第一章9 王女の長い一日

第一章9 王女の長い一日


「ここが城下町……お城で見るよりも、近くで見たほうが活気がありますね」


「……そうだな」


「どうしたのですか? なんだか元気がないようですけど?」


「あのなぁ……一国の王女が城から抜け出すなんて、バレたらどうなるか……心労で疲れたよ……」


 シャーリーに呼び出されて、お願いをされた日の翌日。

 航大はハイラント王国の王女であるシャーリーと二人で、城下町を歩いていた。

 ここに至るまでの話を結構省略してしまった気がする。

 しかし、語れば長い話になるので、あの夜から今までの出来事をかいつまんで簡単に話をしよう。


◆◆◆◆◆


「え、外に出たい?」


「はい。物心がついてから、私はこの城から外に出たことがないんです。お城の中庭には行ったことはありますが、この身分もあって、お城からは出たことがないんです」


 シャーリーは淋しげな表情を浮かべて、窓の向こうに見える城下町に視線を移す。

 彼女の視線の先には一番街と呼ばれる城下町が広がっていて、こんなに夜も遅いというのに、あちこちで淡い光が揺らめき、夜になってもあの周辺は人で賑わっているのが遠目からでも分かる。


「おかしな話です。私は王女としてこの国を導く立場にある。それなのに、最も守らないといけない国民のことを、何も知らない……」


「いくら王女とは言っても、お願いすれば出ることもできるんじゃないのか?」


「……王女。確かに、今の私は王女という立場を与えられてはいます。しかし、その実態はただのお飾りなんです」


「お飾り?」


「……はい。私はまだ若い。若すぎる。国政を全て担うには、力があまりにも足りないんです。今、この国の政治を行っているのは賢老会と呼ばれる、先代国王の時代から右腕として国を動かしてきた家臣たちです」


「…………」


「私はただ、彼らが提案してくるあらゆる物事に対して、首を縦に振るだけの存在なのです」


 シャーリーは自分の今の立場を痛烈に理解している。王族であり、王位第一継承者である彼女を、本当の意味でこの国はまだ認めてはいないのだ。少女だから。まだ何も知らないから……そんな、あまりにも勝手な決めつけが蔓延していて、それに抗う力さえ、今のシャーリーは持っていないのだ。


「先代国王……父がこの世を去ったことを国民はもちろん知っているでしょう。しかし、私がその後を継いで王女となったことを……国民たちは知らないんです」


「は? そんなこと……有り得るのかよ」


「知らないというのは言い過ぎかもしれません。しかし、先代国王の娘が王女になったことは知っていても、私の姿を見た国民はきっと数えるほどしかいません」


 普通、新たな王が誕生した際には即位式とかが行われ、国民全員に新たな王を紹介する場があるはずだ。しかし、シャーリーはそれを経験していないと言っている。


「なんでそんなことを……」


「賢老会は恐れているのです、まだ若い少女である私が新たな王女となった事実が露呈することを。国に対する忠誠心を国民が失ってしまうのではないかと」


「……それは、仕方ないことじゃないか。先代の王が死んじまったんなら、新たな王を選ばないといけない……それは当たり前のことだ」


「そうですね。きっと、賢老会は時期を待っているのです。私が王女としてふさわしい器になったその時を」


 これから数年という時を経て、しかるべき時にシャーリーを国民に紹介する。

 確かに、賢老会の考えも分からないことはない。しかし、だからといって多感な時期にあるシャーリーを、城に閉じ込めていい理由にはならない。


「……わかった。シャーリーが外に出る手伝い……してやるよ」


「本当ですかっ!?」


「社会科見学って奴だな」


「しゃかいかけんがく……?」


 現実世界では聞き慣れた単語を思わず口にしてしまい、全く新しい聞き慣れない言葉にシャーリーは小首を傾げるのであった。


◆◆◆◆◆


 それから、航大たちは綿密な作戦を練った。

 ユイの外見がシャーリーと似ていることを利用した脱走作戦。


 シャーリーは一日、体調が悪いということにしてベッドから出ないようにする。シャーリーに扮してベッドで寝るのはユイにお願いした。ユイとシャーリーは髪色が似ているという点を利用して、ユイはベッドで寝ているだけで話しかけられても言葉は発せず、頭を振ることで対応する。


