42:君と巡る文化祭(2)

「写真撮らせて」

 一階の渡り廊下まで降りると、開口一番に漣里くんが頼んできた。

 特別棟でも催しをしているせいか、教室棟と特別棟を繋ぐ渡り廊下には数人の姿があった。

 談笑しながら歩く人たち。

 特別棟に続く階段に座り、タコ焼きを食べているグループ。

 野外ステージでは軽音楽部が演奏しているらしく、明るい音楽が耳に届いていた。

「漣里くんも一緒に写ってくれるなら」

 デート中に一緒にプリクラを撮ろうと誘ったら、写真は苦手だと断られ、結局、私は漣里くんの写真を一枚も持ってない。

 このチャンス、逃すわけにはいかない!

「……、……わかった」

 二人でなければ嫌だという意思を込めて見つめると、渋々、といった感じで漣里くんが頷いた。

 やった!

 私は急いで辺りを見回し、通りすがりの女子に声をかけた。

 一年の時は同じクラスで親しかったため、彼女は快く撮影係を引き受けてくれた。

 彼女に携帯を渡し、漣里くんと壁際に並んで立ち、ピースする。

「ちょっと成瀬くん、表情硬いよ? 笑って? ……あー……うん、笑顔……まあ、一応笑顔か……なんていうか、めっちゃ怖い笑顔だね……」

 彼女は根気よく付き合ってくれて、五回ほど写真を撮ってくれた。

 お礼を言って彼女と別れ、撮ってもらった写真を確認し、一番写りが良かったものを漣里くんにも送る。

 それから、私は『後で漣里くん一人の写真も撮らせてもらう』という約束を取り付け、再び壁際に立った。

 漣里くんはとても真剣な表情で私の写真を撮った。

 立場を変えて、今度は漣里くんが壁際に立つ。

 私は携帯を構え、漣里くんの上半身が入るように調整した。

 ポジションはばっちり……なんだけど、漣里くんはものの見事に仏頂面。

 一応ピースはしてくれた。

 でも、本当に写真が苦手らしく、数回撮っても自然な笑顔が引き出せない。

 二人で写った写真でも睨んでいるような有様で、道理で撮影係をしてくれた女子生徒が苦言を呈するわけだと納得した。

 私は諦めて携帯を下ろし、最高の一枚を撮るために言い聞かせた。

「いい? 漣里くん。よーく想像力を働かせて」

 催眠術でもかけるように、人差し指を振る。

「いまは授業の間の短い休憩時間中だと思って。お互い移動教室で、私の傍にはみーこがいて、漣里くんの傍には相川くんがいる。私たちは本当に偶然会っただけ。そういうシチュエーションなの。わかった?」

「? ああ」

「それじゃ、私は五秒後にここに来るから、気負わず、いつもみたいに反応してね」

 私は手に携帯を持ったまま、いったん教室棟の中へと引っ込んだ。

 数秒待ってから、渡り廊下へと出て行く。

 私は偶然漣里くんと会った風を装って、驚いた顔をし、それから笑って手を振った。

 反射的に、だろう。

 漣里くんは口元に微笑を浮かべた。

 そう、これこそ私の狙い!

 漣里くんは笑顔で手を振ると、笑い返してくれる習性があるのだ!

 私はすかさず携帯を構えて、写真を撮った。

 よし、完璧!

 胸元でぐっと手を握る。

 写真の中の漣里くんは、ごく自然に笑っていた。

 素晴らしい一枚を見つめて、微笑んでいると。

「おお、良い写真だねぇ」

 いきなり、後ろからにゅっと私の肩の上に顔が生えた。

 誰かが手元を覗き込んでいる!

「わあっ!?」

 びっくりして飛び上がり、身を反転しながら急いで視線を跳ね上げる。

 いつの間にそこにいたというのか、響さんが立っていた。

 薄手のアウターに無地のシャツ、シルバーアクセサリーに紺色のスラックス。

 どこのファッションモデルかと思うほど、彼はその長身に似合う服を着ていた。

「ひ、響さん!?」

「ちゃお」

 ふざけた敬礼のように、片手を上げてみせる響さん。

「久しぶりー、真白ちゃん。一カ月ぶりの再会を祝して熱い抱擁を……したいところだけれど」

 響さんは大きく両手を広げたものの、すぐに手を下ろした。

 漣里くんが私を守るように立ちはだかったからだ。

 後ろにいるから表情は見えないけれど、漣里くんはかなり怖い顔をしていたのだろう。

 響さんはさも楽しげに笑った。

「付き合い始める前ならともかく、いまそんなことしたら本気でぶっ殺されそうだから止めとこう。な? 真白ちゃん。言っただろ、漣里は落とすまで大変だけど、落としたらすげえって」

