第一章7 貧民街の少女と大事な名前

第一章7 貧民街の少女と大事な名前


「おにーさん、ここら辺の人じゃないでしょ?」


「まぁ、そうだけど……」


「あははっ! やっぱり、そーだ!」


 魔導書店を出た航大に話しかけてきたのは、まだ年若い少女だった。航大と同じ年くらいで、背丈は航大よりも頭一つ分くらい小さい。華奢な身体をしていて、少し着古した印象のあるダボダボなシャツと、ホットパンツという出で立ちで、上半身や下半身に露出の多い格好をしている。


 ボロボロな服に似合わない、美しい金髪を肩の上くらいで切り揃えていて、何よりも一番印象的なのが、無意識の内に息を呑んでしまうほど整ったその顔立ちである。

 どことなく、ハイラント王国の王女であるシャーリーと顔立ちが似ていて、二人が並んで歩いていたら、家族か何かと間違えるのではないかというほど。


 実際、航大も声をかけられた時はシャーリーが変装をして、城から抜け出してきたのではないかと疑ったくらいだ。


「んー? アタシの顔に何かついてる?」


「あっ、いや……そういう訳じゃないんだけど……」


「はーん、おにーさんってばアタシの顔に見惚れてたんだー?」


「なっ……そうじゃないって!」


「へぇー? まぁ、こんな可愛い子に声かけられたら、そーなっちゃうのも仕方ないよねっ」


「可愛いって自分で言うか……」


 前言撤回。

 王女と並んで歩いたら家族と言ったけど、似てるのは外見だけだ。

 とても国を治める王族のような気品だったり、常識というものが欠如している。


「それで、何の用だ? 金だったらもってないぞ」


「あー、アタシを物乞いか何かと勘違いしてるでしょ!」


「ん、違うのか?」


「違うっての! まぁ、確かにちょっと貧乏だけど、そんなレベルじゃないし!」


 航大の言葉が癇に障ったのか、少女はぷくーと頬を膨らませて、頬を赤く染めるとそっぽを向いて怒りを露わにする。

 見た目の割に子供っぽい性格をしているのが面白くて、普段はあまり人と話すことのない航大でも、気づけば少女のペースに乗せられて会話に花を咲かせてしまっていた。


「まぁー、ちょっと見慣れない格好をしてたから、気になった的な感じ?」


「それって逆ナンって奴じゃ……」


「ぎゃくなん?」


「あっ、そうか……異世界には逆ナンなんて言葉はないか……」


 聞き慣れない単語に首を傾げる少女を見て、航大は自分が異世界にいることを実感する。

 ここは確かに異世界であって、周囲を見渡しても不思議な形をした建造物が立ち並んでいるし、トカゲがそのまま大きくなったみたいな生物が馬車を引いていたりと、改めて見ればこの世界はあまりにも現実世界とはかけ離れている。


