第二章 その4
ーーやはりか。
確信はなかったが、適当に言ったわけでもなかった。
黒魔は人や動物を食らうことで、その肉塊を黒魔に変える。体色から筋力まで、悉く違う個体に変えるのだ。ならば、黒魔の何処かに他の生物の細胞を変質させる物質が含まれていても、不思議はない。
これは、ファスに生で黒魔の肉を食わせていなかった理由でもある。
「お、おっちゃん、怖い顔すんなよ。味はどうしようもないけどさ、すげえ腹にたまるんだよ、あれ。二、三匹狩れれば、一週間持つんだぜ?」
カルロの言葉は、さらなる理解を与える。
痣持ちは誰しもがなるわけではない、彼はそう言った。何故かと言えば、おそらくはその未知の物質が含まれる部位を食べたものだけが発症するからだろう。
カルロの住む所に何人の人々がいるかはわからないが、二、三匹を一週間かけて食うということは、誰もが全身くまなく食べるはずはないのだから。
「ファス姉ちゃん、狭霧のおっちゃん、どうしたんだよ」
「いつも通り」
「そうは見えないって。てかさ、姉ちゃんが食べてんのも黒魔の肉だろ?」
「うん」
「じゃあ別にいいじゃんか……」
考え込む俺の視線に責められていると勘違いしたカルロは、ファスの後ろに隠れてこそこそと話し始める。
対するファスに隠してやる気はさらさらないが、話を聞いてやる気はあるらしい。わざわざ食事を中断してやっていた。
「カルロ、別にお前を責める気はない。さっさと飯を食え」
俺は自分の分のレーションを取り出して食べ始めてみせることで、話の終わりを示す。
俺の意図を察してか、はたまた俺の食事を見て空腹を思い出してか、カルロも食事を開始し、会話から解放されたファスは間も無く食事を終える。
「ファス、今日の夜はカルロと一緒に見張りをしろ」
「なんで?」
「カルロだけ寝かせておくわけにも、カルロだけに任せるわけにもいかないからだ」
「わかった」
「わかんないでよ姉ちゃん! 俺だって見張りくらい一人でーー」
「俺はこれから眠るんだ。静かにしろ」
俺のひと睨みで、カルロはふてくされつつも静かになる。
相手は幼い子供で、しかも完全に信用できるわけではない。見張りのくせに逃げられたり、寝込みを襲われたらかなわない。
ファスに縋り付くカルロを横目に、俺は寝袋を広げて眠りについた。
◇◆◇
「おい、カルロ、ファス、起きろ」
寝袋で寝る二人を起こす。
いつになっても泣き出さない、相変わらずの曇天。あたりは未だ薄暗いが、腕時計は今が朝だと伝えていた。
「……おはよ、サギリ」
「…………あとちょっとぉ」
素早く起きるファスに対し、カルロは二度寝をしようとする。言うまでもなく、それを許すつもりはない。
しかし、それすらも言うまでもなかった。
「カルロ。……えーと、起きろ?」
驚くことに、ファスがカルロを起こしだした。呆気にとられた俺は言葉も出ず、見ていることしかできない。
ファスは言葉をかけつつも、結局は強引に寝袋から引きずり出してカルロを起こした。カルロは何やら文句を言っているが、ファスは取り合わない。
続けて、ファスは自分のリュックを引き寄せる。確か、あのリュックには今黒魔の肉は入っていない。昨日、水を取りに行く途中で倒した黒魔を焼いて補給したのだが、俺が焼いたものだから、つい全て自分のものに入れてしまったのだ。やっとこさ動き出した体で背後のリュックを引き寄せようとして、またもや予想外の発言が飛び込む。
「カルロ。ご飯」
ファスがリュックを引き寄せて取ろうとしていたものは、自分の食事ではなかった。レーションを取り出して、カルロに投げて渡したのだ。
「サギリ? 私のご飯は?」
「あ、あぁ。すまない」
ファスの言葉に我に帰り、リュックから黒い塊を取り出して、投げて渡す。軽々と受け取ったファスは、カルロの隣で何事もないように食事を始める。
ーー誰だ、あれは?
