第2話 『空白の書』

 深い森の中。けして良いとはいえない足場を複数の足跡が踏み荒らし、次々と通り過ぎていく。

「いまだッ!」

 木陰から飛び出した小さな影が叫び、引きつけられた大きな蜂のような生きもの達を鋭い矢の雨で地面に縫いつけた。

「グッジョブです」

 別の木陰で待ちかまえていた冬着の少女が三つ編みを揺らし、特大の氷塊をその上に落とす。起きあがってくる者がいないことを確かめ、弓をつがう少年に前方を指し示す。

「ウイングヴィランは全部倒したので、あとはシェイン達もアタッカーで一気に片づけましょう」

 言いながら少女が一冊の本を取り出し、挟んでいた栞の裏表をひっくり返す。厚着の少女が消え、代わりに剣とカゴを抱いて赤いずきんを被る小さな女の子が姿を現した。

「うん」

 答えた少年も同じように本を取り出して栞を裏返し、姿を変える。こちらは大剣を携え、食えない笑みを浮かべた白髪の壮年の男だ。だが走りだそうとしてたたらを踏み、結局弓使いの少年の姿に戻る。

「何やってるんですか」

「シルバーの義肢にまだ慣れてなくて……ジムの方が小回りがきくから、近づいてから変わるよ」

 あどけない少女の冷ややかな視線に弓を抱え直した少年が照れ笑いで答え、今度こそと走る。前線では騎士風の男と桃太郎が鎧で全身を包んだ敵と小競り合いを繰り広げ、少し下がってまた違う姿の少女が小さな杖を掲げていた。

「ええいっ!」

 リボンでなく本物のウサギの耳をピンと立てたバニースーツの少女が、かけ声とともに杖から光を放つ。柔らかな光は癒やしの光。駆けつけた者も含め、その場にいる仲間の傷を回復する。

「ありがとう!」

 少年が声をかけながら通り過ぎ、敵の背後に回り込む。勢いを殺さず白髪の男に姿を変えるとともに、大剣が敵を斬り上げた。

「邪魔だ!」

 続けて豪快に斬り下ろす。それがとどめとなり、男の斬撃を受けた鎧が崩れ落ちた。

「おしおきぃっ!」

 一方でウサギ耳の少女の手前から、赤いずきんの少女が斬撃を放った。進行上の敵が一気になぎ倒される。

「やあっ!」

 桃太郎が残っていたもう一体の敵を斬り伏せ、味方以外に立つ者はいなくなった。

 タオが騎士風の男から元の姿に戻るのを認め、エクスも本から栞を抜き取り、白髪の男から彼自身の姿に戻る。集まってきたレイナとシェインもそれぞれ、ウサギ耳の少女と赤いずきんの少女から元に戻った。

「いやはや、摩訶不思議な術でござるな」

 感心する桃太郎にエクスが笑って答えた。

「僕らはコネクトって呼んでるよ。栞を運命の書に挟むことで英雄の魂を呼び出し、力を借りて戦う。これが『空白の書』の持ち主の戦い方なんだ」

 やや離れた場所で戦っていた駒若夜叉の呼びかけで、ぞろぞろと森の中を歩く。駒若夜叉に話しかけられる鬼姫を気にしながら、桃太郎とエクスは話し続けた。

「『空白の書』……まれに何も書かれていない運命の書を持つ者がいると聞いたことはあるものの、会ったのは初めてでござる」

「僕もレイナ達に会うまで、僕以外に真っ白な本を持つ人がいるなんて知らなかった」


 ストーリーテラーという造物主によって人一人の一生について書かれた、なにかしらの物語を原典とした本、『運命の書』。誰もが生まれた時に手渡され、その内容に従って生きていく。それがこの世界の常識だ。

 だがエクスやレイナ、タオ、シェイン。彼らはその運命の書に何も書かれていない『空白の書』の持ち主だった。

 『空白の書』の持ち主は決められた役割を持たない。他の人とは違う真っ白な本を抱え、エクスは少し前まで生まれ育った国で息を潜めて生きていた。


 レイナ達は物語の異常をただし、ストーリーテラーの描くあるべき姿へ戻す旅を続けている。

 彼ら空白の書の持ち主達が『想区』と称する様々な異なる物語の世界から世界へ、何もない『沈黙の霧』と呼ばれる空間を通り抜け渡り歩く。エクスがレイナ達と知り合ったのもまた、エクスの住んでいた想区へ異変を察知したレイナ達が訪れたからだった。


