人と鬼の紡ぎ歌

カルデラ盆地

第1話 逃げる鬼、追う鬼

「桃太郎殿……! 手を離してくれ!」

 困惑がにじむ若い女の声が響く。草むらをガサガサとかきわける音、小枝が何かをピシリと打つ音。しけった落ち葉を踏みしだく音が、息を潜める森を駆け抜けていた。

「桃太郎殿!」

 女が再び強く名前を呼び、手を引っ張り返して森を騒がせる音を止めた。

「立ち止まってはいけませぬ。今は拙者と共に来てくだされ」

 若い男の声が緊張を隠さず、それでも穏やかに女を諭す。ガサ、と遠くない木陰から、二人の立てたものでない物音がした。

「……やはりついてきているのだな」

 額に桃の絵柄の鉢巻を巻く幼さの残る顔立ちの青年が、立派な鎧を盾に女を背に庇った。庇われた女もよくよく見るとまだ少女と言ってもいい年頃の娘だ。簡素だが品の良い着物を身につけ、艶のある長い黒髪を背中に流し、先を束ねている。娘の額には普通の人間にはない、二つの角がせり出していた。

「鬼姫殿、そなたを追ってきた子鬼どもは幾度となく戦った鬼ヶ島の鬼の中にも見た覚えがありませぬ。そなたの仲間ではないのでござろう?」

 娘が鬼姫と呼ばれ、わずかに顔を歪めた。桃太郎と呼ばれた青年はガサガサとうごめく草むらから目を離しておらず、背後にいる娘の表情には気付かない。

「ああ。あのような者ども、鬼ヶ島には住んでおらん。言葉も通じぬ。何故私を追ってくるのかもわからぬ」

 答える娘の片手は今も桃太郎の手に捕われたままでいる。もう片方の腕の細長い包みを、娘は強く胸に抱き直した。着物の柄と同じ曼珠沙華が娘の胸でカサリと揺れる。

「では、姫」

 桃太郎が少しだけ鬼の姫を振り返り、優しく笑いかけた。

「敵の敵は味方でござる。拙者に話があるとのこと、戦ではなく話し合いを選んでくださったこと、嬉しく思い申した。あの者らを共に追い払ってのち、詳しくお聞かせ願いたい」

 肩越しの笑みに娘が僅かに戸惑いの表情を見せた。が、すぐに強い瞳で頷いてみせる。

 一際大きな茂みを荒らす音に二人が正面に視線を戻す。全身を黒く染めた得体のしれない小柄な生きもの達が次々と姿を表し、クルル、とこもった唸り声をあげた。


◇◇◇


 日差しの通らない森の中で緑色の髪の丸い頭が揺れ、洋装の少年が足を止めた。

「どうした?」

 しんがりを歩いていた青年が気付き、横を向いた少年に声をかける。少年が仲間を振り向き、軽く首を傾げてまた道の脇へと目をやった。

「何か……聞こえなかった? 悲鳴みたいな」

 自信はなさそうに言いながらも、視線は真剣に道なき道――草木のより生い茂る方を見つめている。

「お嬢、シェイン! 坊主が何か聞いたかってよ!」

 更に前を歩いていた二人の少女に向かって青年が声を張り上げた。振り向いた淡い金髪の少女が首を傾げ、隣を歩いていた小柄な黒髪の少女と引き返してくる。

「エクスが? 私は何も聞こえなかったけど」

「シェインもです」

 金髪の少女に黒髪の少女が続け、オレも、と四人の中では年配の青年が灰色の頭をかいた。

「空耳じゃねーか? 沈黙の霧抜けてこっち、代わり映えしねぇ景色だしな」

 うんざりと森を見回す青年をエクスが困ったように見返し、もう一度気にしていた方向を窺い見る。

「レイナ達にもタオにも聞こえてなかったなら気のせいかも……」

 言いかけたところで、今度ははっきりと四人ともが叫び声を聞いた。互いに顔を見合わせ、揃って聞こえた方向に走りだす。

「……ヴィランかしら」

 金髪の少女が呟いた。レイナ、とエクスが声をかける。走る足は緩めずにレイナが横目に見返し、頷いた。

「この想区の事情がわかるといいんだけど」

「そうだね」

 その時脇の草むらががさりと揺れた。四人が足を止め、それぞれ臨戦態勢を取る。

「隠れていないで出てきなさい!」

 レイナが代表して言えば、木々をかき分けて出てきたのは四人とそう変わらない年頃に見える少年だった。

「っだよ、仲間かと思って来てみりゃ見かけねぇナリの奴らがぞろぞろと。鬼も迷う夜目の森で集団迷子かぁ?」

 驚き半分呆れ半分の少年が頬を掻き、赤い目を瞬かせた。いかにも揉め事の後といった風体で黒髪はほつれ、土埃にまみれた着物も着崩している。態度こそ気安いものの、片手は油断なく腰に下げた刀に触れていた。

