11:体験入部・美咲 妹

 恥ずかしさを誤魔化すような苦笑いと、まんざらでもなさそうな微笑がミックスされていた。


そして美咲は、居留守の手を、自分の手でそっと覆う。美咲の手の温かい感触が、居留守の手の甲に伝わった。


 「あのーぉ、み、みみみみ美咲さま!?」

 「私が近くにいると、そんなに気持ち悪いかなぁ?」

 「いいえっ、けっして、そのようなことはっ、ございませんっ……けど!」


 居留守は、 緊張のあまり執事のような口調になった。さながら、お嬢様に誘惑される若執事――風のロマンスシーンが、唐突にオカルト研究部室に展開される。


 「ねぇ、今こんなことを言ったら、君は信じるかな?」


 がしっ、と居留守の頭がつかまれる。


 「はっ、はひぃっ!」

 「科学は幻想で、オカルトが本物。と、言ったら、君は信じる?」


 (なっ、何をいきなり……!?)


 居留守は、それ以上のまともな思考はできなかった。美咲は自分の口元に、居留守の耳を無理やり持ってきたのだ。コソコソという、優しく諭すような囁き声、その一言一句だけに夢中になっていく。


 「複雑さは幻想で、シンプルが本物だと言ったら?」


 「矛盾は幻想で、調和が本物だと言ったら?」


 「歴史は幻想で、伝承が本物だと言ったら?」


 「物質は幻想で、精神が本物だと言ったら?」


 「宇宙は幻想で、魂が本物だと言ったら?」


 「君は、どうするかな? どうしたい? そんなの決まりきってるって? それとも、少しは迷う?」


 「否定する? 批判する? こき下ろしちゃう?」


 「それとも、馬鹿にする? 見下すかな? 軽蔑するかな?」


 「それどころか、無視したりして。どこ吹く風? 気にも留めない?」


 「みさき……さん……」


 美咲がしゃべるたびに、「ふぅっ」という生暖かい吐息が、敏感な耳に触れる。催眠術にでもかけられたように、居留守の瞳はとろんと垂れていた。


 「無能力ゼロ・サイキックが幻想で、超能力が本物だと言ったら。君は、信じる? ねぇ、樽内くん。どう思う?」

 「み、美咲……」

 「君は、どう思う? 私は、どう思ってると思う?」


 美咲は、いまや居留守の頭と片手を抱えている。居留守のすぐ近くにあるカフェオレ色の髪から、とても甘い香りがして、鼻腔を刺激されていた。


「あのねー。私たち、仲良くやれると思うのよ」


 壁ドンどころか、もはや立場が逆転。美咲のほうが、居留守をダンスパーティにエスコートしているような格好だった。


 「ねぇ、聞かせて樽内くん。教えて樽内クン。ワタシニ、オ・シ・エ・テ……?」

 「ぼ、僕は……僕は……」


 ぐるぐると。ぼんやりと。ぽやぽやと。ふんわりと。


 居留守の視界が回転し、暗転していくように思えて――


 「よーっす! すまねぇ、携帯ここに置き忘れてきちまったぜ! いやぁ、いくら探してもねぇから、おかしいと思ったんだよなぁ……って。……何やってんだ、オマエラ?」


 部室の扉が開いていて。


 そこには、ポカンとした顔のフランが、立っていた。


 「あ、邪魔者」

 「……本音が漏れてるぞ」

 「あ、アマドール君。おかしいなぁ、帰ったと思ってたのに」

 「部室で白昼堂々、男子をとっつかまえてるほうがおかしいだろ……」

 「えー、なんでー? どっちかっていうと、居留守くんのほうが私に襲い掛かってきたんだけどなー?」


 美咲は、とぼけた声を出した。が居留守をがっちり抱きしめ、離そうとはしない。その上、いつの間にか苗字でなく、下の名前呼びになっている。


 居留守はようやく我に返った。


 「わ、わ、わ、わぁ~っ! ち、違うフラン! これはっ、決して、やましいことはっ……?!」


 ばっ! と美咲の手の内から逃れる。混乱した居留守は、手をバタつかせ、脚をすべらせ、そして、


 「「あっ」」


 また転んだ。


 机の角に思い切り頭をぶつけ、居留守はノックアウトされた。



 「――と、言う目に昨日あってさ。いやーびっくりしたー……!」


 語り終えると、居留守いるすは満足げに、自分の頭にできたたんこぶを撫でた。


 いっぽう、居留守の妹、樽内たるうちるぅは軽蔑したようにそっぽを向く。しかし顔を向けた先で、他の乗客とぐうぜん目が合ってしまい、恥ずかしくなったのか、すぐに居留守のほうに向き直った。


