農協おくりびと (79)送りオオカミは、ご法度だ
帰ると言っても、町の中心部まで3キロ以上も有る。
田んぼ中の道を1キロあまり歩かなければ、大きな通りへ出られない。
逆方向に有る尼寺の臨勝寺は、此処から北へ2キロ余り。
女の足でおよそ30分、何もない暗い道をトボトボと歩くことになる。
大きな声を出しても、絶対に周りに迷惑を与えない、好立地。
それが此処。忠治の軍師・日光の円蔵の遠縁が経営している、カラオケ屋だ。
周囲1キロ四方に、まったく民家がない。
畑の農作物に悪影響を与えるということで、街灯もろくに設置されていない。
ひとりで飛び出した恵子は、灯の無い夜道を寂しく歩くことになる。
そのことに最初に気が付いたのは、祐三だ。
「松島。何が起こったなどと、少ない脳みそで考えている場合じゃない。
表はすでに真っ暗だ。
理由は何であれ、うら若い女性を、たったひとりで暗い夜道を歩かせたのでは、
地域消防団のメンツにかかわる。
すぐに後を追え。いやだと言っても、無事に臨勝寺まで送り届けろ」
「あ・・・」と松島が、我に戻る。
「すぐ行け。躊躇するんじゃねぇ。ポロポーズはあと回しだ。
地域を守る俺たちが、若い女の子を危ない目にあわせたんじゃ立場がなくなる。
これは上官からの命令だ。行け。走れ。さっさと行け!、松島」
「はい!」と松島が、縄から離された猟犬のように、駆け出していく。
「あ。ちょっと待て、松島。
道が暗いからと言って、送りオオカミは御法度だぞ。
恵子ちゃんがその気になって誘っても、絶対に手なんか出すんじゃねぇぞ。
分かってるだろうな、男としてそのくらいのことは」
「わ、わかってますよ。
送りオオカミと言うのは、スケベな男と言う意味じゃないことくらい、
このあたりの男ならは、ガキの頃からみんな知っていますから」
「泣き顔と涙にも騙されるな。
女の涙というやつは、何倍も女の顔を可愛く見せるからな。
雰囲気に引き込まれてうっかり手を出すと、あとで引っ込みがつかなくなる・・・
あ・・・別に構わないのか。手を出しても。
さっきまで、熱くプロポーズしていたばかりだものな、お前さんたちは」
「なに馬鹿なことばかり忠告してんのさ、あなたったら」
良いから早く、恵子ちゃんの後を追いなさいと、祐三の背後から妙子が叱咤する。
「はいっ」と答えた松島が再び廊下を、猛烈な勢いで駆け出していく。
「そういえば、このあたりの神社には狛犬ではなく、オオカミが祀られていますなぁ。
なんや不思議やと思っていましたが、特別な由緒でもあんのどすか?」
「昔からのことさ。
このあたりでは神社参拝の帰り道、オオカミが送ってくれることになっている。
一の鳥居で礼を言い、オオカミに帰ってもらう。
とげが刺さっているオオカミを助けたら、お礼に山道を送ってくれるようになった
という話も有る。
神社以外でも、オオカミに送ってもらったという話はたくさん残っている。
ぞくにいう、送りオオカミってやつだ。
女性を家まで送って行ったあと、乱暴を働くという男という意味も有るが、
本来の送りオオカミは、乱暴することなく行儀よく人を送る」
「下心の有る男性や、乱暴を目的とする男のことを送りオオカミというんは、
今風のこじつけなんどすか。
紳士どすなぁ。このあたりに住んでいるオオカミは」
「オオカミは、自らのなわばりの中を人間が通りかかると、
後をついてなわばりの外まで監視する、送り行動という習性を持っている。
人を襲うためではなく、自分の家族の安全を守るためだ。
もちろん、人間に危害はくわえることはない。
むしろオオカミが近くにいることで、イノシシやクマから安全になる」
「ということは恵子ちゃんは、送りオオカミさんに安全に守られて、
無事に、寺まで帰りつけるという訳どすか」
「あわてて逃げたり、転んだりしないかぎりは、無事だろう。
オオカミはウサギやシカなどが逃げると、本能的に追いかけてしまう習性が有る。
相手が逃げたり、不意の行動をとると、突発的に襲ってしまう。
転ばないようにゆっくり歩けば、送りオオカミはなわばりの外まで
安全に送ってくれるはずだ。」
「そうどすか。何も起こらないというのは、逆の意味で盛り上がりませんねぇ・・・
恵子ちゃんに、走って逃げろと電話を入れようかしら。うふふ」
(80)へつづく
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