まるで自分だけ違う世界にいるようで、それに疑問を抱く。
何故、カルロは戸惑わないのか。
レーションのビニール包装を剥いているカルロに近づく。最初はびくりと体を震わせるカルロだが、ファスの後ろに隠れることもなく、俺を待っている。彼の隣に腰を下ろし、カルロはファスと俺とに挟まれる形になる。
「ファス、ちょっと周りの確認をしておいてくれ」
「サギリがやったんじゃないの」
「向こうはまだだ」
「わかった」
双眼鏡を手渡すと、ファスは口をもぐもぐやりながら立ち上がり、そのまま歩み去っていく。
これで、俺とカルロの二人きり。一応声を潜めて問いかける。
「カルロ、ファスに何を吹き込んだ」
「……やっぱ、気付く?」
「当たり前だ。気色が悪い」
伺うような様子のカルロを、ばっさりと切って捨てた。やはり、昨夜の見張りの時にカルロが何かを吹き込んだのだ。
「何を言った」
「大したことじゃなくて、俺もああなると思ってなくてさ」
「何を、言った」
「こ、怖いぜ、おっちゃん……」
無意識に放っていたらしい威圧に、カルロが怯む。
どこからか、刺すような視線が飛んできた気がした。
「べ、別に、姉ちゃんの意味を教えただけだよ」
「何て教えたんだ」
「姉ちゃんは、弟をまもるものだ、って」
「……それだけか?」
そんな簡単なことで、ファスが影響されるとは思えなかった。俺でさえ、組手を代償に言いつけ制度を作って改善してきたのだから。
「あとは、そういうの他にないのかって言われたから……」
「言われたから?」
「お父さんとか、お母さんの話をしたんだ」
「まだあるだろう」
「いや、これで全部だよ」
納得できなかった。さらに質問しようとして、けれどもそれは叶わない。
「サギリ、カルロをいじめてる?」
いつの間にか、ファスが戻ってきていた。
「そうなんだよ、姉ちゃん! おっちゃんがいじめるんだ!」
「なっ、お前……!」
勝機を見つけたとばかりに、脱兎の如くファスの後ろへと逃げていくカルロ。背の後ろで舌を出すカルロの頭を、ファスは器用に撫でてやっている。
「サギリ、あんまりカルロいじめちゃダメ」
「いや、俺はだなーー」
双眼鏡を渡そうとしながら、ファスが説教らしきものをしてくる。俺が何とか否定の言葉を作ろうとすると、ファスは明らかに無駄な高さにまで、双眼鏡を振り上げる。
「ダメ」
差し出した手に、双眼鏡が叩きつけられる。双眼鏡が壊れるんじゃないかと心配になる威力だった。
もしや、結構怒っているのか。そう思って顔を見ると、眉間が少し寄っている気がした。
「……わかった」
触らぬ神に祟りなし。どうせカルロは今日には目的地に送り届けられるし、そう強く言う事でもない。
後ろでカルロがしたり顔をしているのだけは、どうにかしたいが。
「じゃあ、サギリ。体洗ってくる」
「あぁ、行ってこい」
微妙にあった険を抜いて、ファスは宣言する。そして、首を回してカルロを視界にとらえたと思うとこう言った。
「カルロも」
「……え?」
余裕を持っていた顔が、赤く慌てた顔になっていく。あわあわと動く口が滑稽だった。
「いや、だって、姉ちゃんは女だし、俺は男だし」
「そうだけど?」
「そうだけどって!」
「男の子でも、体洗わなきゃダメ」
「だけど、だけど……!」
そこで、ハッと気が付いたように、視線を俺に送る。
「なぁ狭霧のおっちゃん! そんなのダメだよな! ダメだよな!」
カルロが俺に話を振ったことで、ファスの視線もこちらに向く。おそらく、俺の一言で全てが決するのだろう。
俺は考える。果たしてダメと言う必要があるのか。
ファスにその気がないことは明白で、過ちが起きるかどうかは、カルロ次第。さて、カルロはファスを襲うだろうか。あのチキンが、俺も建物を隔てて近くにいる状況で、行動を起こすだろうか。
「いや、別にいいぞ」
「そんなっ……!」
「ほら、行くよ?」
ファスは猫の親が子供を運ぶように、カルロの首筋を捉えて引きずっていく。
カルロもカルロで捉えられた猫のようで、恨めしそうに俺を睨んでいる。
