農協おくりびと (76)告白は、バラードに乗せて
「ボク、歌います」松島がとつぜん、立ち上がった。
会話が消えている重い空気を、一気に変えようという腹つもりらしい。
カラオケボックスの部屋にいるのは、いつもの男女4組のメンバーだ。
だが独身3人衆のうち、キュウリ農家の山崎は呑み潰れたまま、
ちひろの膝に頭を置いて、床に大の字に伸びている。
もうひとり。ナス農家の荒牧も、先輩の肩へさっきから顔を埋めたままだ。
こちらもすでに、深い眠りの中へ落ちている。
立ち上がった松島も、足元はフラフラだ。
酔い潰れている2人と同じように、こちらも限界ぎりぎりまで酔っている。
それでも最後の力を振り絞り、マイクを握って松島が立ち上がった。
「バラードでもいいですか?」松島が、恵子の顔を覗き込む。
「ハイ」と小さくうなずく恵子に向かって、
「じゃ、聞いてください。恵子さん。
ぼくが全身全霊をこめて君のために歌う、愛のバラードを」
「はい」と嬉しそうに、もう一度恵子がうなづく。
だがそれを聞いていた祐三が、いきなり顔をゆがめる。
「笑わせるな。百姓のお前が愛のバラードを歌うだって?・・・
冗談は顔だけにしろ、松島。
相手は、仏門に生きている尼さんだ。
愛を告白するのなら、普通は演歌か、流行歌が定番だろう?」
「あっ・・・いや、バラードと言っても、そこまで洒落た歌じゃありません。
12年前にSMAPが歌った、世界でひとつだけの花です。
♪~そうさぼくらは 世界に一つだけの花、という部分が大好きなんです。
恵子ちゃんは僕にとって、世界でひとつだけの花ですから」
「この野郎、うまいことを言うな。馬鹿野郎、格好つけ過ぎだぁ!」
いきなり立ち上がる祐三を、「まぁまぁ」と妙子が背後から引き留める。
「若い人たちには、若い人たちなりの感性が有るんどす。
ええ大人がいちいち目くじらを立てとったら、若い人たちの立場がおまへん。
ここは押さえてください。うちの顏に免じて。うふふ」
と背中で妙子がニコリと笑う。
「そうか。妙子ちゃんがそんな風にいうんなら、俺もこれ以上の無理は言わねぇ。
バラードでもシャンソンでもなんでもいいから、さっさと歌え、松島。
そのかわり。恵子ちゃんのための歌を唄い終えたら、次は俺たちが
銀座の恋の物語を歌うからな。
そのつもりで、さっさと終わりにしろよ。お前の歌は」
(出た!。祐三さんが歌える、たったひとつの定番ソングだ!)
祐三さんをなだめるのも大変ですねぇと、先輩が妙子に微笑みをおくる。
(大丈夫どす。こう見えてもウチ、出家する前は、都会でホステスをしとったんどす。
酔っぱらった男を丸めこむのに、デュエットは好都合なんどす。
腕を組んで、頬を寄せ、甘い声で男の好きなデュエット曲を歌ってあげれば
男なんか、あっという間にイチコロで落ちてしまいますからなぁ)
うふふ、任せておいてくださいと妙子が、片目をつぶる。
「すみません。皆さん、もう歌ってもいいですか?」
スピーカーから、バラード風のイントロが流れてくる。
「3年前。僕の彼女が、同期の男に乗り換えたのを知った時。
彼女への愛が、音を立てて砕け散りました。
女なんてやつは、信じるのに値しない生き物だ。
僕はそのとき、もう2度と女に惚れるものかと心に誓いました。
そう決意して、会社を辞め、トマト農家になるために
田舎へ戻ってきました・・・」
(おいおい。歌じゃなくて、告白みたいなものがはじまっちまったぞ。
長いバラードになりそうだ、こいつは・・・)
想定外の展開になりそうだと、祐三が口を歪める。
険しい顔をみせている祐三の口元へ、妙子が「野暮は言わないの」と人差し指を押しあてる。
(余計なことは言わんといて。ここはおとなしく、黙って聞きまひよ。
松島君と恵子ちゃんの、この世にひとつしか咲かないお花のはなしどすえ。
邪魔をしたら、馬に蹴られて、地獄へ落とされてしまいます。うふふ)
(77)へつづく
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