農協おくりびと (72)一ヶ月後も、元気なネギ
「それって、良いことずくめじゃないですか。
アメリカからやってきた、効果絶大な農薬と化学肥料の登場。
それから優性遺伝を持つという、F1のタネ。
開拓で、農地の拡大にも成功したことだし、これで日本は戦後の食糧難から
脱却することが出来たんでしょ」
「おう。アメリカ式の農法は、農業に画期的な前進をもたらした。
大きくて形の揃った野菜が大量に育つようになったからのう。
農薬を使えば、生産効率も良くなる。
何から何まで、いいことずくめに思えたアメリカ式の農法だが、
すぐに弊害があらわれた」
「弊害があらわれた?・・・なんでですか?。
どこかに予期しない落とし穴が有ったのですか、もしかして」
「大きくて形の揃った野菜が、大量に育つようになった。
だがその一方で、野菜の味が損なわれた。
野菜の持っている旨みが、薄くなってしまった、ということじゃ。
無理もない。
力のない土地へ、大量の化学肥料を入れて、強制的に野菜を育てていくんだ。
見た目はたしかに良くなった。だが、いつの間にか野菜の中身が変りおった。
それに最初に気が付いたのが、老農じゃ。
農薬と化学肥料に依存し過ぎると、いろんな弊害が生まれることに、
老農は気がついた」
「過保護に育てると、肥満児になりやすいことと一緒なのかしら?。
わたしたちの世代は、画一的に造られたいまの野菜しか知らないもの。
本当の野菜の味なんか、最初から知りません。
別に気にしなくてもいいんじゃないの。いまのままでも」
「現代っ子じゃのう、お前さんも・・・
野菜の味だけじゃない。
いいか。ある日突然、自然界の中に小さな変化が起こる。
田んぼの脇を流れていく小川から、小魚が消える。
きのうまでスイスイ泳いでいたメダカや、タナゴの姿が消えちまう。
砂の中に住んでいた、シジミやドジョウまで消える。
そのうち田圃の畔から、いつの間にか、ホタルの姿が消えていく」
「あ・・・昔はこのあたりの田圃でも、ホタルの乱舞が観られたという話を
亡くなった祖母から、聞いたことが有ります」
「小魚や小さな虫は、自然環境の変化に敏感だ。
農薬と殺虫剤の使い過ぎが、長年守られてきた田舎の環境を破壊しはじめたんだ。
それだけじゃないぞ。
野菜に残った農薬は、実は、有害だ。
使い過ぎた農薬のせいで、食の安全までがおびやかされはじめた。
老農はそんな変化に、いち早く気が付いた」
「あ・・・それと似た体験が有ります。
ネギが不作で、中国からネギを輸入したことがありましたよねぇ。
買ったまま1ヶ月も放置したネギが、冷蔵庫の中から、
まるで昨日買ったような、ピンピンした状態で出てきたことが有ります。
青々としたままでした。ホント凄いんですねぇ、農薬の力は」
「こらっ。何でもありの中国のネギといっしょにするな、日本の農業を。
だが日本の農業が、危ない瀬戸際に立たされたのは事実だ
農薬と化学肥料の使い過ぎに、警鐘が鳴らされた。
その頃からのことだな。
老農を中心に、本格的な土壌の研究がはじまったのは」
「それが2つ目の、老農の功績ですか。
そうすると、老農のその頃の頑張りが有るから、叔父や祐三さんたちの
有機農法が存在することになります。
凄い人だったんですねぇ。今日みなさんから見送られる老農は・・・」
「おう。ワシらのこころの師匠じゃからなぁ。老農は」
惜しい人を亡くしたもんだ、と長老が立ち上がる。
「レキチャーありがとうございます。たいへん参考になりました」
ちひろが、長老に向かって深々と頭を下げる。
「礼を言うとは、お前さんらしくもない。
いつものように、ニコッと笑って老農を送り出してくれ。
今日のワシは、老農の遺影に向って弔辞を読まねばならん。
誰かと老農の思い出話をしたかったが、お前さんがここで聞いてくれて
感謝をしておる。
頭を下げて感謝したいのは、ワシのほうじゃ。
どれ。みなが集まってきたようじゃ。お前もそろそろ式の準備にかかれ。
ワシもぼちぼち、弔辞を読む心の準備をはじめよう」
(73)へつづく
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