それを見て、俺は年甲斐もなくほくそ笑むのだった。
朝のゴタゴタの後、トマトのような顔のカルロを除き、何事もなかったかのように出発した。
昼休憩も挟みつつしばらく進むと、道端の建物の密度はだんだんと上がってきて、それを認めたカルロは帰還の喜びに恥ずかしさを忘れていった。どうやら、彼の暮らすのはかなり大きな都市らしい。
「ほら、あれだよ!」
それは、カルロが実物を指差した時に実証された。
今までの都市と比べ、はるかに堅牢に見える防壁。実際、黒魔の攻撃にあって空いた穴の数は、俺の知る中で最も少ない。
近付いてみれば、壁の各所に黒魔の拳の跡や歯型があって、穴を空けようとしたものの空かず、偶然上手くいった穴から入ったのであろうことが察せられた。
最寄りの穴から中に入ると、ひび割れた車道の真ん中を一人の男が歩いてくるのが見えた。
シャツとズボンの、いかにも一般人といった格好の中肉中背。表情は穏やかで、平均的な白人顔だ。そんな普通の集合体のような彼だが、首筋だけは異様だった。
そこには、首筋を覆い尽くすほどの大きさの、黒い痣があった。服に隠れてしまってどこまで広がっているかはわからないが、非常に大きいことだけは確かだった。
「人間の方が来られるとは珍しい。避難されてこられたのですか?」
両手を広げ、歓迎を示すように彼は話しかけてくる。
「いや、落し物を届けに来ただけだ」
対する俺は、極めて事務的に答える。同時に、物扱いされたことに不満げなカルロを押し出す。
カルロを視認すると、彼はその顔を崩して喜色を示す。
「カルロじゃないか! よかった、心配してたんだぞ?」
「ごめん、マイクさん」
罪悪感が足を止めるのか、話しながらも足早に近づくマイクに反し、カルロはその場を動かない。
だが、目の前にしゃがみこんだマイクに頭を撫でられるうち、その緊張は溶けてゆく。
「マイクさん、俺……!」
「いいんだ、お前が無事なら、なんだって」
ついに、カルロはマイクに抱きついた。前に立てられた膝が邪魔になって上手く抱きつけていないが、それでも、マイクは緩く抱き返してやっている。
小さな嗚咽も聞こえ出したカルロをなだめつつ、マイクが視線をこちらに向ける。
「カルロを送っていただき、ありがとうございました。私はマイク。一応、ここのまとめ役をやっている者です」
「俺は狭霧、こいつはファスだ。詳しいことは話せないが、少し譲って欲しいものがある」
「構いませんよ。大したものはありませんが、好きなように持って行ってください」
こうして、俺たちは人の暮らすもはや名もなき都市へと入っていった。
俺たちが通されたのは、崩れかけているビルの中で、比較的マシな部類のものだった。中に入っても、壁に少しヒビが走っているくらいで、薄暗いこと以外に文句はない。
生活の拠点となっているらしいここは、もともとは様々な会社のオフィスが複合していた場所らしい。机を隅に寄せれば、結構なスペースが取れるとマイクが言っていた。
1階は特に何もなく、2階、3階は生活スペースのようだ。廊下に干されていた洗濯物を見るに、2階が女、3階が男のスペースらしい。
好奇の視線にさらされつつ、俺たちは4階に通された。集会場に使っているらしい、机を隅に寄せただけのだだっ広いスペース。壁には出欠連絡用だっただろうホワイトボードがあって、当番表へとその役割を変えていた。
マイクの指示で、部屋に控えていた二人の内の一人が二つの机を持ってくる。俺と、マイクの分だ。カルロは母親に会いたいと言うので2階で別れ、ファスは彼についていった。
そんな中、俺の視線は部屋の隅のもう一人に注がれていた。何やら黒い大きな箱のような機材を弄る彼は、ヘッドホンをしている。彼は部屋に入ってきた俺たちをチラリと見ただけで、その後は機材に集中していた。機材からはコードが伸び、コンセントに繋がっている。
「電気が、生きているのか?」
「そうなんですよ。このビルにはソーラーパネルが付いてまして。ビルを照らし続けなければ、ああして通信機を使い続けてたって問題ないんです」