 ぱちん、とウィンクしてくる響さん。

 私はどう返したものかわからず、曖昧に笑った。

「なんで来たんだよ、兄貴」

「そりゃあ、愛しの弟たちに会いに」

「それは口実だろ。どうせナンパしまくりに来たに決まってる」

 漣里くんの声には棘があった。

「えー、やだー、俺って信用なーい」

「じゃあそこにいる奴らはなんだ?」

 漣里くんが渡り廊下の先を親指で指す。

 渡り廊下の先、教室棟の入り口には女子たちが屯していた。

 全員がこちらに――というか、響さんに――熱く注目していることからして、響さんの連れと見て間違いない。その数、五人以上。もはやハーレムだ。

「俺は時海のOBだよ? 後輩たちと仲良くしたっていいでしょ?」

 響さんは悪びれもせず、肩を竦めた。

「ところでさあ、野田ってのはどいつ?」

 爽やかな笑顔で放たれた地雷級の質問に、私と漣里くんは大きく震えた。

「聞いたよー、顔が腫れるくらいに殴られたんでしょ? もー、どーしておにーちゃんに言ってくれなかったのさー」

 ぷう、と頬を膨らませてみせる響さん。

 私と漣里くんの頬を、冷や汗が伝う。

 野田が障害事件を引き起こしたとき、漣里くんたち兄弟が口を揃えて言ったのが『絶対に響さんには知らせるな』だった。

 響さんに常識など存在しない。

 漣里くんが酷い目に遭ったと知れたら、どんな報復に出るかわからない、と。

 ちなみに葵先輩が幼い頃、響さんよりも年上の男子数人に虐められて泣いて帰ったとき、響さんはたった一人で殴り込みに行ったそうだ。

 結果、どうなったかははぐらかされた。

 でも、「永久歯だったら訴えられてたかもね……」と、葵先輩は遠い目をして呟いた。

 この台詞から、何が起きたかは推して知るべし、だ。

「その件はもう完全に解決した! 野田は頭を丸めたし、深く反省したんだ! いまさら掘り返されたら迷惑だ、俺のためを思うなら止めてくれ!」

 れ、漣里くんが物凄く焦ってる!

「え、俺、張り切ってそいつの顔を三倍くらいに腫らそうと思ってたんだけど」

 響さんは心外だとばかりに首を傾げた。

「いいから! 本当にいいから! 気持ちだけ受け取っとくありがとう!」

「でも、一発くらい」

「止めろ!」

「なら、グーじゃなく、パーで平手打ちは」

「いらないっ!!」

「……うーん、まあ、そこまで言うなら」

 漣里くんの必死さが伝わったらしく、響さんは残念そうな顔をしながらも頷いた。

「わかってくれて良かった……」

 兄の説得でエネルギー切れを起こしたらしく、漣里くんは項垂れた。

「ねー、先輩ー、行こうよぉ」

 助け舟を出すように、妙に甘ったるい女子の声がかかった。

「はーい、マユちゃん。そんじゃ、二人のラブラブっぷりも見れたことだし、行くわ。またねー」

 ひらひらと手を振って、響さんは教室棟へ入って行った。

 待機していた女子たちを引き連れ、和やかに会話しながら――響さんの両腕にはそれぞれ違う女子が腕を絡めていた――歩いていく……

「……お、お疲れさま?」

 疲弊しきって脱力している漣里くんに歩み寄る。

 彼は額を押さえ、ゆっくりと顔を上げた。

「ああ……なんかもうどっと疲れた……最悪の事態だけは回避できて良かった……兄貴はやるって言ったら本当にやるからな……」

 本当に野田の顔を三倍に腫らすつもりだったんだろうか……

 笑顔で野田を滅多打ちにしている図を想像してしまい、私は大きくかぶりを振った。

 考えるのは止めよう。怖すぎる!

「え、ええと。漣里くんはお化け屋敷、手伝わなくていいの?」

 響さんの話題はお互いの精神衛生上よろしくないと判断し、私は全く違うことを振った。

「ああ。俺は設営班で、お化け役は別の奴がやるから」

 漣里くんは文化祭が終わったらクラスの皆で打ち上げに行くそうだ。

 もうすっかり溝が埋まったようで、私としては非常に嬉しい。

「じゃあ、色々見て回ろうよ。この服返して――」

「いや、まだ約束まで三十分以上あるし、ぎりぎりまでその格好でいて」

 漣里くんは珍しくきっぱりとそう言って、手を差し出してきた。

「は、はい」

 そう言われたら何も言えず、手を繋いで、歩き出す。

「あのさ、後夜祭のダンスパーティーのことだけど……」

 葵先輩には任せてくれ、と頼もしく言われたものの、これまで漣里くんは一度もダンスパーティーのことを口にしていない。

 どうしても気になるため、探りを入れてみる。

「ああ。踊る奴は大変だな。クラスの女子も、ドレスの準備がどうとか言ってた」

 自分にはまるで関係のないことのような口ぶりに、私は戸惑った。

 この反応は、葵先輩から話が通ってないとしか思えない。

 私は期待に胸を膨らませながら、何日もかけて色んな店を巡った。

 ドレスも買ったし、靴だって用意したんだけど……あれ?

 もう一度葵先輩に聞いたほうがいいのかな?

 考え、胸の中でかぶりを振る。

 葵先輩は嘘はつかない人だ。

 多分、漣里くんには直前まで伝えないつもりなんだろう。

 どうやって漣里くんを着替えさせて、その気にさせるつもりなのかはわからないけど、これまで最高のサポートをしてくれた葵先輩を信じよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る