダメとか、もう全滅みたいなもんじゃん)
もぐもぐとパンを食む。匂いや音もあるが、周りの生徒には気づかれていなかった。 居留守は得意になると同時に、惨めになるという、かなり高度な感情を覚えていた。
(ははっ! どうせいつもみたいに、先生も僕のことをスルーするんだよね。勝手にすればいいさ! なら僕は、その間に小悪党を極めてやる! いま僕が座っているこの席は、僕だけの聖域だ! 固有の領土だ!
「こらっ、樽内くん! 何飯なんか食べてるんだ!? すぐにしまいなさいっ!」
「へぇっ……? ……うぐっ、う、ごほ、ごほ、ゴホッ!」
同級生をバカにしたばちが当たったのだろうか?
驚きのあまり、居留守の気道にパンが入り込む。吐き出すために、げほげほと咳き込まなければいけなかった。
数学教師。
――この高校で、居留守を認識できた人間、四人目の登場だった。
(げほっ、ごほっ! ……うぅっ、どうせ、この後一度も登場しないくせに! ……ぁふっ、うぅんっ! ……余計な行数を……とるなよ!)
「……で、イルス。お前は何なんだよ? 挙動不審にもほどがあるぜ」
昼休み。フランが、豚肉のしょうが焼き弁当をほお張りながら言った。
「世の中おかしいよ……いつも全然人に気づかれないのに、ああいう要らないときだけ気づかれるなんて!」
居留守は、先のリンゴデニッシュの残りを片付けている。ご飯時に相応しくない、世を呪ったような悲惨な表情を浮かべていた。
「いくらお前でも、授業中に飯食ってたらばれるだろ。難儀な特徴だとは思うけどな」
フランは、やれやれ、と両手を上げた。
「今日も飛ばしてるみてぇだが。そういえば……お前、昨日のアレ、どうやったんだ?」
「アレって?」
「ほら、あのミサキとかいう女子と、いきなり抱き合ってたじゃねぇか。ビックリしたぜ。意外とお前も手が早いんだな」
「あっ、美咲さんね!」
急に元気になり、居留守は机をばんと叩いた。デニッシュを片手に、立ち上がる。
「いや、昨日のアレは、偶然転びそうになって、抱きついちゃっただけなんだけどさ……それは置いておくとしても、あんなにいい人いないよ! 可愛いし、性格いいし、もう最高じゃん!」
「うーん、可愛いってのはそうだが……性格いいかぁ? なんか……ちょっとおかしくなかったか、アレ」
「えっ、どこが!? 頭よさそうだし、親切だったじゃん!」
居留守がリンゴデニッシュを愛おしそうに抱きしめるのを、フランはため息交じりに見ていた。
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