 「……何それ、キモっ! バカ兄貴がいきなり女の子にちやほやされるとか、オリオンありえないんですけど? 」

 「またオリオン? なんかるぅちゃん、そればっかり言ってる気が……」

 「言わせてるのは誰よ。バカ兄貴がマジありえないから、何回も言っちゃってるんでしょ! っていうか、バカ兄貴に優しくする人がいるなんて、ウソとしか思えない……」

 「いやいやっ、優しくしてくれる人くらいいるでしょ。さすがに」

 「誰よそれ」

 「るぅちゃんとか」


 居留守はぼそっと言った。


「は?」


 るぅは剣呑な声を発し、居留守の喉仏をゴロゴロしはじめる。こんど余計なことを言うと喉を押しつぶすぞ、という脅しかもしれない。居留守は、ビクビクゥっ! と体を引きつらせた。


 るぅは次第に、ハムスターのように頬を膨らませる。


 「ていうかその先輩、罰ゲームか何かでやらされてるだけじゃないの? バカ兄貴なんかに、なんでそんな積極的になるのよ? おかしいっしょ」

 「そっ、そんな! 美咲さんにかぎって、まさかそんなことがあるわけ! きっと本当に良い人なんだよ……そうに違いない! オカルトに詳しいし、微妙に超能力使えるし! 美咲さんはきっと、天から舞い降りた女の子なんだよ!」 

 「うっわ~、調子乗って名前呼びとか、マジひくわ~」

 「るぅちゃんのことも名前呼びしてるけど?」

 「私はバカ兄貴呼びでしょ! それがひくっつってんの!」


 走ると金髪ツインテールが駆動炎のように見える、このアクティブかつアグレッシブかつグレかけな妹。


 今日、居留守は妹と電車で連れ立っている。彼女が、いつもより遅かったからだ。


 居留守は早起きが苦手だ。


 妹のほうが、先に学校へ行ってしまうのが常だった。それが、なぜか今日だけは違う。


 「るぅちゃん、何で今日遅かったの? 電車どころか、家から駅までの道のりも、僕といっしょの時間なんて。……ハッ?! ひょっとして、僕モテ期なの?」


 ぐりゅりゅっ! といやな音をたてて居留守の喉仏がつぶれた。


 「なわけでないでしょ」

 「あ……あ……よ、良い子は真似しないでね……っ」 

 「なに電車の外にむかってアピールしてんの? そんなとこ誰もいないじゃない……で、話を戻すけど、私こないだ携帯失くしちゃったのよ。それで、ちょっと探し回ってたってだけ」

 「ふーん、そうだったんだ。そりゃあ大変だ。そいえば、入学式の朝も携帯出してなかったけど、ひょっとしてあの時も?」

 「よく覚えてるわねアンタ。……そうよ、あの時も失くしてたの。でも、あの後どうしても見つからなくて。携帯の会社に連絡して、携帯止めてもらったのよね」

 「なるほど。んじゃ、これから代わりのやつ買うの?」

 「……」


 急に、るぅは黙りこくった。


 「いや、もう買った」

 「……は?」


 兄妹は沈黙した。


 (買ったなら、なんで今出さないの?)


 居留守は訳がわからなかった 。


 ついでに、その満員電車の中で誰もしゃべってる人がいなかったので、一車両まるごと静かになっている。乗客全員に会話を聞かれているようで、居留守はたいへんきまずい。


 「……二台目を買ったのよ! だけど、また失くしちゃったの! なんか悪い!?」

 「えぇっ!? そうだったの!? いや、悪くはないけど……なんで、そんな頻繁に失くすのさ。カルシウム足りてないんじゃないの?」


 るぅは「何言ってんの? アンタ認知症?」という顔をした。


 「カルシウムに、落し物をしにくくなる効果なんてあった……? ないでしょそんなの」

 「いや。そっちじゃなくて、怒りっぽい方」

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