第一章8 王女のお願い
第一章8 王女のお願い
「夜のお城って、結構雰囲気あるな……学校で肝試しをしてるみたいだ……」
夜。航大は昼間とは一変して不気味な静寂に包まれたハイラント城内をひとりで歩いていた。昼に城を歩いた際は、そこかしこから談笑の声が聞こえてきたのだが、流石に深夜にもなろうかというこの時間には、人の声はもちろん、誰かが歩く靴音すら聞こえてはこない。
ルズナに案内された道をうろ覚えながらにして、航大はある場所を目指して歩を進める。
こんな夜中にどこへ向かっているのか、それはこの国の王女……シャーリーの部屋だった。
「……それにしても、こんな夜中に呼び出すなんて、王女も我儘だなぁ……」
夜空に輝く月明かりを頼りに、航大はゆっくりと、しかし確実に王女の部屋へと近づいていく。
異世界では珍しい格好をしている航大、こんな時間に誰かと鉢合わせてしまったら、その怪しさから拘束される可能性だって捨てきれない。その際に、王女に呼び出されたんだ……なんて言っても、誰も信じてはくれないだろう。
王女からの手紙、航大はそれを読み解くことができなかったが、そこはユイが代わりに文字を読んでくれた。心配だから自分も付いていくと駄々をこねたユイだったが、夜も遅いことが幸いしてか、ユイは今、ベッドの上ですやすやと静かな寝息を立てている。
「さて、あそこを曲がれば……」
見慣れた光景が広がってきたのを感じる。このまま直進して、突き当りを右に曲がればそこに王女の自室が存在する。
「……それにしても、王女の部屋が近いのに警備とかいないんだな」
王女の部屋がすぐそこに迫ってきて、そこで航大はあまりにも簡単に辿り着きすぎてしまっているのではないかと、思案する。
仮にも一国の王女である。いくら国が平和であるとは言っても、警護の一人も付けないなんて不用心にもほどがあるのではないだろうか。
「……まぁ、それはこれから聞いてみればいいか」
国の警備に一抹の不安を覚えながら歩けば、航大は仰々しい装飾が施された扉の前までやってきていた。後はこの扉をノックすれば、その先には王女がいるのだろう。
またもや、昼間の出来事を思い返す。
ルズナに案内されてやってきた王女の自室。
そこで見た衝撃的な光景。王女から何度も念を押されて記憶を抹消するように命令されたが、一日経った今でも、航大の脳裏には王女、シャーリーの美しい身体が記憶から消えてはくれない。
「……はい」
ドアをノックする。
あまり音を立てないように細心の注意を払いながら、静かに、それでも向こう側に届くような絶妙な力加減でドアを叩く。
しばらくの静寂。
そして扉の向こうから小さく王女の声が聞こえてきた。
「……どうぞ、入って」
「し、失礼します……」
ドアを開ける。
ゆっくりと音もなく開いていく扉に、緊張を禁じ得ない。
さすがに今回は王女の方から返事もあるのだ。昼間のようなことにはならない……と、確信しつつも心臓が早鐘を打ってしまうのを、航大は止めることができない。
「よかった。来てくれなかったならどうしようかなって思ってたんです」
「い、いや……王女から呼ばれたら行きますよ……」
「ふふ、ありがとう。さぁ、入って」
扉を開けた先、そこに確かに王女が居た。しかし、昼間に謁見の間で見た王女とは、印象がかなり違っていた。まず宝石が散りばめられた王冠をかぶっていないし、ドレスだって着ていない。美しい白銀の髪は月明かりに濡れて光り、ワンピースタイプのレースが印象的な部屋着に身を纏っていて、王女のプライベートを間近に、航大は身分の違いこそあれど、目の前の少女に親近感を覚えずにはいられなかった。
◆◆◆◆◆
「それで、こんな時間に呼び出して何の用なんだ?」
「はい、それを今からお話しようと思います」
王女の部屋に通され、窓際に設置されていた椅子に腰掛ける。
椅子は二脚あって、航大の向かい側に王女はゆっくりと腰掛ける。