 人と話して、色んな場所に訪れることで、航大は異世界という存在を否応無しに意識させられるのであった。


「おにーさん、変なの」


「まぁ、俺からしたら変なのはそっちなんだけどな」


「まぁ、おにーさんも暇ならアタシにちょっと付き合ってよ」


「……付き合うって、怪しいことはやらないぞ」


「あ、怪しいことっ!? もしかして、おにーさんそっち目的だった?」


「そっちって、どっちだよっ!」


「あはははっ! おにーさんってば、顔真っ赤だよー?」


 航大の言葉を湾曲に捉え、からかってくる少女。

 端正な顔をくしゃくしゃに歪めて笑う少女を見て、航大は最初に抱いていた疑いを心の中から消し去るのだった。


◆◆◆◆◆


「ここは城下町・ハイラントの一番街」


「一番街?」


「ハイラントの城下町は、大きく分けて四つのエリアに区分されてるんだよ。お城を囲むようにして広がってる街を綺麗に四等分した感じ」


「へぇ……」


「で、私たちが今いるのが一番街。唯一、お城に入るための正門が用意されてて、人が一番出入りする場所」


「お城に入るには一番街しかないのか」


「まぁ、警備の都合とかあるんじゃないかな? 一番街は色んな人が通行したりするから、お店とかもいっぱいあるし、いっつも人がたくさんって感じ」


「なるほどねぇ」


「でも、一番街ってお店が有りすぎて、ハイラントの国民はほとんど暮らしてはないんだよね。国民が生活をしてるのが、これから行く二番街」


「へぇ、住宅地的なのがあるんだな」


「そうそう。ほら、ちょっと雰囲気が変わってきたでしょ?」


 少女と二人で歩き出してからしばらくの時間が経過した。少女は何も知らない航大のために、城下町のことを隅から隅まで丁寧に紹介してくれていた。

 あちこち指差しては笑みを浮かべて、あの建物には何がある、こっちには何がある……と、ほぼノンストップで語り尽くしている。


「二番街に住民が居るって言ったけど、逆の方向にある三番街も二番街と同じような感じで住宅街が広がってるんだよ」


「二番と三番が住宅地ね……そしたら、四番街には何があるんだ?」


「……四番街はね、貧民街って呼ばれてるんだ」


「貧民街……?」


 ここまで底無しに明るく話をしていた少女の声が、一段と低くなる。

 低いとは言っても怒りに満ちてドスの効いた声を発したのではない、どちらかというと、その言葉に含まれていた感情は寂しい、悲しいといった分類のものだ。


「格好を見て分かっちゃうかもだけど、私は貧民街の生まれで、そこで育ってきたの」


「…………」


「人がたくさんいる一番街の正反対にある四番街。お金を稼げない貧困層って呼ばれる人が集まるようになって、いつしか貧民街なんて呼ばれるようになっちゃった」


「……でも、そんな状態になってるなら国だって何とかしようとするだろ」


「まぁ、普通はそうなんだけどね。前代の国王は自分の国なのに、四番街には目を向けなかった」


「なんで……?」


「さぁ、それは分からないけど、なんかこう……私たちみたいな負け組を集めておきたかったんじゃないかな? 街全体に負の人間が存在するより、一箇所に集めた方がいいんじゃないかって」


「そんなの……酷すぎるだろ……」


「私も物心ついた時はそんなことも思ったけど、まぁ貧民街での生活が長いと慣れちゃうものだよ」


 少女の淋しげな声が鼓膜を静かに震わせ、その言葉を聞く度に航大の心には大きな影が落ちてくる。


「ホントはね、おにーさんはこの国の人じゃないと思ったから、賑やかな街の裏側ってのを知って欲しかったのかな、私」


「…………」


「ほら、ちょっとこっち来て」


 少女の声に僅かだが明るさが戻って、航大の手を引くと少女は小走りで駆け出した。


「お、おいっ……!?」


「ほらほら、早くっ!」


「おっとっとっ……!?」


 少女に手を引かれるがまま、航大は閑静な住宅街を走り抜ける。

 航大たちは街中に出来た小高い坂を登っていて、金色の夕日が視界いっぱいに広がってくる。街の中でも高い場所へ向かうことで、屋根などに隠されていた金色の夕日を遮るものが少なくなってきているのだ。


「この先にね、私の大好きな絶景ポイントがあるの」


「ぜぇ、はぁ……絶景ポイント……?」


「もうちょっとで……ほらっ、ついたっ!」


 少女の足がようやく止まる。

 久しく運動をしていなかった航大は、膝に手をついて乱れる呼吸を落ち着かせようと務める。


「ほら見て。ここに来るとね……街をいっぱいに見渡すことができるんだよ」


「おぉ……」


「あっちが私たちが歩いてきた一番街。そしてこっちが今いる二番街。そして、ちょっと遠くになるあれが……私が住んでる四番街」


 位置的にはちょうど二番街の中央にいるのだろう。

 確かに、少女が指差す方向に目をやれば、記憶に新しい町並みがずっと先まで続いていた。様々な形をした家屋が夕日に照らされていて、そんな街の中で生活する人々が小さく見える。