 そしてその異変がこの桃太郎達の想区でも起こっている、とエクスは告げる。

「それが、あのヴィランという魔物の出現なのでござるな」

「うん。でもそれが全てじゃない。最初に話した通り、ヴィランを操っている奴がどこかにいるんだ。僕らの目的は、それが誰かを探し当てて止めること。止めないとそいつは――カオステラーはいずれ暴走し、この想区をめちゃくちゃにしてしまう」

「なんと……」

 絶句する桃太郎の脇の木陰から慌てた様子の女が飛び出してきた。

「駒若! 持ち場を離れてこんなところで何をしている!」

「よう、探したぜ」

「それはこちらの台詞だ!」

 勇ましい鎧姿の女に詰め寄られ、駒若夜叉がケロリと答えてさらに怒らせた。

「ま、まーまー、落ち着いてください!」

 慌ててエクスが間に割って入る。女が驚き、ついで駒若夜叉に同行している知らない集団に後ずさる。

「なんだお前たちは?」

「なるほど、あなたがお仲間さんですか」

「おう、こいつは蒼桐つーんだ」

 あくまで悪びれない駒若夜叉にフムとシェインが頷く。

「蒼桐さん、彼は不案内な旅人の僕らを案内してくれてたんです。いわば巻き込まれてあなたと合流するのが遅くなったので、あんまり怒らないでもらえると」

 温厚なエクスの懸命な取りなしに、渋い顔をしながらも蒼桐がひとまず怒りをおさめる。

「こいつらの事情も複雑らしくてな。ま、社まで歩きながら話そうぜ」

「お前は少しは反省しろ、ったく」


 蒼桐は同行者に鬼姫がいることに気づいた時には駒若夜叉と同じく警戒したものの、ほとんどは素直にエクス達の話を聞いてくれた。

「しかし敵方の将の娘を懐に入れるのはな」

 鬼姫に気づいた時の駒若夜叉と同じく良い顔をしない蒼桐に、余所者のエクス達もこの想区の鬼と人の確執を感じ取って黙る。無条件に鬼姫を受け入れていた桃太郎の方がここでは異端なのだ。その桃太郎は駒若夜叉に任せる気か、鬼姫に寄り添って一歩下がっている。

「下手に目を離すよか俺らの陣地に引き込んだ方が何かあってもマシだろォ?」

「だからと言ってな。その鬼姫を鬼ヶ島の鬼たちが取り戻しに来ないか?」

 駒若夜叉の言うことにも一理あるが、といった調子で蒼桐が懸念を口にする。うかつに敵方へ攻め込まれる口実を作るわけにはいかないのだろう。

「鬼の追跡は今のところござらん。代わりにあのヴィランとかいう魔物が襲ってきたのだ」

 ここで桃太郎が口を挟んだ。「びらん?」と聞き返す蒼桐に、ヴィランの容姿を説明する。

「そやつらならここへ着くまでにも見かけた。ずいぶん数を増やしているようだ」

「蒼桐さんも会ったのですか。襲われなかったのですか?」

 シェインの疑問に蒼桐が首を横に振る。

「面倒は避けたかったのでな、見つからないよう隠れながら移動していた。気がかりなのはやつらがうろついていたあたりに陣を敷いていたはずの別働隊だ。争った形跡も見当たらなかったがどこへ行ったのか」

 蒼桐が思いを馳せるように見やった方角に鬼姫が反応した。

「それはもしや、ここより西の奥地に構えていた者たちか?」

 ここまで無言を決め込んでいた彼女がしゃべったことに蒼桐が驚く。心当たりがあるらしい鬼姫に、エクスが「もしかして」と声をあげた。

「君を襲った人間と蒼桐さんの言ってる部隊は同じ……?」

 鬼姫が憂いをおびた視線を蒼桐が見やった方へ向ける。

「方角は同じようだな。七、八人ほどの集団で、言われてみればお前たちと似た格好をしていたように思う。……そうだ、青地に白抜きの紋の旗を掲げていた」

 蒼桐が顔色を変え、駒若夜叉が悔しげに舌打ちをした。

「間違いねぇな。バケモンに変わったっつってたが、一人残らずかよ?」

「それは……」

 鬼姫が少し考え、首を横に振る。

「すぐに逃げ出したので、よく見ていなかった。だが争った形跡がないということならば、どちらにせよその場に人はもういないだろう」

 一行が誰からともなく足を止め、その場が重い空気に包まれる。振り払うように蒼桐が口を開いた。

「駒若夜叉の判断に従うのはしゃくだが、鬼姫の身柄を解放するわけにはいかなくなったな」

「前半いらなくねぇ?」

 入る茶々は無視し、蒼桐が「こっちだ」と先導する。異を唱えるでもなくおとなしくついていく鬼姫に、桃太郎が気遣うような視線を向けていた。

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