月明かりに照らされる王女は、ただ椅子に座っているだけで絵画に描かれた女神のような美しさを感じる。あまり美的感覚に自信のない航大ではあったが、目の前で物思いに耽るような表情で夜の外を見つめる王女を見て、一種の感動すらも覚える。
「今日、貴方をお呼び出ししたのは、一つだけ……協力して欲しいお願い事があるからです」
「俺にお願い事……?」
「……はい。貴方……いえ、正確には貴方たちにしかできないお願い事です」
少女は視線を航大に向けて固定すると、真剣な表情で言葉を紡ぎ出す。
「俺たちってことは、ユイにも協力して欲しいってことか?」
「……ユイ。あの方はユイというお名前なんですね。お昼に名前をお伺いした際には名前はないとおっしゃっていたので……」
「あぁ、まぁ……色々と事情がありまして……王女様の前で緊張でもしてたんじゃないですかね」
「……そうですか。それなら、私のことも王女様……ではなく、シャーリーと呼んでください。私も名前で呼ばれる方が気が楽ですので」
「でも、王女様を呼び捨てだなんて……」
「ふふ、それならこうやって二人きりの時だけでもいいので」
優しく微笑み、どうしても名前で呼んでほしいとお願いしてくる。
重ねてお願いされて、航大もこれ以上の抵抗を諦める。確かに、王女様って呼ぶよりも名前で呼んだほうが親近感も湧く。
「じゃあ、シャーリーって呼ぶようにするよ」
「はい。それでは、私の方は貴方をなんてお呼びすれば?」
「俺は航大でいいよ」
「コウタ……航大……わかりました」
航大の名前を脳に刻み込むように、シャーリーは何度も何度も航大の名前を呟く。
言葉遣い、雰囲気、どれをとっても昼間のシャーリーとはえらい違いだ。年不相応に大人びた彼女の様子に、航大はどうしても違和感を拭い去ることが出来ない。
「昼間とは、かなり印象が違うんだな」
「……そうですか?」
「そうそう。だって、俺が着替えを覗いて――」
「それについては、記憶を抹消するようにお願いしましたよね?」
「…………」
墓穴を掘ってしまった。
シャーリーはニコニコと満面の笑みを浮かべてはいるのだが、どう見ても目が笑っていない。ピクピクと表情筋が痙攣していて、まだ記憶を抹消していなかった航大に対して、少なからずの怒りを覚えているのは間違いない。
「もう。あれはルズナが悪いのです。あの人はいっつもいっっつも、ノックをしてからドアを開けるのが早いんです」
「そ、そうなんだ……」
「そうです。何度、注意しても改善されないんですよ。本当に信じられません」
航大のあの言葉が何かのスイッチを入れてしまったのか、シャーリーは薄暗い中でもよく分かるくらいに、頬を朱に染めて自分の側近であるメイド長の愚痴をこぼし続ける。
その時、航大は愚痴をこぼして饒舌に話す少女の今の姿が素であることを確信していた。
王女と呼ばれ、国政を担う立場にあるからこそ、先ほどのような固い対応をするが、本当のところは年相応の幼さが残っているのだ。
「あはは、そんな感じで話してくれていいよ」
「あっ……私ったら、また変な感じに……」
「いいんだって。シャーリーはそんな感じの方が絶対にいい」
「そ、そうですか……?」
自分が愚痴をこぼして口調が乱暴になっていたのを自覚したのか、航大の言葉にシャーリーの頬はさらに赤く染まる。
「それで、本題に入ろうか?」
「あ、はい。お手紙を出して航大を呼んだのは、あるお願いをしたいと考えたからです」
「そのお願いってのは?」
「……私、外に出てみたいんです」
静かな部屋にシャーリーの力強い声が木霊する。
今、目の前の少女が何を言ったのか、航大はしばらくの間呆然として、確かに鼓膜を震わせたその言葉の意味を脳裏で何度も反芻させるのであった。
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