 タオとシェインの服装は多少少年に近いものではあったが、エクスとレイナの服装は一目でわかるほど少年のそれとは作りが違っている。そんなちぐはぐな集団が警戒されるのも無理はない。

 「迷子」に反射的に言い返そうとしたレイナをエクスが抑え、目の前の少年に口を開いた。

「僕達は旅の者なんだけど今はそれは置いておいて、さっき悲鳴が聞こえて向かってるところなんだ。君も聞こえなかったかい?」

「あぁ、アンタらも聞いたのか。わざわざ向かってるってことは腕に覚えはあるんだな?」

「一応ね」

 ふうん、と少年に無遠慮に眺められてエクスが苦笑する。目の前の荒事に慣れた様子の少年には、細身の彼の姿は頼りなく映っているのだろう。

 また悲鳴、いや獣のような叫び声がさっきよりも近くに響き、一斉に声のした方を見る。

「立ち話してる場合じゃねーか、こりゃ」

「うん。君も向かってたのならひとまず一緒に行こう」

 提案するエクスに少年がニッと笑った。

「いいぜ、仲間と合流するまでな。俺ァ駒若夜叉ってんだ」

「よろしく。僕はエクス」

「レイナよ」

「タオだ」

「シェインです」

 口々に名乗り、再び駒若夜叉も交えて一行は走りだした。


◇◇◇


 剣閃が弧を描く。

「ギイッ!!」

 子鬼のような生きものが悲鳴をあげ、もんどりうって倒れた。しかし倒れた一匹を別の一匹が気にもせずに踏み越え、また桃太郎と鬼姫に迫る。二人を囲む黒い群れは一向に引く気配を見せなかった。

「たあっ!」

 桃太郎が大太刀でまた一匹と倒し、背中合わせに立つ鬼姫も細身の刀で斬り払う。

「クルルルゥアアアアアァ!!」

 耳障りな吠え声は繰り返し群れのあちらこちらからあがっている。

 鬼姫がちらりと背後の桃太郎を窺った。桃太郎が大上段に構え、群がってきた数匹をまとめて斬り飛ばす。その表情には迷いこそないが疲れが見て取れた。勇ましい鎧は薄汚れ、ところどころを鋭いもので切り裂かれている。鬼姫は憂いを顔に浮かべ、頭を振って目の前の敵に意識を向けた。

「キアアアアァ――!!」

「!?」

 桃太郎達とは別の場所から子鬼の絶叫があがった。敵の群れが悲鳴に気を取られた隙に桃太郎が駆け、強引に切り開いて道を作る。

「鬼姫殿!」

「ああ!」

 連れだって押し通る中、桃太郎達を囲んでいた群れの外側でまた悲鳴があがった。

「仲間が来てくれたのか……!?」

 桃太郎の喜ぶ声に鬼姫が急いで首にかけていた笠を被った。

「邪魔なんだよ!」

 反対側から同じように子鬼をかき分けてきた若い男に、桃太郎がやっと安堵の息を吐いた。続く世代も格好もちぐはぐな一行に驚きながら顔見知りに声をかける。

「駒若夜叉殿!」

 先頭の若い男が笑って刀を掲げ、大きな盾を持つ異国の騎士風の男が子鬼の群れと桃太郎達の間に立ちはだかった。

「やっぱりヴィランかよ!」

「おおむね予想通りですね」

 男が怒鳴れば、その背後から栗色の髪をおさげにした厚着の少女が冷静に相槌を打ち、厚手の手袋に持つ杖から氷のつぶてを放つ。

「話はこいつらを倒してからよ!」

 剣を構えた金髪の少女が、ウサギの耳のように立てて結んだ髪紐を揺らし二人を叱りつける。その隣に、弓を構えバンダナをした小柄な少年が並んだ。

「いこう!」

 少年の号令から子鬼の群れが駆逐されるまで、そう時間はかからなかった。


◇◇◇


 戦いが終わると、駒若夜叉が連れてきた者達が次々と姿を変えた。「どうなってんだそれ」と面白がる駒若夜叉に緑色の髪の少年が曖昧に笑い、驚いている桃太郎達に注意を向ける。

