農協おくりびと  71話から80話

落合順平

農協おくりびと (71)アメリカ式の農法


 「食糧不足を打開するため、政府が総力を挙げて取り組んだ農業政策が、

 昭和21年からの緊急開拓事業5か年計画じゃ。

 おおくの開拓民がたかい志しを持って、全国の開拓予定地へ入植した。

 群馬では赤城山の西麓地区や、嬬恋村の開拓が有名だな」


 「嬬恋って、キャベツ畑の真ん中で愛を叫ぶ、あのつま恋村のことですか?」


 「高原一面に広がるつま恋のキャベツ畑は、戦後の開拓によって生まれたモノじゃ。

 群馬県下の開拓地は、ぜんぶで1267地区におよぶ・

 国を挙げての開拓事業じゃったからのう。

 だがどこの開拓地でも、おおいに苦戦し、困難を極めた。

 北海道では、人が踏み入れたことのない原生林を切り開いた。

 関東では平地の防風林や、平地林が開拓の対象になった。

 しかし。開拓の本当の困難は、農地が誕生したところからはじまるんじゃ。

 考えてもみろ。開墾された土地は、人も住まなかった不毛の地じゃ。

 痩せた大地に、作物を育てる力など無い。

 北部に誕生した平地林の例を見れば、よくわかる。

 平地林も最初のうちは、小指大のサツマイモしか育たなかったというからな。

 開墾された土地は次は、いかにして作物を育てるかの問題に移った」


 「開墾運動の先頭に立った老農が、またまた、指導力を発揮したのですね。

 無毛の地を、豊穣の地に変えるマジックを使ったのですか?」


 「単純なおなごじゃのう、お前は。そんなたやすいことではない。

 戦前は作物を育てるために、糞尿やたい肥を使った。

 不衛生であるが、小さな土地で作物を育てるには好都合だった。

 終戦直後まで日本の農業は、地力に頼って作物を育てる自然農法が中心じゃった。

 だがこの農法には限界がある。

 生産効率が悪い上に、出来上がった野菜は不揃いで、外観もまちまちになる。

 土が持っている栄養だけで野菜を育てるのだから、結果的にそうなる」


 「形が揃っているいまどきのお野菜と、ずいぶん違いますねぇ。

 糞尿と堆肥だけでは、畑の栄養が足りないのですか?」


 「窒素・リン酸・カリ、この3つが、作物を育てるための要素じゃ。

 だが戦前の自然農法は有機微生物の働きに依存した、まったりとした農法じゃ。

 この程度の畑の力では、大量生産はできん。

 形や品質をそろえることなどは、まず不可能といえる」


 「生産能力が向上しなければ、開拓で農地が増えても意味がありません・・・

 戦前からの自然農法に、限界があることは良く分かりました。

 ではどんなふうにして戦後の農法が、改善されてきたのですか?」


 「おっ、ようやく喰いついてきたな、お前。

 それでこそ農協の職員じゃ。

 地力に富んだ土壌ができあがるまでは、長い時間がかかる。

 緊急を要する食糧難の時代に、呑気は言っておれん。

 それを一気に打開するため導入されたのが、アメリカ式の化学農法だ」

 

 「アメリカ式の化学農法?。

 機械化された近代農法が、戦後の農地に導入されたのですか?」


 「アメリカは大きな土地で、大きな機械を使う、農業の先進国じゃ。

 猫のひたいの小さな土地で作物を育てる我が国とは、事情が異なる。

 農業大国から運び込まれたのは、害虫を駆除するための大量の農薬じゃ。

 強制的に作物を育てるための、大量の化学肥料も導入された。

 アメリカから来た農薬と化学肥料を使うと、作物が同じ形に大きく育った。

 さらにもうひとつ。従来からの農法を変えたモノが有る。

 それが、タネじゃ」


 「タネ?。タネにも、秘密が有るのですか?」


 「日本の農産物は、在来のタネを受け継いだものじゃ。

 農家は野菜の出荷が終ると来年のために、残した野菜からタネを採る。

 翌年、それらがまかれて、地方特有の在来野菜になる。

 だがアメリカからやって来た農法は、野菜のタネの伝承を変えた。

 化学肥料とマッチするように、種苗会社があたらしいタネを作り出す。

 それがF1と呼ばれる、あたらしいタネじゃ」


 「自動車レースのF1のように、タネが畑の中を疾走するのですか?」


 「馬鹿もん。タネが畑の中を走って、何とする。

 メンデルの法則、『優劣の法則』を応用したタネのことじゃ。

 異なる性質を持つ親同士をかけ合わせると、第一代の子(F1=雑種第一代)は、

 両親の性質のうち、優性だけが現れて劣性が陰に隠れる。

 優性遺伝子だけが出現するため、F1野菜は同じ形によく揃う。

 かくして地場の野菜は消え、F1のタネが、日本中の畑で使われるようになった」

 


(72)へつづく

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