 一番街の方を見れば、明らかに人が多く活気があるのが見て分かる。

 二番街はやっぱり完成な住宅街になっていて、夕日に照らされる洗濯物がはためいていて、のどかな雰囲気が伝わってくる。


 そして、最後に少女が指差した四番街。

 そこは貧民街と呼ばれているだけあって、遠目から見てもその有様は他の地域と比べれば劣っているのがわかった。

 木造の小さな建物がいくつも建っていて、世界を照らす夕日がその場所にだけ差していない。全体的にどんよりとした空気が漂っていて、人影も少ない。


「ね? 貧民街って呼ばれてるだけあるでしょ。あそこが私たちの世界。絶対に抜け出せない負のオーラ全開の世界だよ」


「…………」


「もし、今度暇だったら貧民街に来てみてよ。辛気臭い場所だけど、住んでるみんなは良い人ばっかりなんだよ。きっと、おにーさんのことも歓迎してくれる!」


「……そうだな。何か、行ってみたくなったよ」


「えへへ、そういってもらえると嬉しいな」


 少女は笑った。


 それは純粋な喜びを表した笑みだ。


 夕日を背に微笑む少女の姿は、航大の胸に暖かい風を運んでくれる。


 辛気臭かった空気が一変して、少女は努めて明るく振る舞おうとする。


「それじゃ、アタシは帰るね。おにーさんとは、また会える気がする!」


「おう。今度はお前の住んでるとこ……紹介してくれよな」


「うん。アタシの名前はシルヴィア・アセンコット。おにーさんは?」


「俺は神谷航大」


「カミヤコウタ? 変な名前!」


「笑うな。航大って呼んでくれ」


「航大……いい名前だね」


 そういって笑うと、シルヴィアは軽い足取りで登ってきた坂を下っていく。


「じゃーねー、航大!」


 ぶんぶんと大きく手を振って、シルヴィアの影は小さくなっていく。

 航大はその背中が見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしているのであった。


◆◆◆◆◆


 城に帰って、シャーリーから宛てがわれた部屋へと戻る。

 扉を開けて部屋の中に入ると、中央に鎮座していたベッドが明らかに膨らんでいることに気づく。

 それは人間の呼吸をするように、軽く上下していて、もし隠れているのだとしたら、あまりにもお粗末である。


「だ、誰だ……?」


 城の兵士を呼ぼうかと思ったが、まずは自分で確認してみようと近づくと――、


「……航大。お帰り」


「お前、大丈夫なのか!?」


 ベッドの中でまどろんでいたのは、あの少女だった。

 露出の多いワンピースに身を包んでいて、肌色面積の多さに少女を直視することができない。


「……航大が帰ってくるの待ってた」


「待ってたって……ベッドの中でか?」


「……うん。寝心地は悪くない」


「さいですか」


 大怪我をしていたことなど気にした様子もなく、少女は相変わらず起伏の少ない声で話を続ける。


「……本当に無事なんだな?」


「……大丈夫。あれくらい、ちょっとしたかすり傷」


「かすり傷って……もう少し遅かったら死んでたかもしれないんだぞ」


「……私は航大を残して死なないよ。だって、航大は私が守るから」


 少女の表情からは感情というものが読み取れない。 

 しかし、その言葉に嘘偽りがないということだけは、ハッキリと理解できた。


「はぁ、どうしてそこまでして、俺を守るんだよ……」


「……分からない。私は私が分からない。でも、ひとつだけ分かることがある。それは航大を守るのが大切な役目ってこと」


「なんだそれ。意味分からん」


 正直、女の子に守られ続けることに情けなさを感じてしまうこともあるのだが、少女があの森で見せた戦いぶり。それを思い出せば航大は強く出ることが出来ない。


「まぁ、戦いなんて起こらないのが一番なんだけどな」


「……うん」


 寝不足なのか、少女はふわぁ……と、小さく欠伸を漏らした。

 そんな少女を見ていると、航大はある大事なことを思い出してハッとする。


「名前、分からないんだよな」


「……うん。分からない」


「なんか、ずっとお前とかって呼ぶの大変だから……さ、名前……考えようよ」


「……航大が私に名前をちょうだい」


「え、俺が……?」


 少女のどこまでもまっすぐな瞳が航大を見つめる。

 その一点の曇りもない瞳は、航大に名付けられることに対して一切の負の感情を持っていなかった。


「……私は、航大に名前を付けて貰いたい」


「名前か……そしたら……ユイ、なんてのはどうだ?」


「……ユイ。すごく綺麗な言葉」


 ユイ。

 特別、何か特別な意味がある訳ではなかった。

 ただ、航大がこの少女に名前をつけるとしたら……それはユイで間違いないと、心の何処かで強く思っていた。


 異世界で生活するのなら、それに相応しい名前というものが存在するだろうに、何故か航大はそれを選ばなかった。


「……名前、大事にする」


「あぁ、そうしてくれ……ユイ」


 航大の言葉に、ユイが笑みを浮かべた……ような気がしたのであった。

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