「知り合いだったんだね」

「ああ、俺もここで襲われてたのがコイツとは思わなかったぜ。おい、仲間はどうしたんだよ?」

 駒若夜叉に声をかけられた桃太郎が我に返り、首を振った。

「鬼ヶ島より撤退する最中にあの者らに襲われてちりぢりになった。拙者とはぐれた場合は先に戻るよう言うてある。とにかく、助太刀助かった」

「水くせえな。鬼ヶ島殲滅戦の総大将桃太郎が奮闘してんだ、当然だろ?」

 ふてぶてしく笑う少年の隣で、黒髪の少女と話していた青年が顔色を変え振り向いた。戦闘中はよく見ていなかったらしい桃太郎を認め、さらに驚く。

「桃太郎!?」

「い、いかにも? 拙者を知っているということは志願兵だろうか?」

 驚く桃太郎の後ろで鬼姫が笠のつばを下げて顔を隠す。駒若夜叉が一瞬そちらに目を向け、青年の「違う」という言葉に桃太郎達にまた視線を戻した。

 青年はすぐに落ち着きを取り戻したが、どこか寂しげに笑って桃太郎を見つめていた。

「古いダチと同じ名前で驚いただけさ。オレ達は兵士じゃねえ、たまたま騒ぎを聞きつけた旅のモンだ」

 オレ達、と寄ってきた他の三人を顎で示し、青年――タオは仲間も含めて桃太郎に名を告げた。

「巻き込んでしまい、申し訳ない」

「いえ、私達にも事情あってのことだから」

 タオの代わりに金髪の少女――レイナが答える。

「それよりもあなた、さっきの小さな黒いやつらを知っているの? 襲われた理由に心当たりはないかしら」

 レイナの鋭い視線に桃太郎がたじろぎ、ちらと背後を気遣ってから口を開いた。

「それが……正体は拙者達にもわからぬ。ただ、あやつらは何故かこの方を追ってきたのだ」

 桃太郎の言葉を受け、鬼姫が桃太郎の影から進み出る。駒若夜叉が気付き、刀の柄に手をやった。

「お前……!」

「待ってくれ駒若夜叉殿! この方は話し合いを求めて拙者を頼ってきたんだ!」

「話し合いだぁ?」

 疑り深く鬼姫をじろじろと眺める駒若夜叉に、緑髪の少年――エクスが割って入った。

「少なくとも、さっきこの人達は協力してヴィランと戦ってた。君とこの人の関係はわからないけど、今は敵じゃないと思うよ」

 外野からの穏やかな指摘に駒若夜叉が鼻を鳴らし、構えを解いた。

「個人的な恨みじゃねぇよ、こちとら鬼退治の専門家なんだ。少しでも怪しい素振りを見せればブッタ斬る」

「鬼……」

 静観していた黒髪の少女、残る一人のシェインが呟く。笠を外した鬼姫の顔とその額の角に、納得したように頷いた。

 向き直ったエクス達に視線を向け、鬼姫が静かな声で告げた。

「びらん、とはさっきの奴らのことか。生憎私にも心当たりはない。お前達の方がむしろ奴らに詳しいようだな」

 ポカンとした顔で鬼姫を見つめるレイナに、鬼姫が怪訝そうな顔をする。

「……がんばって鬼語覚えたのに……」

「披露したいのはわかりますけど、話進みませんから」

 何故か悔しげに呟くレイナにシェインが小声で突っ込み、エクスが苦笑いで気にしないでと鬼姫にとりなした。

「ヴィランっていうさっきのやつらは、僕達が追っている者の尖兵といったところかな。やつらは異変あるところに現れるんだ。君は――?」

「鬼ヶ島の頭領の娘、鬼姫という。鬼を不当に虐げることなきよう、敵対する軍勢の総元締めである桃太郎殿の元へ談判に参ろうと森を抜けていたときに奴らに襲われた。正確には始めは人の集団だったのが、あのような者に突如姿を変えたのだ」

 鬼姫が答え、そっと桃太郎を窺ってからエクスに視線を向けた。

「異変と言うが……これといった異変は、それこそ『運命の書』に書かれていないあやつらと出くわしたことぐらいだな。私が桃太郎殿を訪ねることは『運命の書』通りの出来事だ」

 桃太郎が鬼姫の横顔に目をやり、エクス達に向き直って頷いた。

「そう……おかしいわね。通常どこかに歪みが生じてなければヴィランが現れることはないのだけれど」

 レイナが考え込み、半ばひとりごとのように呟く。

「なあ、長話なら場所移さねーか? 俺も仲間と合流してぇし。ウチの根城が近くにあんだ」

 そうあくび混じりに告げたのは駒若夜叉だった。エクス達は視線を交わし、頷く。

「僕達は賛成だよ。桃太郎達もそれでいい?」

「確かに……では駒若夜叉、頼む」

「任せな」

 駒若夜叉が請け合い、一同は彼の先導で再び獣道を歩くこととなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る