 こうすれば、布団を捲くられない限りユイとシャーリーが入れ替わっていることを見抜くのは難しいだろう。


 ちなみに、体調が悪いことは既に周囲へ伝えてあるらしい。

 さすがこんな大胆な作戦を思いつくだけあって、万全な準備を既に整えていたらしい。


 後は簡単だ、なるべく人に見つからないようにマントやフードで身体を隠して城を出る。

 正直、城を完全に出て城下町に出るまでの間は生きた心地がしなかった。バレたら王女は怒られるだろうし、一緒にいる航大は誘拐犯として捕まって重罪を科せられる可能性だってある。

 異世界に来て犯罪をおかして死刑……なんて、笑い話にもなりはしない。


「まぁ、上手くいったっぽいから良かったか……」


「航大っ! あれはなに?」


「えーと……あれは確か酒場だったかな?」


「酒場……?」


「何かこう、色んな人が集まって食べ物を食べたり、お酒を飲んだりして話す場所……みたいな感じかな?」


「そうなんですね。お城には無いから何か新鮮……」


「まぁ、お城にあったらビックリだけどな」


「今度はあっちに行きましょう!」


「お、おいっ……引っ張るなって……!」


 初めての城下町。

 シャーリーは子供のように瞳をキラキラと輝かせて、あちこちに視線を移しては小走りで駆け回る。その際、シャーリーの細く白い指が航大の手を握ってくる。息を呑むくらいに小さく、細い少女の指が絡まってきて、現実世界でも女性経験が皆無な航大は、ただ手を握られる……そんな瞬間にも心臓が跳ねてしまうのだ。


「すごい、美味しそう……」


「これは果物的な奴か……?」


 次に航大たちがやってきたのは、食べ物を売っている露店だった。

 見るからに甘くて美味しそうな果物のような形をした商品が並べられていて、露店はたくさんの人でごった返している。


「やぁやぁ、何かお探しかな?」


「あ、あの……これってなんですか?」


「あぁ、これはね……ロリアナっていう甘い果物さ」


「……お城でも食べたこと――むぐっ!?」


「うん? お城?」


「いやいや、おー白いって言ったんだよ」


「あはは、何を言ってるんだい。ロリアナは見ての通り、赤くて綺麗な果物だよ?」


 シャーリーが口を滑らせそうになっていたので、慌てて口を塞ぐ。

 その行動に心底驚いたのか、シャーリーは目を真ん丸に見開き、もごもごと航大の腕の中で暴れ出す。


「バカっ、お城で生活してるとか迂闊に言っちゃダメだろ。お城に報告が言ったらどうするんだ」


「むぐっ、むぐっ……!」


 航大の言葉に慌てた様子で何度も頷くシャーリー。

 とりあえずは大丈夫だろうと、航大は判断してシャーリーの口から手をどける。


「こほっ、こほっ……も、もう……私が迂闊だったのは謝るけど……いきなり口を塞ぐなんて……ううぅ、こんなことされたの初めて!」


「あ、ごめん……」


「今度からそういうことする時は、ちゃんと事前に教えてくださいね!」


「う、うん……善処する……」


 顔を赤くしてぶんぶんと腕を振るシャーリー。余程、航大の行動に驚いたのか、シャーリーが落ち着きを取り戻すにはかなりの時間を要した。その間、航大は自分の行動がどれだけ驚いたのかを、シャーリーから事細かくレクチャーされるのであった。