「なるほどな。それでこの広い都市を監視できるのか」
「穴は9つしか空いてませんからね。一日三回交代で見張って、敵が来ればここから戦闘部隊を送る。それで何とか、50人を守れています」
苦笑するマイク。そこからは長年の苦労が滲み出ている気がした。
無駄話をしている内に、机が向かい合って並べられる。よくあるタイプの事務机だ。
促されるままに座り、マイクと向かい合う。背もたれに背を預け、手すりに肘をのせて手を組んだ。
対するマイクは、にこにこと手を揉みながら口火を切る。
「さて、まずはきちんとお礼を言わせていただくところから」
「気にするな。こちらもこちらで打算があってやったことだ」
マイクの手が少し止まり、続いて小さく息をつく。その表情は崩れない。
「……そうでしたね。弾薬が欲しいのでしたっけ?」
「あぁ、45口径だ。それさえ貰えれば、すぐに出て行く」
「申し訳ない。こちらも黒魔との戦闘で余裕がないんだ」
「なら、もう出て行く」
「まぁまぁ、そう焦らないでください」
椅子を立とうとした俺を、マイクが片手で制す。
「ないわけではないんです。ただ、タダで渡すわけにはいかないというだけで」
「条件を付けるのか?」
「あぁ、少しの間、ここで防衛に協力してほしい」
「少しとはどれくらいだ」
「さぁ、それは……」
どうやら、弾薬というアドバンテージを得たつもりらしいマイクは、づけづけと要求をつけてくる。
勘違いを正さねばならない。俺は両肘を机につき、前のめりになる。
「いいか、マイク。お前に選択肢はない」
「と、言いますと」
「お前たち、いつまでここにいるつもりだ?」
「と、言いますと」
「ソーラーパネルが壊れれば、お前たちは終わりだ」
「……」
大きな都市だ。素早い連絡が取れなければ、黒魔に対処しきれない危険性は跳ね上がる。
「その時、お前たちは逃げるしかない。俺がシルルからここまで来て、マトモな場所は殆どない。ここより規模の小さい都市でも、穴が多すぎて意味がない」
一つずつ、事実を突きつけてゆく。
「とすれば、お前たちはシルルかライツを頼るしかない」
ポケットから、ベネットに貰った通信機を取り出し、机の上に置く。ことりと軽い音を立てるそれに、マイクの視線が注がれる。
「こいつは通信機だ。シルルにだって連絡は取れるし、ライツにはこれから行くところだ。お前らのその痣を、新種の感染症として報告してやってもいい」
「ーーッ!」
マイクが初めて身を硬くし、後ろで何者かの動く気配がする。マイクは視線を送ってそれを抑え、重そうに口を開く。
「あなたは、鬼のような人ですね」
「よく言われる、いや、言われたな」
「随分と上質な猫の皮を被られたようで」
「ナマケモノの皮が安売りされてたんだ」
しばし睨み合いが続く。その均衡を破ったのは、マイクの小さな笑いだった。
「負けました。どうせ私たちでは、銃弾なんて使いこなせません。好きなように持って行ってください」
俺の背後に控えていた者に指示を飛ばし、弾薬を取りに行かせる。
「しかし、本当に容赦のない人だ。私たちは本当に困っているのに」
「赤の他人を助けるなんてのは、自分の死が見えてないやつのすることだ」
「その通りですね」
「……悪いな」
「さっきの今じゃ、心から言ってるようには聞こえません」
「確かにな」
おどけて見せるマイクに、俺も表情から力を抜く。
そんな時だった。部屋の隅が騒がしくなったのは。
「ちっ! 落ち着いて話せ! ……そうだ、Aからだ」
相打ちは九つ。
椅子をけたたましく蹴り飛ばして立ち、ヘッドホンを投げ捨てて彼は叫ぶ。
「マイクさん! 敵です!」
「どこからだ!」
「ぜ、全部です! しかも、今までと形が違う、と……」
「何……!」
雨垂れの汚れの目立つ窓からは、大粒の雨にけぶる街並みが見えた。
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