「あはは。君たちは仲が良いみたいだね。そんな二人の微笑ましい光景を見れたお礼に、ロリアナをあげよう」


「え、いいんですか?」


「あぁ、いいとも。未来ある若者に良くしておくのは悪いことじゃないと考えるよ」


 若い店主はニコニコと微笑みを浮かべながら、航大たちにロリアナと呼ばれる果物を手渡してくる。手に持ったロリアナは、見た目以上にずっしりとした重さがあって、手のひら大のサイズの中にぎっしりと、果肉が詰まっていることを確信させる。


「お、お金なら……少ないけどあります!」


「え、持ってるんだ!?」


「まぁ、前にルズナから貰ったのがあるからそれで……これで、足りますか?」


「え? お金なんていいのに……って、ええぇっ!?」


 シャーリーが懐から取り出したのは一枚の金貨だった。ハイラント王国の国旗が刻まれた金貨は、太陽の光を浴びて金色に輝いている。


「こ、これは金貨!? いやいや、ロリアナは銅貨五枚だよ! 金貨だなんて、そんな大金もらえないよ」


「いえいえ、いいんです! ちゃんとこういうのは、お金をお支払しないといけないって……ルズナが言ってました」


「う、うーん……どうしたものか……」


「それなら、また今度俺たちが着たら、その時にサービスしてくれればいいですよ」


「……え、そんなことでいいのかい?」


「そんなことがいいんですよ。新しい果物とかあったら、食べさせてください」


 このままじゃ埒が明かないと、航大は店主も納得できるように説得を試みる。


「そうです! 私もまたここに来たいです」


「はぁ……分かったよ。君たちには負けた。それでいいよ」


「本当ですか? よかったっ!」


 困ったような微笑を浮かべ、無理やり自分を納得させる露店の店主。金貨を受け取った店主を見て、シャーリーは初めての買い物にこれ以上無い笑みを浮かべる。


 店主との壮絶な押問答を経て、挨拶もそこそこに航大たちはロリアナと呼ばれる果物を片手に再び歩き出す。


 ロリアナを少し食べてみる。一口、齧ってみると、すぐに口の中に甘い果汁が溢れ出した。現実世界の苺に似ている味をしていて、口の中で広がった甘い果汁は、喉を通って体内に取り込まれるたびに、航大たちにこれ以上無い幸福感を与えてくれた。


「お城でもこんなに美味しいの食べたことないっ!」


 シャーリーも航大を真似してロリアナを齧ってみる。すると、全身をピクピクと痙攣させて喜びを表現する。リアルに何度もピョンピョンと身体を跳ねさせて、全身を流れる果実の甘さに甘美の声を漏らすのであった。


◆◆◆◆◆


「お城の外って、こんなにも楽しいことや驚きに満ちてるんですね」


「あぁ、そうだな……」


「私、本当に今まで何も知らなかった。この国にはこんなにも人が居ること……こんなにも新しい発見があること……お城の中では決して知ることがなかった、驚きの連続がこの街にはあるんだって……」


 露店以外にも色々と航大たちは歩き回った。

 まさに異世界といった雰囲気の武器屋にも行ったし、怪しい道具を売ってる魔道具屋にも行った。休憩をしていた旅人に城下町の外のことを聞いたりもした。


 城下町に出てからのシャーリーは年相応の子供そのものだった。

 あらゆるものに興味を持ち、人と話したり、自分で体験することで様々な知識を得ていく。本来、これくらいの歳の子供はこうして育っていくのが普通なのだが、シャーリーはそれを今まで体験してしては来なかった。


 城での生活。それは一見、死ぬまで安泰な暮らしが約束されるだろう。しかし、外に出ないと分からないことなんて、こうやって数え切れないほどあるのだ。


「そうだ。最後にシャーリーを連れていきたい場所があるんだ」


「え、そうなの? 行きたいっ!」


 いつしか、シャーリーは堅苦しい敬語すら使わなくなっていた。

 今、航大の目の前で軽い足取りで歩いている少女。それは国の王女なんかではない。本当にただ純粋な少女なのだ。


「ほら、あまりピョンピョンしてると転ぶぞ?」


「むぅ……航大ってば、私を子供扱いしてる! これくらいで転ぶ訳――きゃっ!?」


「危ないって!?」


 子供扱いされたことに怒ったシャーリーは、航大を振り返りながら後ろ向きで歩いている。注意した矢先だ、シャーリーは小石に足を躓かせ、バランスを崩す。


 それは咄嗟の行動だった。航大はシャーリーの手を自ら掴みに行き、その華奢な身体を思い切り抱きしめる。シャーリーを転ばせないための行動だったのだが、改めて思い返すと自分が大胆な行動に出ていることに気付く航大。


 時が止まったかのような錯覚を覚える。


 お互いの吐息を感じる距離に、シャーリーと航大は接近していた。


 シャーリーの髪から漂ってくる甘い香りが航大の鼻孔をくすぐり、航大の心臓の鐘が今まで感じたことないくらいに高鳴っている。それはシャーリーも一緒だったのだが、冷静さを失いかけている航大は、それに気付くことはない。


「うわわっ!?」


「きゃっ!?」


 どれくらいの時間が経ったのだろうか、航大は目の前にシャーリーの顔があることを理解し、慌てて身体を離す。


「ご、ごめんっ!」


「う、ううん! 私が悪いから……転ばないようにしてくれて……ありがと……」


 なんとなく気まずい空気が流れる。

 しかしそれは、居心地の悪いものではなくて、どこか甘酸っぱい青春と呼ばれるようなものと似ていて、それからしばらくの間、二人は無言の時を過ごすことになるのであった。


◆◆◆◆◆


「うわぁ……すごい、ここ……」


「俺もちょっと前に教えてもらったんだよ、ここ」


 二人の間に漂っていた気まずい空気も、小高い丘の上にやってくることで払拭されていた。航大たちがやってきたのは、あの貧民街の少女、シルヴィアに教えてもらった絶景ポイントだった。


 航大はシャーリーと歩いている時から、最後にはこの場所へ連れてこようと思っていた。


 時刻はちょうど夕刻。


 シルヴィアと一緒に見た夕焼けが今日もまた同じように広がっていて、初めて見る光景にシャーリーも感嘆の声を漏らす。


「これ、全部が街なの?」


「あぁ、シャーリーが守る人たちが暮らす街だよ」


 独り言にも近い小さな声がシャーリーから漏れる。

 シャーリーは眼前に広がる光景に心を奪われていて、その瞳はこの光景を絶対に忘れないように焼き付けようとする。


「もっと知りたい。私、この街のことをもっと知りたい」


「知ればいいよ。またこうやって、外に出てさ」


「……うん。今日、たくさん歩いたけど……私、まだまだ知らないことがたくさんある」


 今日は一番街を中心に歩いた。しかし、城下町にはまだまだ足を踏み入れたことがない場所がたくさんあった。シャーリーはそれを目の当たりにして、自分がどれほど狭い世界で生活をしていたのかを痛感する。


「……航大。今日は本当にありがとう。私、航大に会えて本当によかった」


 街並みを見つめていたシャーリーはそういって、後ろに立っていた航大を振り返る。

 その瞳からは一筋の涙がこぼれていて、そんなシャーリーを見て、航大はまた彼女と一緒に外を歩きたい……そんな風に思っていた。


「それじゃ帰ろ――ッ!?」


 そろそろ帰らないとまずい。

 遅くなればなるほど、シャーリーが外に出ていることがバレやすくなってしまう。

 シャーリーに帰ろう……と、言葉を紡ごうとした瞬間だった。


「きゃぁっ!?」


 二人の近くで爆発音が轟き、航大の視界はあっという間に黒煙へと飲み込まれた。

 何者かの襲撃。それを理解した時には全てが遅かった。


「シャーリーッ!?」


 両腕を使って、自分の身体に巻き付く黒煙を振り払う航大。

 想像以上に大きな黒煙は中々消えることはなく、航大の全身を汚す黒煙が消えた頃には、正面に居たはずのシャーリーの姿は跡形もなく消えていたのだった。

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